深い付き合いはしない
- 2021/07/01
- 20:10
らしくないのは重々承知、でもアラフィフになると、人生の終わりはまだ先でも(と思いたい)、仕事の終わりは否が応でもボチボチ視野に入れていくしかなくなる。
最近というか、ここしばらくの間、例えば居酒屋の店主であったり、或いはお客さんと店の中で意気投合することもあっても、関係はそこまでにしておく。つまり店の中ではいい付き合いをするが暖簾の外に出てまで触れ合わないということを実践している。
こんな俺でももう一軒行こうとか、今度一緒に日帰り温泉に行こうなどと誘われる。
せっかく誘ってくれたのにすべて断る。
何故かというと、お店の中であれば店主と俺、酔客と俺という関係であり、特にしがらみなどない。あるのは金を介した対等な関係。店主を含めて誰が偉くて誰が偉くないということなどなく、俺は金を払って料理を食べ、酒を飲む、店主は俺が注文したものを俺に提供する。長幼の序は確かにあるが、医者だろうが政治家だろうが関係ない、あくまでも居酒屋に飲みに来ている客、プライベートでいくら金を持ってようとも関係ない、金持ちだろうが貧乏人だろうが生中は一杯500円、差異はない。だから少なくともここでは一律横並び。
これが一歩外に出るともう、金の所在があいまいになる。誰かが金を出せばそこに義理が発生して今度は義理を受けたものが返さなくてはならない。しかしながら世の中には義理を欠く奴ややたらとせこい奴が多く、受けた義理を忘れたフリをする。じゃあ割り勘にしたらしたで、あいつがたくさん飲んで食ったのに割り勘かよだとか、あいつが一番年上で金を持ってんだから少し多めに出せよとかと、つまらぬことでグチグチはじまる。
それであれば関係はあくまでもその店だけに留める。店の中では楽しく過ごす、それ以上でもそれ以下でもない。
ある意味手前勝手な話だが、店の中だけの関係でいることによって余計なしがらみが生じず、結果としていつまでも楽しく過ごせる。もしこれで楽しく過ごせなくなれば別に外で会っているわけではないのでもうその店に行かなければいい。
なぜこういう遊び方をしているかというと、仕事をいつまで続けるか分からないが働けなくなっても普段からこうして店の中だけで楽しく遊んでいれば余計なしがらみに捉われる必要がないので、いつでも遊びに行けるほどよい関係でいられると思うんだよね。
最近というか、ここしばらくの間、例えば居酒屋の店主であったり、或いはお客さんと店の中で意気投合することもあっても、関係はそこまでにしておく。つまり店の中ではいい付き合いをするが暖簾の外に出てまで触れ合わないということを実践している。
こんな俺でももう一軒行こうとか、今度一緒に日帰り温泉に行こうなどと誘われる。
せっかく誘ってくれたのにすべて断る。
何故かというと、お店の中であれば店主と俺、酔客と俺という関係であり、特にしがらみなどない。あるのは金を介した対等な関係。店主を含めて誰が偉くて誰が偉くないということなどなく、俺は金を払って料理を食べ、酒を飲む、店主は俺が注文したものを俺に提供する。長幼の序は確かにあるが、医者だろうが政治家だろうが関係ない、あくまでも居酒屋に飲みに来ている客、プライベートでいくら金を持ってようとも関係ない、金持ちだろうが貧乏人だろうが生中は一杯500円、差異はない。だから少なくともここでは一律横並び。
これが一歩外に出るともう、金の所在があいまいになる。誰かが金を出せばそこに義理が発生して今度は義理を受けたものが返さなくてはならない。しかしながら世の中には義理を欠く奴ややたらとせこい奴が多く、受けた義理を忘れたフリをする。じゃあ割り勘にしたらしたで、あいつがたくさん飲んで食ったのに割り勘かよだとか、あいつが一番年上で金を持ってんだから少し多めに出せよとかと、つまらぬことでグチグチはじまる。
それであれば関係はあくまでもその店だけに留める。店の中では楽しく過ごす、それ以上でもそれ以下でもない。
ある意味手前勝手な話だが、店の中だけの関係でいることによって余計なしがらみが生じず、結果としていつまでも楽しく過ごせる。もしこれで楽しく過ごせなくなれば別に外で会っているわけではないのでもうその店に行かなければいい。
なぜこういう遊び方をしているかというと、仕事をいつまで続けるか分からないが働けなくなっても普段からこうして店の中だけで楽しく遊んでいれば余計なしがらみに捉われる必要がないので、いつでも遊びに行けるほどよい関係でいられると思うんだよね。