親ガチャ
- 2021/09/19
- 23:37
親ガチャ外れた。
最近のトレンドであるが、あまり関心できる話ではないと思うな。
親が典型的なネグレクトであり、食事の用意はもちろんのこと、学校で必要なものすら買ってもらえないというのであれば分かる、或いは虐待癖があり、理不尽な暴力を親から受けていたというのであればそれは確かに親ガチャ外れたというのも理解できるのだが、そういう犯罪的なことではなく、例えば本当は大学行きたかったのに両親ともに高卒、だから俺も遺伝してしまい頭が悪いままだったとか、或いはサッカー選手になりたかったが父親も母親も運動神経はごく平凡、自分もその身体能力を受け継いでしまったのでサッカー選手は諦めたとか、それって本当に親ガチャ外れたといえるのか。
財力、知性、容姿、全てのものが満ち足りている人っていったいどれぐらいいるのだろう。
殆どの人がなにか足りないと思う。
今もそうかどうかは分からないが、かつて日本リーグ6連覇、リーグ戦88連勝を達成し、所属部員から多くのオリンピック選手を輩出した名門日立バレー部、このジュニアチームに入部できる資格は両親の身長が170cm以上というものであった。親御さんのどちらかが170cm未満であるとどんなにバレーボールのセンスがあっても入部出来なかった。この話を聞いたのは今から四十年ぐらい前の小学生のとき、今と違い、男ですら170cmの身長が珍しかった時代に母親にも170cm以上というハードルを設けているのだから相当狭き門である。
でもですよ、入部出来なかったからといって別に親ガチャ外れたというのは違うと思う。
たまたま身長が足りず、入部できなかったとしても、親から受けた愛情に対して自分自身がその愛情を誇りに感じているのであればそれはむしろ親ガチャ大当たりだといえるのでしないでしょうか。
あまりこういうたとえをすべきではないと思うのだが、これを読んでいる方の殆どが五体満足であると思う。
しかし、世の中には生まれつき体に障害のある方や生まれつき重い心臓病を患っているということもある。もちろん、人の考えなど十人十色、千差万別、生まれながらハンディキャップを背負わされたことに対してひどく親を怨んでいる人もそりゃあいるとは思う。親を怨む気持ちが決して正しいとは思わないものの、それでも一定程度親を怨む気持ちも理解ができる。
ただ、それでも、そういったハンディキャップを背負っている方の何割かは親を怨むどころか、献身的に介助してくれていることに対して大変感謝をしているのではないかと思うのです。
アンケートを取ったわけではないので親を怨んでいる障害者と親を誇りに思っている障害者の割合がいったいどれぐらいなのかはまったく見当がつかず、あくまでも俺の推論ではしかないが、少なくとも半分以上の障害者の方は親に対して感謝をしていると思う。
本来、こうして大変な状況にいる人達と比べることは不謹慎極まりない話かもしれないが、それでもやっぱり五体満足であるだけ随分恵まれているなと俺なんかは思っている。
これもまた私事であるが、俺と弟、同じ親から生まれたはずなのに性格や脳みその出来がまるで違う。
弟は一流大学を卒業後一部上場の商社に入社して、四十代であるのに部長である。将来は取締役を目指すと言っているが話を聞く限り、あながち世迷い話でもないように思う。対して俺は・・・、まあ言わずもがなのパー太郎、ではなんで弟とこんなに差がついたのかというと単に弟は一生懸命努力をしたからであり、俺はまったく努力をしなかったからというだけ。親ガチャ云々はまったく見当違いな話。
先の日立バレー部の話ではないが、生きていると自分の努力じゃどうしようもないということは現実問題として当たり前のように起こりえる。今がまさにその通りでコロナ禍なんて自分の努力がどうのという次元をとっくに超えてしまっている。
だが、日立のバレー部に入部できなくともバレーボールは出来る。センスがあれば他のチームが認めてくれるかもしれない。或いはバレーボール以外の別の何かに生きがいを見出すこともあるだろう。
