リーダーが思うは駄目だと思う
- 2021/09/14
- 10:25
政治の焦点は次の総理大臣が誰かということであり、今更、やめていく人のことなどどうでもいいのだが、菅総理のダメなところをあえて言うのであれば、「思うを連発して言い切ることが出来ない」という点。
本人たちが意識しているしていないは別にして、菅さんはついつい小池百合子都知事と比較されがち。小池さん自体、コロナ対策やオリンピック・パラリンピックに関しては結構とんちんかんな発言をしているけれど、それでも政治家として凄みを感じるのは小気味よくすべてを言い切ってしまうこと。殆ど「思う」という表現を使わない。また、すべて自分の言葉で発している。
対して菅さんはとにかく「思います」という表現が多い。口癖なのかもしれないが、一国の宰相が思いますじゃ駄目だろう、結果的に失敗したり、間違いだったとしても言い切ってしまわないと、国民はいったい誰を信じればいいのかという話になってしまう。
早い話、総理大臣というのは荒波に漂う船の船長なのだ。乗組員は一蓮托生、座礁して難破するかもしれない、その時にリーダーが「ガースーです、私は右に行くべきだと思います」なんて言っていたら、思いますじゃねぇだろう、命を託するのに大丈夫かよって話じゃない。「右に舵を取れ」、これだけでいいのだ。その結果右に舵を切ったことが間違いで座礁したとしてもそれはそれで納得が出来る。
個人的に菅さんが決定的にダメだと思ったのは、コロナ対策での記者会見、記者からコロナ対策について問われたとき、言葉に窮し、同席していた尾身会長の顔をチラッと見て、助け船を求めたのだ。
小池都知事も大阪の吉村府知事も、イチイチ細かい数字の部分までは認識していないだろう。だいたい彼らは科学者ではないのでコロナに関する枝葉末節はせいぜい通り一遍の知識しかないだろう。だが、二人とも記者から意地悪な質問が飛んできても、だからこうなんですと言い切っている。分からなければ分からないという。
菅さんの考えでは、曖昧な答弁をするぐらいなら専門家に答えてもらったことのほうがよっぽど誠実だと考えたのであろう。
しかし、文系学部出身の総理大臣にそもそも医学的な知見など求めていない。国民はこの人に任せておいたら安心だと思いたいのだ。それでなくとも先が見えず不安なのだ、そんな時に、「私はそう思います」とはなにを呑気なことを言ってんだと憤りを感じるだろう。
総理が言い切ることによって、絶望的になる人もそりゃあいるでしょう、でも、多くの国民が納得してくれればそれでいいのだ、そもそも一億人がすべて納得するなんてことは土台無理な話、それであれば国民の半分が納得してもらえれば御の字と考えて、スパっと、言い切ってくれた方がよっぽど誠実だろう。極論を言えば、三人の人がいて、一人殺せば二人は助かるが一人を殺さないと全員死ぬといったとき、非情な決断だが一人には死んでもらうしかない。それが政治。
今は有事である。もちろん、助けられるものは助けるべきであるが、どう頑張ったって助けられないということもあるじゃない、今でいえば観光業界、観光業も助けなきゃと義憤に駆られるのは結構だが、国民の多くがまともに生活出来ていないときに観光業を助けましょうと、GO TO トラベルをしようとは正気の沙汰か。
コロナを封じ込めるためには観光業界が割りを食うの仕方ないだろう。結果的に既存の勢力が死んでしまったとしても落ち着けばまた誰かがやるのだ。ぽっかり観光業界全体に穴が開いたとしても、そこに需要があれば誰かが参入するので心配ない。
それを助けなきゃと義務感に苛まれるのはある意味菅さんの優しさなのかもしれないが、その結果、多くの国民が長期に渡って疲弊して、却って経済を混乱させるということが現実問題としてある。優柔不断な優しさは国民を地獄にいざなう甘い毒薬。
誰からも好い人だと褒められたいのか、もしそういう考えの政治家がいたら失格です。
