生産性を高める
- 2021/11/18
- 18:25
今回の衆院選でも一部争点になった生産性、この生産性という言葉に過剰に反応する政治家って存外多く、れいわ新選組や社民党はもちろんのこと、自民党でも野田聖子さんなどはこの手合いであると思うのですが、資本主義国家に生き続ける以上、仕事をリタイアするまでは生産性を高める努力をし続けるべきだと思うのです。
こんなことを言うと、弱者を切り捨てるのかとお叱りを受けそうですが、むしろ俺は弱者を守るために生産性を高めるべきだと思っている。
結局どんなに綺麗ごとをいったところで、金がなければなにも出来ない。
障がい者や高齢者のためにバリアフリー化をしたいと願う店舗経営者であったり、或いは自宅で要介護者を面倒見ているお父さん、金がなきゃ、スロープ一つ作れない。
少なくとも五体満足である人は無理をしてでも働いて社会に稼いだ金を還元するようにしないと益々日本って衰退していってしまうと思う。
かつて、脱税で税務署に入られたことがあります。結局、税金をたんまり取られて、その結果、高額所得者にカテゴライズされ、国民健康保険の料金がマックス迄いったことがある。当時、確か、国民年金と併せて月に7万円ぐらい払っていたんじゃないかな。
でも、そんなに国保税を支払っておきながら、風邪をひいて病院に行っても順番はいつも通り、他人より国保税を支払っているからといって順番を先に呼んでもくれないし、無料で診察を受けられる生活保護受給者と高額所得者の俺、同じ風邪なら処方される薬はどちらも同じ。まったく優遇なんてされていない。
そこで思ったのは、生活保護受給者が本来支払うべき治療費を俺が代わりに支払ってやっていると、かなり飛躍した論理ではあるがそう思って納得していたのである。
つまり、たとえ違法行為であっても、バカはバカなりに生産性を高めることを必死に考えていた。
確かに努力したって、今の世の中、慢性的なデフレに加えコロナ、そう簡単には生産性を高めるなんてことは出来ない。でも、そこを諦めてしまったらダメだろうと思っている。
この先どうなるか分からず、もしかすると来年廃業になってしまう可能性も決してゼロではないが、一応、俺の目標は70歳までは働くという人生設計をしている。今の試算で行くと、蓄えた預貯金とは別に小規模企業共済(中小企業経営者のために国が設けた退職金制度)と個人年金積立で、1500万円程度の金が入り、年金も今は厚生年金であるから15万円程度は貰える。実家に引っ込めば家賃も掛からないため、老後、金で苦労することはあまりないと思える。
その自分で勝手に決めた定年70歳までは必死に働こうと思っている。当然、生産性を高めるために勉強や研究は欠かせない。
こういう考えって間違っているのかな?
微々たるもので、実際はアリのしょんぺんよりも影響がないかもしれないけど、それでも俺がシャカリキに頑張ることによって潤う人も決してゼロではないはずだ。
個人的な資質として、必要以上に贅沢をするということはない。違法フーゾク時代、金をそれなりに持っていたがキャバクラでシャンパンタワーなんて一度もやったことがない。事実、未だかつてロマネコンティはおろか、ドンペリですら飲んだことがない。でも、だからといって貯金が趣味ではないので、出来る限りは金を遣って社会に還元する。
別にいつも言うように俺の考えが正しいとは毛頭思っていない。
アホな奴ちゃなぁと思う人がいて当然だと思う。
しかし、昔から力なき正義は無力というのです、今であれば金なき正義は無力と言い換えられるでしょう。社会的弱者を支えるためにも五体満足な健常者は必死コイて生産性を高めるべきであると思うのです。
こんなことを言うと、弱者を切り捨てるのかとお叱りを受けそうですが、むしろ俺は弱者を守るために生産性を高めるべきだと思っている。
結局どんなに綺麗ごとをいったところで、金がなければなにも出来ない。
障がい者や高齢者のためにバリアフリー化をしたいと願う店舗経営者であったり、或いは自宅で要介護者を面倒見ているお父さん、金がなきゃ、スロープ一つ作れない。
少なくとも五体満足である人は無理をしてでも働いて社会に稼いだ金を還元するようにしないと益々日本って衰退していってしまうと思う。
かつて、脱税で税務署に入られたことがあります。結局、税金をたんまり取られて、その結果、高額所得者にカテゴライズされ、国民健康保険の料金がマックス迄いったことがある。当時、確か、国民年金と併せて月に7万円ぐらい払っていたんじゃないかな。
でも、そんなに国保税を支払っておきながら、風邪をひいて病院に行っても順番はいつも通り、他人より国保税を支払っているからといって順番を先に呼んでもくれないし、無料で診察を受けられる生活保護受給者と高額所得者の俺、同じ風邪なら処方される薬はどちらも同じ。まったく優遇なんてされていない。
そこで思ったのは、生活保護受給者が本来支払うべき治療費を俺が代わりに支払ってやっていると、かなり飛躍した論理ではあるがそう思って納得していたのである。
つまり、たとえ違法行為であっても、バカはバカなりに生産性を高めることを必死に考えていた。
確かに努力したって、今の世の中、慢性的なデフレに加えコロナ、そう簡単には生産性を高めるなんてことは出来ない。でも、そこを諦めてしまったらダメだろうと思っている。
この先どうなるか分からず、もしかすると来年廃業になってしまう可能性も決してゼロではないが、一応、俺の目標は70歳までは働くという人生設計をしている。今の試算で行くと、蓄えた預貯金とは別に小規模企業共済(中小企業経営者のために国が設けた退職金制度)と個人年金積立で、1500万円程度の金が入り、年金も今は厚生年金であるから15万円程度は貰える。実家に引っ込めば家賃も掛からないため、老後、金で苦労することはあまりないと思える。
その自分で勝手に決めた定年70歳までは必死に働こうと思っている。当然、生産性を高めるために勉強や研究は欠かせない。
こういう考えって間違っているのかな?
微々たるもので、実際はアリのしょんぺんよりも影響がないかもしれないけど、それでも俺がシャカリキに頑張ることによって潤う人も決してゼロではないはずだ。
個人的な資質として、必要以上に贅沢をするということはない。違法フーゾク時代、金をそれなりに持っていたがキャバクラでシャンパンタワーなんて一度もやったことがない。事実、未だかつてロマネコンティはおろか、ドンペリですら飲んだことがない。でも、だからといって貯金が趣味ではないので、出来る限りは金を遣って社会に還元する。
別にいつも言うように俺の考えが正しいとは毛頭思っていない。
アホな奴ちゃなぁと思う人がいて当然だと思う。
しかし、昔から力なき正義は無力というのです、今であれば金なき正義は無力と言い換えられるでしょう。社会的弱者を支えるためにも五体満足な健常者は必死コイて生産性を高めるべきであると思うのです。