安楽死事件について思う
- 2020/07/28
- 17:02
医師二人による安楽死事件、これは真剣に考えるべき問題だと思うぞ。
今回の事件に関していえば患者の思いに寄り添い、塗炭の苦しみから救う目的で薬物を投与したというわけでもなさそうであり、突き詰めれば単なる小金欲しさの浅ましき思いからの犯罪であると思われるが、ただ、結果的に事件に関わったとされるドクターキリコ二人が筋萎縮性側索硬化症(ALS)で苦しむ患者を救ったのは事実である。
「医師はくそったれ、娘の気持ちも理解」、新聞社の取材に応じた亡くなられた患者の父の言葉が如実にそのあたりの機微を物語っていると思う。
基本的に安楽死は認めるべきであると思う。
もちろん、本人の意思であり、病気や怪我で回復の見込みが絶無であり、この先も永遠に耐えがたい痛みを背負い込まなければならない、だからこそ安楽死で痛みから解放してあげるというのが大前提。
俺は過去何度も書いているが優生学は正しいと思っている。いや、思うじゃない信奉しているといったほうがいいだろう。とはいえ、ナチスの優生学がベースとなっているが、ナチスのように決して優生思想を他人に押し付けるものではない。優生思想に反対している人に対してあれこれいうつもりはさらさらない。特にウチのおふくろや弟などは俺のこの優生思想について全くの反対であり、許せないとまでいう。
今回捕まったドクターキリコのうちの一人は優生学の信奉者であったらしい。彼の犯行の動機は単なる金欲しさに加え、生産性のない人間は処分すべしという考え方の根底にあり、ナチ党の党是に近い優生思想があったという。優生学を正しいと信じる俺が言うのもなんだが優生思想的な安楽死は間違っていると思う。
安楽死を医師として考えるとき、そこに優生思想が入り込んではいけない。
患者の苦しみを救うのが薬であったり、手術であったり、科学的な知見に基づき最善を尽くすべきであるが、最善を尽くしたものの今の医学ではどうしようもないと絶望感に苛まれたとき、はじめて安楽死という禁断の扉を開くべきであろう。この患者は生産性がないので安楽死処分をしてしまおうと短絡的に医師がそう思ってしまったら医学の進歩はそこで止まる。禁断の扉の向こう側には患者への思いやりがなくてはならない。
医学の究極は不老不死の薬を開発。
もちろん、そんなものは出来やしない。でも、出来ないと諦めたら医学の進歩はそこで終わる。実際、不老不死を研究している医学者は多く、米ハーバード大学医学大学院の生物学者デイヴィッド・シンクレア氏の研究チームはアンチエイジングで寿命を150歳まで延ばすという薬を開発中であるという。
話を戻す、ドクターキリコといえば手塚治虫、手塚漫画の珠玉の名著は未完ながら個人的には火の鳥であると思っている。火の鳥のテーマは火の鳥の生き血を飲めば永遠の命を得られるという太古の時代から近未来までを描く壮大な大河ドラマ、結局手塚治虫は執筆中に亡くなってしまったため、どういう結末を迎えるのかは分からず仕舞いであったがいつの世も人は死に抗い、不老不死の命を得たいと思うものである。そのために医師は癌をはじめとする難病に立ち向かうのだ。
しかし、医師の役割の究極は不老不死の薬を作ることであるが、その不老不死の薬を飲む飲まないはあくまでも患者の意思だ。医師が決めることでない。裏を返すと不老不死と対極である安楽死も同様、医師が決めることではない。患者が自らの意思で決めるべきである。
少なくとも今回の事件に関していえばALSで苦しむ患者の女性が安楽死を依頼したことは分かっている。逮捕はされたが、恐らく非常にナイーブな問題ゆえ、ハッキリとした結論が出るのは最高裁まで持ち越されると思う。確かに目先の現金欲しさに犯行に及んだものの安楽死を行うことで患者の女性を苦しみから救ったのは事実だ。金目立ての安楽死殺人は非難されて然るべきだが、一方的に安楽死はけしからんと断罪するのもいかがなものかと思う。
