履き違えた勇気ほど怖いものはない
- 2021/10/17
- 09:36
長渕剛の歌の中に、STAY DREAMという曲がある。40年近く前の古い歌だ。
『一番怖いものは 勇気だと知った時、自分の弱さに思わず鼻をつまんだ』という歌詞のくだりがあるのだが、中学生のときに初めて聴いて以来、なにか理不尽な事件があるとこのフレーズがこだまする。
もちろん、長渕さんが言いたかったのは人間突き詰めると本当に怖いのは金でも地位や名誉でもなくひたむきな勇気、その無垢な勇気の前では人間はいかに無力かということだと思うのだが、俺はもう少し斜に構えて考えており、本当の恐怖には二つあると思っている。
一つは捕まって死刑判決が下るということを含めて自らの死を恐れない奴と、もはや死を超越してしまい見境のつかなくなった奴、こいつらは怖い、そしてここ数日間の間に殺人事件が重なった、一昨日も帰宅途中の女性が刺し殺され、昨日元夫が逮捕された。
何だこの野郎と、殴り合いに発展して、たまたま当たり所が悪くて死んでしまったというのであればまだ分かるのだが、あいつの命をもらってやる、そして殺害を実行に移す、ふつう、ここには途轍もなく高い壁がそびえ立っているため、学校でも職場でも、なにか不快なことがあってもそう易々と殺してやろうとは思わない。
ただ、その高い壁にも人が人の命を奪ってはいけないという倫理的な意味と人を殺すと死刑になったり、長期で服役しなくてはならず、それは嫌だから人は殺さないという打算的な意味があると思う。
いずれにせよ、世の中には高い壁をいとも簡単に飛び越えられる奴がいる。それが語弊を承知でいうと『一番怖いものは 勇気』なのだ。長渕さんの言うピュアな勇気と性根の腐った蛮勇とを同一視は出来ないが、要は本当に怖いのは死を恐れず向かってくる奴とそもそも殺しにきていて矛盾してしまうが死を分かっていない、いわゆるキチガイは怖いということ。
19才の少年が逮捕された甲府の放火殺人、最近は凶悪犯の場合、未成年であっても死刑判決が下ることが多いから恐らく極刑は免れないだろうが、コイツはいったいなにをしたかったのか。好意を寄せていた同級生にありていに言えばフラれた。報道によると逮捕された少年は相当なイケメンであったという、これまでフルことはあってもフラれたことはなく、自尊心を傷付けられ自暴自棄になったのだろうか、そのへんのいきさつはよく分からないが、そこからどういうふうに思考が殺害に向けて変遷していくのか、常人にはまったくの理解不能。
本当に不謹慎な話で申し訳ないが、もし殺すのであれば父親母親ではなく、フッた長女の方じゃないのか、それともこんなわからずやの娘を生んだお前ら夫婦が悪いという理屈だったのか、いやなにも考えておらず、ひたすら殺さなければダメだと一方的に殺意を募らせていったのか、よく分からない。
それでも確実に言えるのは死を恐れもせず、一心不乱に向かってくる人間に対してはSPのついた天皇陛下とか総理大臣とか、或いは山口組の司忍組長でもない限り、勝ち目がない。
一応、警察によってはGPS付きの通報装置を無償で貸し出してくれる。実は俺もかつてそれを渡されていたときがあった。ボタンを押すと警備会社にSOSが通知され、GPSの位置情報によって確か20分以内だったと思うが訓練を受けた警備員が助けに来てくれるという。警察に相談しておいて、来るのはなんでセコムの警備員なんだよというきらいはあるにしても、ストーカー殺人や暴力団、半グレ絡みの事件も多いため官と民とが協力して防犯対策をしているのは良いことだろう、しかし最大の問題は警備員が到着するまでの20分という時間、これだけの時間があればもうすでに殺されている。
