インフルエンサーとしてのセミナー講師?は、バカ?
- 2021/07/16
- 14:11
唐突ですが俺ってボチボチ優秀なんじゃないかと思っている。
どのへんが優秀なのかというと、自分が無能であるということを誰よりもよく知っているから優秀だと思うのです。いいですか、俺は無能なのです、それも果てしなく無能。勉強も出来ない、スポーツも出来ない、ルックスも悪く、なんの取り柄もない無能です。
その無能を弁えているから優秀だといっている。WEB制作の仕事をしていると、時折、セミナー講師として稼ぎたいからそのバックアップしてくれと頼まれることがある、俺の見立ては金さえ払ってくれれば段取りをしてあげるが内心は多分成功しないだろうなというもの。事実、携わった人全員、超低空飛行をしたまま一度も上昇することなく今に至る。
彼らは皆さん、本業があります。本業は確かに上手くいっている、いや上手くいっていたが正解か?いずれにしてもひたすら本業に勤しんでいればいいものをなんだろ、ホリエモンとか西村博之氏に憧れんのかね、この手のネット有名人を見ていると、自分も真似したくなり表舞台に立てると思ってしまうのだろう、立とうと思ったことがないので知らんけど。
言っちゃ悪いけど、彼らは戦う前から既に再起不能なほど大敗を喫している、戦う前から再起不能ってどんだけだよと言われるがそれが現実なのです、だから有名なネットインフルエンサーやセミナー講師になどなれっこない。何故なら全然魅力のないいわゆる普通の人たちだから。
ハッキリ言ってこれは俺も含めてですが、小市民は本業に勤しむべきなのです。俺は無能なのを自認しているため本業以外はしない。確かにこのまま続けていたとしてもプライベートジェットを所有することは終生無理だが、それでもそれなりにうまいものを食べたりして楽しく過ごせている。これじゃダメなのか?
たとえば手前味噌だが、俺は結構歌が上手い方であると思っており、事実、過去に一度も音痴と呼ばれたことがない。カラオケの機械でも100点など何回もある。でも、歌手になろうなどと大それたことを思ったことはない。夢すら見ていない。俺程度の歌の上手い人など世の中には掃いて捨てるほどおり、それが社会だと思っているから俺は最底辺の人間として違法フーゾクを経営したり、今のWEB制作をしている。逮捕されてしまったということはさておき、幸いなことに違法フーゾクではボチボチ成功を収められ、WEB制作は順調である。これ以上はなにを望もうか。仮に望むのであればWEB制作について他県に支店を作るなどそういう方向でビジネス展開をしていく。昨日も銀行の担当者にこの不景気な時代に大したものですねと誉められた。
俺は無能なのに無能だということを認められない奴をバカと呼んでいる。
バカでも果てしない大バカ野郎であればこれはこれでネット有名人として成功するかもしれないが当たり障りのない野菜でいえば無くても困らないサニーレタス程度の奴が海千山千の猛者ぞろいの大舞台で果たして勝てんのかといえばまあ無理でしょう。身の丈を弁えろと思う。
なんでこういうことを書いたのかというと、俺が生まれた昭和48年世代というのは社会人としてバブルを経験していない。バブルが弾けたのが1991年、当時高校3年生であるから中卒の人を除いて基本的に社会に出ていない人が大半、そのバブルが弾けた時に見たのが、元々お饅頭屋さんを営んでいました、銀行や証券会社にそそのかされて土地や株を買ったら大儲け、1個50円の饅頭なんかバカらしくて作ってられんと饅頭屋を閉めてニワカ成金の出来上がり、大学で経済学を学んだわけでもなく、ただ証券会社の営業マンに言われるがままに株を買っていた元饅頭屋のオヤジはその都度大儲け、しかし我が世の春は長くはなかった。バブルが弾け、土地や株は大暴落、株を勧めていた山一証券までが倒産する始末、残ったのはケツも拭けない株券と借金の山、結局、家土地全て失い自己破産という事例が日本全国津々浦々あちこちで見られた。
覆面少年は思いました、何かで成功したとしても決してうぬ惚れることなく本業に勤しめと、饅頭屋は饅頭だけを作っていればいいんだと。
これが俺の商売人としての原風景。
