心に霞が掛かった状態
- 2021/12/01
- 10:10
中学生の同級生刺殺事件はずーっと晴れ間のない曇った空気が心の中に澱のように溜まり、自分自身、この事件をいったいどう捉えていいのか正直よく分からない。
別に加害者少年を擁護するつもりはまったくないのだが、何かしらの導線となるべき事象が被害者少年との間にあったのは間違いないことであると思う。
問題はその出来事が加害者少年を殺人犯に仕立てるほど重大なことであったのかということである。結論からいえば重大なことであったのだ。一般的には些細な出来事であっても当事者からすると絶対に譲れないほどの大きな出来事であったのだ、内気な少年が乾坤一擲を賭すほどに追い詰めてしまった加害者少年やSOSを見抜けなかった学校の責任は決して軽くない。
一応、それは理解できるのだが、じゃあその「大きな出来事」が果たして殺害を正当化するほどのことなのかといえばこれはまた別の話である。どういう理由があろうとも正当化はできない。
もしかすると、自分の欠点なのかもしれないがあえて書く。肉体的な暴力でも、言葉の暴力でもそうなのだが、俺の場合、相手が喰らうダメージそのものよりも自分の子供が殴られて腫れ上がった顔を見た親兄弟が心配してどんなに心を痛めるのかということが真っ先に浮かんでしまう。いや分かる、本来は順番が逆なのだ。暴力を受けた当事者が肉体的であったり、精神的であったり、傷を負ってしまうから暴力はいけないというのが順番なのだが、俺はどうやらどこか脳みそのネジがぶっ飛んでいるらしく、親であったり、兄弟であったり、或いはおじいちゃんおばあちゃんであったりと、バックボーンとなるべき人物のことが先に浮かんできてしまい手荒なことは出来なくなる。
あまりこういうことを言うべきではないが、結婚しているとき、自分の言葉が強すぎて元の嫁さんを泣かせてしまうことが何度かあった。別に開き直るつもりはないが、言っている内容そのものについては絶対的に正しいとも思っていない代わりに、それでもそこまで間違ったことを言っていないという自負はある。むしろ、ことの正誤はこの際どうでもいいのだが、問題はこの泣いている娘の姿を向こうの親御さんが見たらいったいどう思うだろうか、当事者である妻には悪いがそんなことばかり考えてしまっていた。
そういう特異な体質ゆえ、今回の事件の報を聞き、真っ先に頭に浮かんだのは双方の家族にこの先待っているのは地獄しかないだろうなってこと。殺されてしまった少年に対してはさぞ無念であろうという思いはもちろんあるのだが、それ以上にここまで手塩に掛けて育ててきた親御さんや祖父母のことを思うとむしろそちらの方がいたたまれなくなる。加害者少年、被害者少年に兄弟がいたのかはよく分からないが突然事件に巻き込まれてしまった兄弟たちのことを慮るとそちらもまた胸が痛くなる。
そんな性格であるから加害者である少年が法律によって裁かれるのは当然だとしても、残されたそれぞれの家族はいったいどういう思いでこれから生きていくのかということが気になって仕方がない。ある意味、極めて無礼な言い方ではあるが、加害者少年、被害者少年、当事者たちを超越したところの方にもはや俺の関心は移ってしまう。
詳しいことは分からないが、恐らく公立の中学校であるから加害者少年の家と被害者少年の家は目と鼻の先だろう。特に加害者少年の家は報道によると地域では名の知れたいわゆる名士と呼ばれる家であったとのこと。互いの家同士、直接の交流はなくても会えば会釈をするぐらいの関係であったのかもしれないし、もしかするとご近所さんとして相応のお付き合いをしていたのかもしれない。
故人の名誉もあるから仮にとするが、もし仮に報じられているように被害者少年が加害者少年に対してイジメをしていたとする。だからといって、遺族からすると殺されても仕方ないと割り切れるはずがない。また、加害者少年家族も相当苦しい生活を強いられる。ランタンに灯した明かりのような、幸せな生活も露と消え、一生沈んで暮らすほかはないだろう。
10年後になるか、それ以上になるかは分からないが加害者少年が少年刑務所から出てきたとき、罪を償ったのでこれですべて帳消しとはならず、家族全員がこれから先途轍もなく重い鉄の十字架を背負って生きてくしかない。
どの面下げて言うんだよという意見はもちろん甘受するが、俺は人一倍理想主義者であり、ロマンティストなのだ、子供たちは喧嘩をしたり、ぶつかることはあっても仲良く楽しく暮らして欲しいと切に願う。だからこそ、こういう凄惨な事件が起きるたびにこれで最後にしてくれと思ってしまう。ごく普通の子たちが加害者になったり、被害者になったりする事件はもうまっぴらだ。