今回の事件に関していえば患者の思いに寄り添い、塗炭の苦しみから救う目的で薬物を投与したというわけでもなさそうであり、突き詰めれば単なる小金欲しさの浅ましき思いからの犯罪であると思われるが、ただ、結果的に事件に関わったとされるドクターキリコ二人が筋萎縮性側索硬化症(ALS)で苦しむ患者を救ったのは事実である。
「医師はくそったれ、娘の気持ちも理解」、新聞社の取材に応じた亡くなられた患者の父の言葉が如実にそのあたりの機微を物語っていると思う。
基本的に安楽死は認めるべきであると思う。
もちろん、本人の意思であり、病気や怪我で回復の見込みが絶無であり、この先も永遠に耐えがたい痛みを背負い込まなければならない、だからこそ安楽死で痛みから解放してあげるというのが大前提。
俺は過去何度も書いているが優生学は正しいと思っている。いや、思うじゃない信奉しているといったほうがいいだろう。とはいえ、ナチスの優生学がベースとなっているが、ナチスのように決して優生思想を他人に押し付けるものではない。優生思想に反対している人に対してあれこれいうつもりはさらさらない。特にウチのおふくろや弟などは俺のこの優生思想について全くの反対であり、許せないとまでいう。
今回捕まったドクターキリコのうちの一人は優生学の信奉者であったらしい。彼の犯行の動機は単なる金欲しさに加え、生産性のない人間は処分すべしという考え方の根底にあり、ナチ党の党是に近い優生思想があったという。優生学を正しいと信じる俺が言うのもなんだが優生思想的な安楽死は間違っていると思う。
安楽死を医師として考えるとき、そこに優生思想が入り込んではいけない。
患者の苦しみを救うのが薬であったり、手術であったり、科学的な知見に基づき最善を尽くすべきであるが、最善を尽くしたものの今の医学ではどうしようもないと絶望感に苛まれたとき、はじめて安楽死という禁断の扉を開くべきであろう。この患者は生産性がないので安楽死処分をしてしまおうと短絡的に医師がそう思ってしまったら医学の進歩はそこで止まる。禁断の扉の向こう側には患者への思いやりがなくてはならない。
医学の究極は不老不死の薬を開発。
もちろん、そんなものは出来やしない。でも、出来ないと諦めたら医学の進歩はそこで終わる。実際、不老不死を研究している医学者は多く、米ハーバード大学医学大学院の生物学者デイヴィッド・シンクレア氏の研究チームはアンチエイジングで寿命を150歳まで延ばすという薬を開発中であるという。
話を戻す、ドクターキリコといえば手塚治虫、手塚漫画の珠玉の名著は未完ながら個人的には火の鳥であると思っている。火の鳥のテーマは火の鳥の生き血を飲めば永遠の命を得られるという太古の時代から近未来までを描く壮大な大河ドラマ、結局手塚治虫は執筆中に亡くなってしまったため、どういう結末を迎えるのかは分からず仕舞いであったがいつの世も人は死に抗い、不老不死の命を得たいと思うものである。そのために医師は癌をはじめとする難病に立ち向かうのだ。
しかし、医師の役割の究極は不老不死の薬を作ることであるが、その不老不死の薬を飲む飲まないはあくまでも患者の意思だ。医師が決めることでない。裏を返すと不老不死と対極である安楽死も同様、医師が決めることではない。患者が自らの意思で決めるべきである。
少なくとも今回の事件に関していえばALSで苦しむ患者の女性が安楽死を依頼したことは分かっている。逮捕はされたが、恐らく非常にナイーブな問題ゆえ、ハッキリとした結論が出るのは最高裁まで持ち越されると思う。確かに目先の現金欲しさに犯行に及んだものの安楽死を行うことで患者の女性を苦しみから救ったのは事実だ。金目立ての安楽死殺人は非難されて然るべきだが、一方的に安楽死はけしからんと断罪するのもいかがなものかと思う。