ちなみに借りといてなんだが、俺は持ち歩いてはいなかった。別に暴力団事務所の金庫から金をかっぱらったわけでもあるまいし、なんでヤクザが俺を殺しに来るんだよと思っていたし、来たら来たでそれは面白い、一人二人ならやってやろうと思っていた。
話を戻すと、一般市民が365日24時間体制で警備をしてもらうというのは土台無理な話だ。呆れるぐらいの金があれば警備員を雇うことも出来ようがそんなことが出来る民間人っていったいどれぐらいいるのか。
つまり、勇気の意味を履き違えてしまったバカから逃げる手立てなどない。狙われたらお仕舞いだ。しかも、甲府の事件に関して言うと、かつて交際していたわけではなく、一方通行の恋愛感情だ。どうやって避けろっていうのって話じゃないか。
これもインターネット上の話だがこの長女はとにかく誰に対しても優しく思いやりのある性格で、男女を問わずみんなから慕われていたという。
もしそうであるなら、人間の理想とする優しく思いやりがあったがために被疑者少年を勘違いさせてしまったという理屈にもなるが、そんなバカな。こんな俺であっても一応は優しく思いやりのある人間になりたいと思っている。仮に死ぬまでその境地に達するのは無理であってもそういうふうに生きたいと願っている。でも、下手に優しく思いやりがあると殺されてしまうこともあるので別に優しくなくていい、思いやりもないほうがいいよという話なってしまう、さすがにそれはないだろう。
また、わたくしごとだが、好きな言葉に「至誠天に通ず」という言葉がある。孟子の言葉で、中国語では「至誠通天」という。
至誠とは極めて純粋な真心のことを言い、優しさや思いやりなど、人のために思って行動すればいつかそれは天を通じ認められるという意味。
この長女の至誠が持って生まれたものなのか、日々の生活で学んでいって自然に身につけたものなのかは知らないが生き方としてはこれほどの正答ってないだろう。その正答が仇になってしまったというのであれば本当にいたたまれないし、いったい我々はなにを心の拠り所として生きていけばいいのかという話でもある。
『一番怖いものは 勇気だと知った時、自分の弱さに思わず鼻をつまんだ』という歌詞のくだりがあるのだが、中学生のときに初めて聴いて以来、なにか理不尽な事件があるとこのフレーズがこだまする。
もちろん、長渕さんが言いたかったのは人間突き詰めると本当に怖いのは金でも地位や名誉でもなくひたむきな勇気、その無垢な勇気の前では人間はいかに無力かということだと思うのだが、俺はもう少し斜に構えて考えており、本当の恐怖には二つあると思っている。
一つは捕まって死刑判決が下るということを含めて自らの死を恐れない奴と、もはや死を超越してしまい見境のつかなくなった奴、こいつらは怖い、そしてここ数日間の間に殺人事件が重なった、一昨日も帰宅途中の女性が刺し殺され、昨日元夫が逮捕された。
何だこの野郎と、殴り合いに発展して、たまたま当たり所が悪くて死んでしまったというのであればまだ分かるのだが、あいつの命をもらってやる、そして殺害を実行に移す、ふつう、ここには途轍もなく高い壁がそびえ立っているため、学校でも職場でも、なにか不快なことがあってもそう易々と殺してやろうとは思わない。
ただ、その高い壁にも人が人の命を奪ってはいけないという倫理的な意味と人を殺すと死刑になったり、長期で服役しなくてはならず、それは嫌だから人は殺さないという打算的な意味があると思う。
いずれにせよ、世の中には高い壁をいとも簡単に飛び越えられる奴がいる。それが語弊を承知でいうと『一番怖いものは 勇気』なのだ。長渕さんの言うピュアな勇気と性根の腐った蛮勇とを同一視は出来ないが、要は本当に怖いのは死を恐れず向かってくる奴とそもそも殺しにきていて矛盾してしまうが死を分かっていない、いわゆるキチガイは怖いということ。