神様って実はすごく意地悪な奴で全員平等にマルチな才能を授けてくれればいいのに大抵の人には1つぐらいしか職業として喰える能力を与えてくれない。けちん坊せずに3つも4つも寄越せと思うが数万人に1人の選ばれた人にしかそういうマルチな才能は与えない。
たまたま俺の場合は違法フーゾクの経営という凡そ才能とは呼べぬ才能とパソコンやインターネットが本来好きではない人間になぜかWEB制作の才能を与えてくれた。普通の人は1つしかもらえないところを俺は特別に2つもらえた、最高です、意地悪な「奴」なんていってごめんなさい。
人生一度きり、なにをしようと自由。
ただ、自分の知り合いにTという男がいた。DTPオペレーター(雑誌やチラシのデザインを作る人のこと)としてはそれなりに腕があり、チラシや雑誌のデザインが上手い奴だと認めていた。このT、DTPオペレーターとし与えられた仕事をしていればいいのに、夢見がちな性格でデリヘルをやるとか、パチンコ店を特集したフリーペーパーを刊行しようだとかと、とにかく八方美人。DTPオペレーターだけ真面目にやっていれば月に20万から50万円ぐらい稼げていたんだからそれでいいだろうよ、Tを信頼してくれている上客のクライアントさんもそれなりにいていったい何が不服なのだと思ったのだが所詮は人ごとであるから放っておいたら案の定どれも手付かずになり、終いには闇金にまで手を出してしまう、結局、信頼してくれていたクライアントも失い、八方ふさがりになったTは車の中でロープで首を吊って死んだ。死ぬ直前俺にも金の無心の電話があったが借りるというのは返せるあてのある人がいう言葉であり、キミの場合は返せるあてがないのでくれというべきだが、残念ながらキミに金をくれてやる理由が俺にはないので他をあたってくださいと電話を切った。その数時間後に死んだ。
俺が仮に金を貸したところで死ぬのが何日か遅れただけであろうから俺自身悔いなどまったくない。むしろこれからは金の無心をされずに済むと清々した気持ちであった。後日、Tと関わった人、数名と仕事がらみで会ったが皆一様に死んでくれてよかったと言っていたのは妙に納得した。その中には数万円、Tに金を貸したままの人もいたがこれで諦めがつきます、Tが生きていればこちらも督促の電話をしなくちゃいけないし、イチイチ奴の言い訳を聞くのが腹立たしい、かといって返すのはいつでもいいよといえるほど自分も人間出来ちゃいないと言ってたが、自分も含めて全員が全員、金のトラブルがなく、事故や病気でTが死んだら葬式に行くような間柄であったが誰一人として奴の葬式に参列しなかったというのだから分かりやすい。
恨むならDTPオペレーターとしての才能しか与えられていないのにあれこれと夢を見過ぎてしまうからこうなってしまったのだという自分自身に対してだ。
まあコイツの場合、重度のパチンコ依存症、最後はにっちもさっちもいかず自ら死を選んだ。電車に飛び込んで他人に迷惑を掛けなかったことだけは褒められるが、真面目にDTPオペレーターだけやっていればなぁ、親御さんも悲しまずに済んだのにと思ったものだ。
別に法律に触れさえしなければ(俺は法律に思いっきり触れていたが)、なにをしても構わない、人生一度きりだ、そういう意味では中国や北朝鮮などの社会主義国と違い自由はある。でもまた、裏を返すと人生は一度きりなのである、二十代ならともかく、ふつう三十代半ばすぎると一度の失敗が命取りになる。マルチな能力がある人というのは実のところ遅くとも中学生あたりで既に頭角を現し、何かしら天才の片鱗を見せつけているものだろう。それが勉強なのか、スポーツなのか、芸術や趣味なのかは分からないが目立っていたはずだ。氷室京介は子供の頃から氷室京介であったはず。寺西修(氷室京介の本名)少年が努力して氷室京介になったのではなく、元々氷室京介であったのである。
マルチな才能がある選ばれた人はその才能を最大限生かすべき、そうじゃなかったら才能を与えてくれた神様に対して申し訳が立たない。
でも、99%以上の普通の人は与えられた1つか2つかの才能の中で上手に生きていくべきだと、僕はそう思うのです。
当然、お前何を言っているんだ、ふざけんなというご意見もあるでしょう、別に否定はしません、でもイチイチメールなんか送ってくんな、うざったい。そういうの要らないんだ。
