初詣に思う
- 2021/01/02
- 12:41
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
昨年の今頃は令和はじめてのお正月に加え、オリンピックイヤー、恐らく自分が生きている間に見られる最後の日本開催の夏季オリンピック(冬季は立候補する国が少ないためまたあると思う)、しかも地元鹿嶋でもサッカーが行われるということでかなり浮かれていましたが、後は言わずもがな。
今年の正月は本当に正月らしくない正月。個人的に喪中でもあるならば致し方ないが、そんなことはなく、何事もなければせめて正月ぐらいは浮かれていたいものだが、本を読んだり、アマゾンプライムで映画を観たりして過ごすのが関の山、元々、初詣でにはさして興味がないため、たまたまどこかの神社の近くに寄った際に、なんとなくついで的にお参りをする程度の信仰心でしかないが、今年はご利益がある前にコロナに移りそうであるからそれも行かず仕舞いだろう。
だいたい、大勢の人が初詣に出掛けて、コロナが早く収まるようにと祈ったところで、一番迷惑なのはわざわざ寄り集まって「密」を起こしているお前たちだよと思ってしまう。本当にコロナが早く収束して欲しいのならお参りなんか行くなよと思う。神様に祈るのはいいと思うが、大勢の人が集まる有名な神社仏閣で神様に祈ることの方がよっぽど感染拡大に寄与していると思われるわけで、なんだかなぁと思ってしまう。
恐らくだが、無症状の人も参拝者の中には紛れ込んでいて、その無症状経由で健常者が罹患してしまうということも実際は結構あるのだと思う。コロナ収束のお祈りが実は感染拡大の起爆装置だったとはさすがに神様も笑えない。
神社仏閣も突き詰めると商売であり、参拝者が寄進したお布施や賽銭が収入のため、年始はそれこそ文字通り坊主丸儲けの書き入れどきであるが、まかりなりにも神職を自称するのであれば、本来は三が日の参拝も自粛して然るべきだと思う。皇居では一般参賀を取りやめた。
もちろん、地域の鎮守さまと呼ばれる小さな神社を少人数で参拝するのはまったく問題ない。
要はよく考えて行動しようぜということ。そのうえで罹患してしまうのは致し方ないし、やることをやっての感染であれば決して差別をしてはいけない。
本年もよろしくお願いいたします。
昨年の今頃は令和はじめてのお正月に加え、オリンピックイヤー、恐らく自分が生きている間に見られる最後の日本開催の夏季オリンピック(冬季は立候補する国が少ないためまたあると思う)、しかも地元鹿嶋でもサッカーが行われるということでかなり浮かれていましたが、後は言わずもがな。
今年の正月は本当に正月らしくない正月。個人的に喪中でもあるならば致し方ないが、そんなことはなく、何事もなければせめて正月ぐらいは浮かれていたいものだが、本を読んだり、アマゾンプライムで映画を観たりして過ごすのが関の山、元々、初詣でにはさして興味がないため、たまたまどこかの神社の近くに寄った際に、なんとなくついで的にお参りをする程度の信仰心でしかないが、今年はご利益がある前にコロナに移りそうであるからそれも行かず仕舞いだろう。
だいたい、大勢の人が初詣に出掛けて、コロナが早く収まるようにと祈ったところで、一番迷惑なのはわざわざ寄り集まって「密」を起こしているお前たちだよと思ってしまう。本当にコロナが早く収束して欲しいのならお参りなんか行くなよと思う。神様に祈るのはいいと思うが、大勢の人が集まる有名な神社仏閣で神様に祈ることの方がよっぽど感染拡大に寄与していると思われるわけで、なんだかなぁと思ってしまう。
恐らくだが、無症状の人も参拝者の中には紛れ込んでいて、その無症状経由で健常者が罹患してしまうということも実際は結構あるのだと思う。コロナ収束のお祈りが実は感染拡大の起爆装置だったとはさすがに神様も笑えない。
神社仏閣も突き詰めると商売であり、参拝者が寄進したお布施や賽銭が収入のため、年始はそれこそ文字通り坊主丸儲けの書き入れどきであるが、まかりなりにも神職を自称するのであれば、本来は三が日の参拝も自粛して然るべきだと思う。皇居では一般参賀を取りやめた。
もちろん、地域の鎮守さまと呼ばれる小さな神社を少人数で参拝するのはまったく問題ない。
要はよく考えて行動しようぜということ。そのうえで罹患してしまうのは致し方ないし、やることをやっての感染であれば決して差別をしてはいけない。