19才の少年が逮捕された甲府の放火殺人、最近は凶悪犯の場合、未成年であっても死刑判決が下ることが多いから恐らく極刑は免れないだろうが、コイツはいったいなにをしたかったのか。好意を寄せていた同級生にありていに言えばフラれた。報道によると逮捕された少年は相当なイケメンであったという、これまでフルことはあってもフラれたことはなく、自尊心を傷付けられ自暴自棄になったのだろうか、そのへんのいきさつはよく分からないが、そこからどういうふうに思考が殺害に向けて変遷していくのか、常人にはまったくの理解不能。
本当に不謹慎な話で申し訳ないが、もし殺すのであれば父親母親ではなく、フッた長女の方じゃないのか、それともこんなわからずやの娘を生んだお前ら夫婦が悪いという理屈だったのか、いやなにも考えておらず、ひたすら殺さなければダメだと一方的に殺意を募らせていったのか、よく分からない。
それでも確実に言えるのは死を恐れもせず、一心不乱に向かってくる人間に対してはSPのついた天皇陛下とか総理大臣とか、或いは山口組の司忍組長でもない限り、勝ち目がない。
一応、警察によってはGPS付きの通報装置を無償で貸し出してくれる。実は俺もかつてそれを渡されていたときがあった。ボタンを押すと警備会社にSOSが通知され、GPSの位置情報によって確か20分以内だったと思うが訓練を受けた警備員が助けに来てくれるという。警察に相談しておいて、来るのはなんでセコムの警備員なんだよというきらいはあるにしても、ストーカー殺人や暴力団、半グレ絡みの事件も多いため官と民とが協力して防犯対策をしているのは良いことだろう、しかし最大の問題は警備員が到着するまでの20分という時間、これだけの時間があればもうすでに殺されている。
ちなみに借りといてなんだが、俺は持ち歩いてはいなかった。別に暴力団事務所の金庫から金をかっぱらったわけでもあるまいし、なんでヤクザが俺を殺しに来るんだよと思っていたし、来たら来たでそれは面白い、一人二人ならやってやろうと思っていた。
話を戻すと、一般市民が365日24時間体制で警備をしてもらうというのは土台無理な話だ。呆れるぐらいの金があれば警備員を雇うことも出来ようがそんなことが出来る民間人っていったいどれぐらいいるのか。
つまり、勇気の意味を履き違えてしまったバカから逃げる手立てなどない。狙われたらお仕舞いだ。しかも、甲府の事件に関して言うと、かつて交際していたわけではなく、一方通行の恋愛感情だ。どうやって避けろっていうのって話じゃないか。
これもインターネット上の話だがこの長女はとにかく誰に対しても優しく思いやりのある性格で、男女を問わずみんなから慕われていたという。
もしそうであるなら、人間の理想とする優しく思いやりがあったがために被疑者少年を勘違いさせてしまったという理屈にもなるが、そんなバカな。こんな俺であっても一応は優しく思いやりのある人間になりたいと思っている。仮に死ぬまでその境地に達するのは無理であってもそういうふうに生きたいと願っている。でも、下手に優しく思いやりがあると殺されてしまうこともあるので別に優しくなくていい、思いやりもないほうがいいよという話なってしまう、さすがにそれはないだろう。
また、わたくしごとだが、好きな言葉に「至誠天に通ず」という言葉がある。孟子の言葉で、中国語では「至誠通天」という。
至誠とは極めて純粋な真心のことを言い、優しさや思いやりなど、人のために思って行動すればいつかそれは天を通じ認められるという意味。
この長女の至誠が持って生まれたものなのか、日々の生活で学んでいって自然に身につけたものなのかは知らないが生き方としてはこれほどの正答ってないだろう。その正答が仇になってしまったというのであれば本当にいたたまれないし、いったい我々はなにを心の拠り所として生きていけばいいのかという話でもある。