どのへんが優秀なのかというと、自分が無能であるということを誰よりもよく知っているから優秀だと思うのです。いいですか、俺は無能なのです、それも果てしなく無能。勉強も出来ない、スポーツも出来ない、ルックスも悪く、なんの取り柄もない無能です。
その無能を弁えているから優秀だといっている。WEB制作の仕事をしていると、時折、セミナー講師として稼ぎたいからそのバックアップしてくれと頼まれることがある、俺の見立ては金さえ払ってくれれば段取りをしてあげるが内心は多分成功しないだろうなというもの。事実、携わった人全員、超低空飛行をしたまま一度も上昇することなく今に至る。
彼らは皆さん、本業があります。本業は確かに上手くいっている、いや上手くいっていたが正解か?いずれにしてもひたすら本業に勤しんでいればいいものをなんだろ、ホリエモンとか西村博之氏に憧れんのかね、この手のネット有名人を見ていると、自分も真似したくなり表舞台に立てると思ってしまうのだろう、立とうと思ったことがないので知らんけど。
言っちゃ悪いけど、彼らは戦う前から既に再起不能なほど大敗を喫している、戦う前から再起不能ってどんだけだよと言われるがそれが現実なのです、だから有名なネットインフルエンサーやセミナー講師になどなれっこない。何故なら全然魅力のないいわゆる普通の人たちだから。
ハッキリ言ってこれは俺も含めてですが、小市民は本業に勤しむべきなのです。俺は無能なのを自認しているため本業以外はしない。確かにこのまま続けていたとしてもプライベートジェットを所有することは終生無理だが、それでもそれなりにうまいものを食べたりして楽しく過ごせている。これじゃダメなのか?
たとえば手前味噌だが、俺は結構歌が上手い方であると思っており、事実、過去に一度も音痴と呼ばれたことがない。カラオケの機械でも100点など何回もある。でも、歌手になろうなどと大それたことを思ったことはない。夢すら見ていない。俺程度の歌の上手い人など世の中には掃いて捨てるほどおり、それが社会だと思っているから俺は最底辺の人間として違法フーゾクを経営したり、今のWEB制作をしている。逮捕されてしまったということはさておき、幸いなことに違法フーゾクではボチボチ成功を収められ、WEB制作は順調である。これ以上はなにを望もうか。仮に望むのであればWEB制作について他県に支店を作るなどそういう方向でビジネス展開をしていく。昨日も銀行の担当者にこの不景気な時代に大したものですねと誉められた。
俺は無能なのに無能だということを認められない奴をバカと呼んでいる。
バカでも果てしない大バカ野郎であればこれはこれでネット有名人として成功するかもしれないが当たり障りのない野菜でいえば無くても困らないサニーレタス程度の奴が海千山千の猛者ぞろいの大舞台で果たして勝てんのかといえばまあ無理でしょう。身の丈を弁えろと思う。
なんでこういうことを書いたのかというと、俺が生まれた昭和48年世代というのは社会人としてバブルを経験していない。バブルが弾けたのが1991年、当時高校3年生であるから中卒の人を除いて基本的に社会に出ていない人が大半、そのバブルが弾けた時に見たのが、元々お饅頭屋さんを営んでいました、銀行や証券会社にそそのかされて土地や株を買ったら大儲け、1個50円の饅頭なんかバカらしくて作ってられんと饅頭屋を閉めてニワカ成金の出来上がり、大学で経済学を学んだわけでもなく、ただ証券会社の営業マンに言われるがままに株を買っていた元饅頭屋のオヤジはその都度大儲け、しかし我が世の春は長くはなかった。バブルが弾け、土地や株は大暴落、株を勧めていた山一証券までが倒産する始末、残ったのはケツも拭けない株券と借金の山、結局、家土地全て失い自己破産という事例が日本全国津々浦々あちこちで見られた。
覆面少年は思いました、何かで成功したとしても決してうぬ惚れることなく本業に勤しめと、饅頭屋は饅頭だけを作っていればいいんだと。
これが俺の商売人としての原風景。