政治家とは時には非情の剣を振るって、善人を斬り殺さねばならない。元よりその覚悟がない人は政治家になるべきではない。
本人たちが意識しているしていないは別にして、菅さんはついつい小池百合子都知事と比較されがち。小池さん自体、コロナ対策やオリンピック・パラリンピックに関しては結構とんちんかんな発言をしているけれど、それでも政治家として凄みを感じるのは小気味よくすべてを言い切ってしまうこと。殆ど「思う」という表現を使わない。また、すべて自分の言葉で発している。
対して菅さんはとにかく「思います」という表現が多い。口癖なのかもしれないが、一国の宰相が思いますじゃ駄目だろう、結果的に失敗したり、間違いだったとしても言い切ってしまわないと、国民はいったい誰を信じればいいのかという話になってしまう。
早い話、総理大臣というのは荒波に漂う船の船長なのだ。乗組員は一蓮托生、座礁して難破するかもしれない、その時にリーダーが「ガースーです、私は右に行くべきだと思います」なんて言っていたら、思いますじゃねぇだろう、命を託するのに大丈夫かよって話じゃない。「右に舵を取れ」、これだけでいいのだ。その結果右に舵を切ったことが間違いで座礁したとしてもそれはそれで納得が出来る。
個人的に菅さんが決定的にダメだと思ったのは、コロナ対策での記者会見、記者からコロナ対策について問われたとき、言葉に窮し、同席していた尾身会長の顔をチラッと見て、助け船を求めたのだ。
小池都知事も大阪の吉村府知事も、イチイチ細かい数字の部分までは認識していないだろう。だいたい彼らは科学者ではないのでコロナに関する枝葉末節はせいぜい通り一遍の知識しかないだろう。だが、二人とも記者から意地悪な質問が飛んできても、だからこうなんですと言い切っている。分からなければ分からないという。
菅さんの考えでは、曖昧な答弁をするぐらいなら専門家に答えてもらったことのほうがよっぽど誠実だと考えたのであろう。
しかし、文系学部出身の総理大臣にそもそも医学的な知見など求めていない。国民はこの人に任せておいたら安心だと思いたいのだ。それでなくとも先が見えず不安なのだ、そんな時に、「私はそう思います」とはなにを呑気なことを言ってんだと憤りを感じるだろう。
総理が言い切ることによって、絶望的になる人もそりゃあいるでしょう、でも、多くの国民が納得してくれればそれでいいのだ、そもそも一億人がすべて納得するなんてことは土台無理な話、それであれば国民の半分が納得してもらえれば御の字と考えて、スパっと、言い切ってくれた方がよっぽど誠実だろう。極論を言えば、三人の人がいて、一人殺せば二人は助かるが一人を殺さないと全員死ぬといったとき、非情な決断だが一人には死んでもらうしかない。それが政治。
今は有事である。もちろん、助けられるものは助けるべきであるが、どう頑張ったって助けられないということもあるじゃない、今でいえば観光業界、観光業も助けなきゃと義憤に駆られるのは結構だが、国民の多くがまともに生活出来ていないときに観光業を助けましょうと、GO TO トラベルをしようとは正気の沙汰か。
コロナを封じ込めるためには観光業界が割りを食うの仕方ないだろう。結果的に既存の勢力が死んでしまったとしても落ち着けばまた誰かがやるのだ。ぽっかり観光業界全体に穴が開いたとしても、そこに需要があれば誰かが参入するので心配ない。
それを助けなきゃと義務感に苛まれるのはある意味菅さんの優しさなのかもしれないが、その結果、多くの国民が長期に渡って疲弊して、却って経済を混乱させるということが現実問題としてある。優柔不断な優しさは国民を地獄にいざなう甘い毒薬。
誰からも好い人だと褒められたいのか、もしそういう考えの政治家がいたら失格です。
政治家とは時には非情の剣を振るって、善人を斬り殺さねばならない。元よりその覚悟がない人は政治家になるべきではない。