いつまで経っても文章が上達しません
- 2021/03/17
- 15:10
作家の村上春樹氏はSNSを一切見ないという。理由は上手な文章がないからということらしい。
見る見ないはもちん個人の自由であるし、見ることによって本業である執筆活動に支障をきたすというのであれば村上氏にとってのSNSは見ないことで得られるメリットの方が大きいのだと思うが、俺は割りと見る。ツイッターのアカウントを持っていないため、ひたすら閲覧に徹するロム専であるが、世の中には短文を書くのが非常にうまい人がいる。自分の文章の欠点はまあ長い(笑)。長く書くと粗を隠すことができ、バカを誤魔化せるというメリットがあるため、だからこそあえて長い文章を書いているのだが、本当に文才のある人ってツイッターでも見事にまとめる。そういう人のツイッターをブックマークして普段から読んでいると、これは文章を書くうえで非常に参考になる。
このブログでも時折書いている比較的短めの記事はそういう短文名人の書き方をオマージュしながら書いている。
ちなみになぜこんな過疎ブログを飽きもせず更新し続けているのかといえば本業であるWEB制作では時折文章を書く必要があり、書き慣れていない状態でいきなり書けと言われてもなかなか書けない、しかし、普段からブログを書いていると、割りとスイスイ書ける、だから書き続けている。いうなれば実戦形式の文章を書く演習。文章を書くということは比較的スポーツに近いものだと思っている。月並みだが書き慣れている人は速く書けるし、書き慣れていない人はやはり筆が進むのが遅い。
頭の善し悪しを別にして、文章を書くのが上手な人とは結局のところ普段から書き慣れている人であると思う。どんなに頭のいい人でも文章を書くのが苦手な人は一定数以上存在している。母方の親戚に東大を出て東京学芸大学の教授をしていた人がいるのだが、このおじさん、文字は下手くそだし、文章も中学生並みの文章、東大卒だと言われなければバカ高校に通うパー太郎の学生と言われても気付かれない、そのぐらいの文章レベル、だが、本人に言わすと、文字は読めればいい、文章は意味が伝わればいい、あくまでも意思疎通のためのツールという意味合いでしかないそうだ。彼曰く、稚拙な文章だろうが、漱石のような洗練された文章であろうが、意味さえ伝わればどちらも価値は同じということらしい。
夏目漱石が書く文章とパー太郎高校生が書く駄文とが同じとは大胆なほどにもほどがあろうと思うし、個人的にはまったく同意できないが、頭のいい人が言うのだからとりあえず説得力はある。
いずれにせよ、頭ごなしにSNSの文章を否定するのではなく、一通り読んだうえでどうするかを考えればいいと思うのです。
見る見ないはもちん個人の自由であるし、見ることによって本業である執筆活動に支障をきたすというのであれば村上氏にとってのSNSは見ないことで得られるメリットの方が大きいのだと思うが、俺は割りと見る。ツイッターのアカウントを持っていないため、ひたすら閲覧に徹するロム専であるが、世の中には短文を書くのが非常にうまい人がいる。自分の文章の欠点はまあ長い(笑)。長く書くと粗を隠すことができ、バカを誤魔化せるというメリットがあるため、だからこそあえて長い文章を書いているのだが、本当に文才のある人ってツイッターでも見事にまとめる。そういう人のツイッターをブックマークして普段から読んでいると、これは文章を書くうえで非常に参考になる。
このブログでも時折書いている比較的短めの記事はそういう短文名人の書き方をオマージュしながら書いている。
ちなみになぜこんな過疎ブログを飽きもせず更新し続けているのかといえば本業であるWEB制作では時折文章を書く必要があり、書き慣れていない状態でいきなり書けと言われてもなかなか書けない、しかし、普段からブログを書いていると、割りとスイスイ書ける、だから書き続けている。いうなれば実戦形式の文章を書く演習。文章を書くということは比較的スポーツに近いものだと思っている。月並みだが書き慣れている人は速く書けるし、書き慣れていない人はやはり筆が進むのが遅い。
頭の善し悪しを別にして、文章を書くのが上手な人とは結局のところ普段から書き慣れている人であると思う。どんなに頭のいい人でも文章を書くのが苦手な人は一定数以上存在している。母方の親戚に東大を出て東京学芸大学の教授をしていた人がいるのだが、このおじさん、文字は下手くそだし、文章も中学生並みの文章、東大卒だと言われなければバカ高校に通うパー太郎の学生と言われても気付かれない、そのぐらいの文章レベル、だが、本人に言わすと、文字は読めればいい、文章は意味が伝わればいい、あくまでも意思疎通のためのツールという意味合いでしかないそうだ。彼曰く、稚拙な文章だろうが、漱石のような洗練された文章であろうが、意味さえ伝わればどちらも価値は同じということらしい。
夏目漱石が書く文章とパー太郎高校生が書く駄文とが同じとは大胆なほどにもほどがあろうと思うし、個人的にはまったく同意できないが、頭のいい人が言うのだからとりあえず説得力はある。
いずれにせよ、頭ごなしにSNSの文章を否定するのではなく、一通り読んだうえでどうするかを考えればいいと思うのです。