別に加害者少年を擁護するつもりはまったくないのだが、何かしらの導線となるべき事象が被害者少年との間にあったのは間違いないことであると思う。
問題はその出来事が加害者少年を殺人犯に仕立てるほど重大なことであったのかということである。結論からいえば重大なことであったのだ。一般的には些細な出来事であっても当事者からすると絶対に譲れないほどの大きな出来事であったのだ、内気な少年が乾坤一擲を賭すほどに追い詰めてしまった加害者少年やSOSを見抜けなかった学校の責任は決して軽くない。
一応、それは理解できるのだが、じゃあその「大きな出来事」が果たして殺害を正当化するほどのことなのかといえばこれはまた別の話である。どういう理由があろうとも正当化はできない。
もしかすると、自分の欠点なのかもしれないがあえて書く。肉体的な暴力でも、言葉の暴力でもそうなのだが、俺の場合、相手が喰らうダメージそのものよりも自分の子供が殴られて腫れ上がった顔を見た親兄弟が心配してどんなに心を痛めるのかということが真っ先に浮かんでしまう。いや分かる、本来は順番が逆なのだ。暴力を受けた当事者が肉体的であったり、精神的であったり、傷を負ってしまうから暴力はいけないというのが順番なのだが、俺はどうやらどこか脳みそのネジがぶっ飛んでいるらしく、親であったり、兄弟であったり、或いはおじいちゃんおばあちゃんであったりと、バックボーンとなるべき人物のことが先に浮かんできてしまい手荒なことは出来なくなる。
あまりこういうことを言うべきではないが、結婚しているとき、自分の言葉が強すぎて元の嫁さんを泣かせてしまうことが何度かあった。別に開き直るつもりはないが、言っている内容そのものについては絶対的に正しいとも思っていない代わりに、それでもそこまで間違ったことを言っていないという自負はある。むしろ、ことの正誤はこの際どうでもいいのだが、問題はこの泣いている娘の姿を向こうの親御さんが見たらいったいどう思うだろうか、当事者である妻には悪いがそんなことばかり考えてしまっていた。
そういう特異な体質ゆえ、今回の事件の報を聞き、真っ先に頭に浮かんだのは双方の家族にこの先待っているのは地獄しかないだろうなってこと。殺されてしまった少年に対してはさぞ無念であろうという思いはもちろんあるのだが、それ以上にここまで手塩に掛けて育ててきた親御さんや祖父母のことを思うとむしろそちらの方がいたたまれなくなる。加害者少年、被害者少年に兄弟がいたのかはよく分からないが突然事件に巻き込まれてしまった兄弟たちのことを慮るとそちらもまた胸が痛くなる。
そんな性格であるから加害者である少年が法律によって裁かれるのは当然だとしても、残されたそれぞれの家族はいったいどういう思いでこれから生きていくのかということが気になって仕方がない。ある意味、極めて無礼な言い方ではあるが、加害者少年、被害者少年、当事者たちを超越したところの方にもはや俺の関心は移ってしまう。
詳しいことは分からないが、恐らく公立の中学校であるから加害者少年の家と被害者少年の家は目と鼻の先だろう。特に加害者少年の家は報道によると地域では名の知れたいわゆる名士と呼ばれる家であったとのこと。互いの家同士、直接の交流はなくても会えば会釈をするぐらいの関係であったのかもしれないし、もしかするとご近所さんとして相応のお付き合いをしていたのかもしれない。
故人の名誉もあるから仮にとするが、もし仮に報じられているように被害者少年が加害者少年に対してイジメをしていたとする。だからといって、遺族からすると殺されても仕方ないと割り切れるはずがない。また、加害者少年家族も相当苦しい生活を強いられる。ランタンに灯した明かりのような、幸せな生活も露と消え、一生沈んで暮らすほかはないだろう。
10年後になるか、それ以上になるかは分からないが加害者少年が少年刑務所から出てきたとき、罪を償ったのでこれですべて帳消しとはならず、家族全員がこれから先途轍もなく重い鉄の十字架を背負って生きてくしかない。
どの面下げて言うんだよという意見はもちろん甘受するが、俺は人一倍理想主義者であり、ロマンティストなのだ、子供たちは喧嘩をしたり、ぶつかることはあっても仲良く楽しく暮らして欲しいと切に願う。だからこそ、こういう凄惨な事件が起きるたびにこれで最後にしてくれと思ってしまう。ごく普通の子たちが加害者になったり、被害者になったりする事件はもうまっぴらだ。