人生なんて得てしてそんなものじゃないのか。一事が万事、すべてがうまくいかないから面白いのだ。野球選手全員が大谷翔平であったら野球なんかそもそも見る価値がない。どの選手にも長所、短所があるから個性が光り面白いのだ。
最初にいったように子育てを放棄した犯罪的な親は当然別問題であるが、はたから見たら平凡で、なんの取り柄もなさそうな親であっても一生懸命働いて子供を食わしているのであればそれは親ガチャ外れたなどと口が裂けても言うべきではないと思う。
日本の社会構造上、一流大学を卒業した方がその後の人生に於いては豊かな人生を送れることが多い、これは事実だ。じゃなかったら苦労して受験勉強なんかする必要がないし、高い授業料を払って大学に通う意味がない。そういう一流大学卒者が報われるというのは正しい社会構造。
とはいえ、絶対に一流大学を卒業していないと不幸せになるのかといえば間違いなくそんなことはない。
中卒だって、高卒だって、一生懸命働いて、満たされた生活を送っている人などいくらでもいる。年収の多寡だけでいうのであれば上場企業の雇われ社長より、よっぽど稼いでいる中小企業の社長など世にごまんといる。
身も蓋もない話であるが今更親ガチャ外れたといったところでなにも変わらない。親ガチャ外れたとなじることによって事態が好転するのであれば好きほどなじれと思うし、生んでくれた親御さんも本望であると思うが、世間一般の評価でいうと、コイツは親のことを大事に出来ないダメな奴だというレッテルが貼られてお仕舞い。
そりゃそうだろう、コイツに目をかけてやっても会社ガチャに外れた、上司ガチャに外れたと言い出すに決まっている。それであれば何かが足りないなりにも工夫して頑張ろうと思っている人の方を高く評価する。恋愛だってそうだろう、親ガチャ外れたなんて、平気でいっている奴はきっとなにかあれば私のこともすぐに彼女ガチャ外れたといってなじるのだろうと思ってしまう。
実際はそこまで深刻な話じゃないかもしれないが、だからといって親ガチャ外れたなどと軽々しく口に出すことはお前自身が軽く見られるからやめたほうがいいですよと、俺はそう思うな。
最近のトレンドであるが、あまり関心できる話ではないと思うな。
親が典型的なネグレクトであり、食事の用意はもちろんのこと、学校で必要なものすら買ってもらえないというのであれば分かる、或いは虐待癖があり、理不尽な暴力を親から受けていたというのであればそれは確かに親ガチャ外れたというのも理解できるのだが、そういう犯罪的なことではなく、例えば本当は大学行きたかったのに両親ともに高卒、だから俺も遺伝してしまい頭が悪いままだったとか、或いはサッカー選手になりたかったが父親も母親も運動神経はごく平凡、自分もその身体能力を受け継いでしまったのでサッカー選手は諦めたとか、それって本当に親ガチャ外れたといえるのか。
財力、知性、容姿、全てのものが満ち足りている人っていったいどれぐらいいるのだろう。
殆どの人がなにか足りないと思う。
今もそうかどうかは分からないが、かつて日本リーグ6連覇、リーグ戦88連勝を達成し、所属部員から多くのオリンピック選手を輩出した名門日立バレー部、このジュニアチームに入部できる資格は両親の身長が170cm以上というものであった。親御さんのどちらかが170cm未満であるとどんなにバレーボールのセンスがあっても入部出来なかった。この話を聞いたのは今から四十年ぐらい前の小学生のとき、今と違い、男ですら170cmの身長が珍しかった時代に母親にも170cm以上というハードルを設けているのだから相当狭き門である。
でもですよ、入部出来なかったからといって別に親ガチャ外れたというのは違うと思う。
たまたま身長が足りず、入部できなかったとしても、親から受けた愛情に対して自分自身がその愛情を誇りに感じているのであればそれはむしろ親ガチャ大当たりだといえるのでしないでしょうか。
あまりこういうたとえをすべきではないと思うのだが、これを読んでいる方の殆どが五体満足であると思う。
