なんか気持ちが悪いっすよね
- 2020/11/30
- 10:39
我が子であったり、或いは可愛がっているペットであったり、病気にしろ、老衰にしろ、死は免れないという瞬間は訪れるものである。
親より先に子が死ぬのは最大の親不孝というが、世の中には小児がんをはじめとした難病や事故で若くして命を落とす子も少なくない。また、一般的に犬や猫などの愛玩動物の寿命は10~15年と人の何倍も短く、その死を看取れるという前提で飼育をする。もし仮に自分が死んだあと、ペットがどうなろうとも知ったこっちゃないという人がいるならばそういう無責任な人は生き物を飼う資格などない。
あくまでも俺の価値観での話だが、ブログやツイッター、YouTubeなどにペットの死ぬシーンや鼻や口に人工呼吸器をあてがわれた我が子を写す、その神経が理解できない。
人間にしろ、ペットにしろ、看取る人間が対峙するのは目の前にいる人や動物。当たり前だ。寿命であったり、不治の難病であったり、悲しいけれども死は抗えないという切迫した状況、普通はその人やその犬猫とのみ向き合うでしょう。俺も随分可愛がっていた犬の死と向き合ってきたが、死ぬその瞬間まで寄り添う、頭を優しくなでたり、寒ければ毛布を被せてあげたり、こうして命の尊さを知ると同時に抗えない永遠の別れをつらく、悲しくてもグッと受け入れる。この別れの瞬間を第三者に情報を発信しようなどとは露ほども思わん。
たまに、子供が必死に病気と闘っている手術室の前の写真や動画をブログにアップしている人がいますが、もうさ、あれなんかも撮影する前提としてあるのがブログやYouTubeにアップしようという、子供の無事を願うとは次元の違う自己承認欲求に支配されているのだと思う。本当に生死をさまようほどの手術であれば写真を撮りまくって、呑気に「神様、うちの子を助けてください」なんて記事はアップできない。また、撮影している親以外の親族がそこにいたとして、誰も撮影している行為を咎めないのか、それも十分気持ちが悪い。
どうしてもブログにアップするのであればすべてが終わった後に事後報告として、「〇〇は永眠しました。これまでの応援ありがとうございました」でいいんじゃないの。
闘病している本人がブログやYouTube、ツイッターに手術前の様子を書くのであればそれは本人の意思であるから自由にしろと思うが、病気で苦しむ子供や老衰で死を迎える犬猫が晒し物にされることを望んでいるのか、これも自分の感覚ですが、俺がその子供やペットの立場なら撮影はやめてくれと思う。
ネットで喰っていながらネットとは出来るだけ距離を置きたいと思っている。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ、フリードリヒ・ニーチェの有名な格言であるが、ネットも然りで興味をもってネットをすること自体はいいと思うが、ネットにばかり傾倒して、ネット側から覗かれているような感覚になったら相当ヤバい。
我が子が手術を受けている手術室前で撮影している人などは一見するとネットを利用しているようであるが、その実ネットに利用されてしまっている、ネットに支配されて、深淵に覗かれしまっているのだと思う。
まあ本人がそれで満足ならそれでいいのだけど、思考のすべてがネットありきになって、人間が本来持つはずの美徳だったり、良心だったりがなくなってしまったらそれは嫌だなと思うのです。
親より先に子が死ぬのは最大の親不孝というが、世の中には小児がんをはじめとした難病や事故で若くして命を落とす子も少なくない。また、一般的に犬や猫などの愛玩動物の寿命は10~15年と人の何倍も短く、その死を看取れるという前提で飼育をする。もし仮に自分が死んだあと、ペットがどうなろうとも知ったこっちゃないという人がいるならばそういう無責任な人は生き物を飼う資格などない。
あくまでも俺の価値観での話だが、ブログやツイッター、YouTubeなどにペットの死ぬシーンや鼻や口に人工呼吸器をあてがわれた我が子を写す、その神経が理解できない。
人間にしろ、ペットにしろ、看取る人間が対峙するのは目の前にいる人や動物。当たり前だ。寿命であったり、不治の難病であったり、悲しいけれども死は抗えないという切迫した状況、普通はその人やその犬猫とのみ向き合うでしょう。俺も随分可愛がっていた犬の死と向き合ってきたが、死ぬその瞬間まで寄り添う、頭を優しくなでたり、寒ければ毛布を被せてあげたり、こうして命の尊さを知ると同時に抗えない永遠の別れをつらく、悲しくてもグッと受け入れる。この別れの瞬間を第三者に情報を発信しようなどとは露ほども思わん。
たまに、子供が必死に病気と闘っている手術室の前の写真や動画をブログにアップしている人がいますが、もうさ、あれなんかも撮影する前提としてあるのがブログやYouTubeにアップしようという、子供の無事を願うとは次元の違う自己承認欲求に支配されているのだと思う。本当に生死をさまようほどの手術であれば写真を撮りまくって、呑気に「神様、うちの子を助けてください」なんて記事はアップできない。また、撮影している親以外の親族がそこにいたとして、誰も撮影している行為を咎めないのか、それも十分気持ちが悪い。
どうしてもブログにアップするのであればすべてが終わった後に事後報告として、「〇〇は永眠しました。これまでの応援ありがとうございました」でいいんじゃないの。
闘病している本人がブログやYouTube、ツイッターに手術前の様子を書くのであればそれは本人の意思であるから自由にしろと思うが、病気で苦しむ子供や老衰で死を迎える犬猫が晒し物にされることを望んでいるのか、これも自分の感覚ですが、俺がその子供やペットの立場なら撮影はやめてくれと思う。
ネットで喰っていながらネットとは出来るだけ距離を置きたいと思っている。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ、フリードリヒ・ニーチェの有名な格言であるが、ネットも然りで興味をもってネットをすること自体はいいと思うが、ネットにばかり傾倒して、ネット側から覗かれているような感覚になったら相当ヤバい。
我が子が手術を受けている手術室前で撮影している人などは一見するとネットを利用しているようであるが、その実ネットに利用されてしまっている、ネットに支配されて、深淵に覗かれしまっているのだと思う。
まあ本人がそれで満足ならそれでいいのだけど、思考のすべてがネットありきになって、人間が本来持つはずの美徳だったり、良心だったりがなくなってしまったらそれは嫌だなと思うのです。