神様って実はすごく意地悪な奴で全員平等にマルチな才能を授けてくれればいいのに大抵の人には1つぐらいしか職業として喰える能力を与えてくれない。けちん坊せずに3つも4つも寄越せと思うが数万人に1人の選ばれた人にしかそういうマルチな才能は与えない。
たまたま俺の場合は違法フーゾクの経営という凡そ才能とは呼べぬ才能とパソコンやインターネットが本来好きではない人間になぜかWEB制作の才能を与えてくれた。普通の人は1つしかもらえないところを俺は特別に2つもらえた、最高です、意地悪な「奴」なんていってごめんなさい。
人生一度きり、なにをしようと自由。
ただ、自分の知り合いにTという男がいた。DTPオペレーター(雑誌やチラシのデザインを作る人のこと)としてはそれなりに腕があり、チラシや雑誌のデザインが上手い奴だと認めていた。このT、DTPオペレーターとし与えられた仕事をしていればいいのに、夢見がちな性格でデリヘルをやるとか、パチンコ店を特集したフリーペーパーを刊行しようだとかと、とにかく八方美人。DTPオペレーターだけ真面目にやっていれば月に20万から50万円ぐらい稼げていたんだからそれでいいだろうよ、Tを信頼してくれている上客のクライアントさんもそれなりにいていったい何が不服なのだと思ったのだが所詮は人ごとであるから放っておいたら案の定どれも手付かずになり、終いには闇金にまで手を出してしまう、結局、信頼してくれていたクライアントも失い、八方ふさがりになったTは車の中でロープで首を吊って死んだ。死ぬ直前俺にも金の無心の電話があったが借りるというのは返せるあてのある人がいう言葉であり、キミの場合は返せるあてがないのでくれというべきだが、残念ながらキミに金をくれてやる理由が俺にはないので他をあたってくださいと電話を切った。その数時間後に死んだ。
俺が仮に金を貸したところで死ぬのが何日か遅れただけであろうから俺自身悔いなどまったくない。むしろこれからは金の無心をされずに済むと清々した気持ちであった。後日、Tと関わった人、数名と仕事がらみで会ったが皆一様に死んでくれてよかったと言っていたのは妙に納得した。その中には数万円、Tに金を貸したままの人もいたがこれで諦めがつきます、Tが生きていればこちらも督促の電話をしなくちゃいけないし、イチイチ奴の言い訳を聞くのが腹立たしい、かといって返すのはいつでもいいよといえるほど自分も人間出来ちゃいないと言ってたが、自分も含めて全員が全員、金のトラブルがなく、事故や病気でTが死んだら葬式に行くような間柄であったが誰一人として奴の葬式に参列しなかったというのだから分かりやすい。
恨むならDTPオペレーターとしての才能しか与えられていないのにあれこれと夢を見過ぎてしまうからこうなってしまったのだという自分自身に対してだ。
まあコイツの場合、重度のパチンコ依存症、最後はにっちもさっちもいかず自ら死を選んだ。電車に飛び込んで他人に迷惑を掛けなかったことだけは褒められるが、真面目にDTPオペレーターだけやっていればなぁ、親御さんも悲しまずに済んだのにと思ったものだ。
別に法律に触れさえしなければ(俺は法律に思いっきり触れていたが)、なにをしても構わない、人生一度きりだ、そういう意味では中国や北朝鮮などの社会主義国と違い自由はある。でもまた、裏を返すと人生は一度きりなのである、二十代ならともかく、ふつう三十代半ばすぎると一度の失敗が命取りになる。マルチな能力がある人というのは実のところ遅くとも中学生あたりで既に頭角を現し、何かしら天才の片鱗を見せつけているものだろう。それが勉強なのか、スポーツなのか、芸術や趣味なのかは分からないが目立っていたはずだ。氷室京介は子供の頃から氷室京介であったはず。寺西修(氷室京介の本名)少年が努力して氷室京介になったのではなく、元々氷室京介であったのである。
マルチな才能がある選ばれた人はその才能を最大限生かすべき、そうじゃなかったら才能を与えてくれた神様に対して申し訳が立たない。
でも、99%以上の普通の人は与えられた1つか2つかの才能の中で上手に生きていくべきだと、僕はそう思うのです。
当然、お前何を言っているんだ、ふざけんなというご意見もあるでしょう、別に否定はしません、でもイチイチメールなんか送ってくんな、うざったい。そういうの要らないんだ。