しかし、世の中には生まれつき体に障害のある方や生まれつき重い心臓病を患っているということもある。もちろん、人の考えなど十人十色、千差万別、生まれながらハンディキャップを背負わされたことに対してひどく親を怨んでいる人もそりゃあいるとは思う。親を怨む気持ちが決して正しいとは思わないものの、それでも一定程度親を怨む気持ちも理解ができる。
ただ、それでも、そういったハンディキャップを背負っている方の何割かは親を怨むどころか、献身的に介助してくれていることに対して大変感謝をしているのではないかと思うのです。
アンケートを取ったわけではないので親を怨んでいる障害者と親を誇りに思っている障害者の割合がいったいどれぐらいなのかはまったく見当がつかず、あくまでも俺の推論ではしかないが、少なくとも半分以上の障害者の方は親に対して感謝をしていると思う。
本来、こうして大変な状況にいる人達と比べることは不謹慎極まりない話かもしれないが、それでもやっぱり五体満足であるだけ随分恵まれているなと俺なんかは思っている。
これもまた私事であるが、俺と弟、同じ親から生まれたはずなのに性格や脳みその出来がまるで違う。
弟は一流大学を卒業後一部上場の商社に入社して、四十代であるのに部長である。将来は取締役を目指すと言っているが話を聞く限り、あながち世迷い話でもないように思う。対して俺は・・・、まあ言わずもがなのパー太郎、ではなんで弟とこんなに差がついたのかというと単に弟は一生懸命努力をしたからであり、俺はまったく努力をしなかったからというだけ。親ガチャ云々はまったく見当違いな話。
先の日立バレー部の話ではないが、生きていると自分の努力じゃどうしようもないということは現実問題として当たり前のように起こりえる。今がまさにその通りでコロナ禍なんて自分の努力がどうのという次元をとっくに超えてしまっている。
だが、日立のバレー部に入部できなくともバレーボールは出来る。センスがあれば他のチームが認めてくれるかもしれない。或いはバレーボール以外の別の何かに生きがいを見出すこともあるだろう。
人生なんて得てしてそんなものじゃないのか。一事が万事、すべてがうまくいかないから面白いのだ。野球選手全員が大谷翔平であったら野球なんかそもそも見る価値がない。どの選手にも長所、短所があるから個性が光り面白いのだ。
最初にいったように子育てを放棄した犯罪的な親は当然別問題であるが、はたから見たら平凡で、なんの取り柄もなさそうな親であっても一生懸命働いて子供を食わしているのであればそれは親ガチャ外れたなどと口が裂けても言うべきではないと思う。
日本の社会構造上、一流大学を卒業した方がその後の人生に於いては豊かな人生を送れることが多い、これは事実だ。じゃなかったら苦労して受験勉強なんかする必要がないし、高い授業料を払って大学に通う意味がない。そういう一流大学卒者が報われるというのは正しい社会構造。
とはいえ、絶対に一流大学を卒業していないと不幸せになるのかといえば間違いなくそんなことはない。
中卒だって、高卒だって、一生懸命働いて、満たされた生活を送っている人などいくらでもいる。年収の多寡だけでいうのであれば上場企業の雇われ社長より、よっぽど稼いでいる中小企業の社長など世にごまんといる。
身も蓋もない話であるが今更親ガチャ外れたといったところでなにも変わらない。親ガチャ外れたとなじることによって事態が好転するのであれば好きほどなじれと思うし、生んでくれた親御さんも本望であると思うが、世間一般の評価でいうと、コイツは親のことを大事に出来ないダメな奴だというレッテルが貼られてお仕舞い。
そりゃそうだろう、コイツに目をかけてやっても会社ガチャに外れた、上司ガチャに外れたと言い出すに決まっている。それであれば何かが足りないなりにも工夫して頑張ろうと思っている人の方を高く評価する。恋愛だってそうだろう、親ガチャ外れたなんて、平気でいっている奴はきっとなにかあれば私のこともすぐに彼女ガチャ外れたといってなじるのだろうと思ってしまう。
実際はそこまで深刻な話じゃないかもしれないが、だからといって親ガチャ外れたなどと軽々しく口に出すことはお前自身が軽く見られるからやめたほうがいいですよと、俺はそう思うな。