遺影について
- 2020/07/20
- 10:03
三浦さんがお亡くなりになられたからというわけでもないが、自分の遺影に関してである。
個人的に写真を撮られるのが病的なほど大っ嫌い、撮るのは運転免許証の写真ぐらいのもので、あとはほぼない。だからネットを探しても俺の写っている写真などない、ハナから撮っていないのでありようがないのだ。それはまあ個人の嗜好であるから別にいいと思うのだが、問題は今、俺がぽっくり逝ってしまったら遺影にする写真がないということだ。
結論から言うと遺影はいらない。位牌だけ仏壇の中に立てておけばそれでよい。そもそも遺影なんてものはせいぜいここ70年ぐらいの文化だろう。事実、実家の仏間には60年ぐらい前に死んだ爺さん(当然俺は生まれていない)以降の写真しかない、それ以前の故人については位牌があるのみだ。
では、位牌がない物故者の御霊を蔑ろにしているかといえば決してそんなことはない。遺影があるのはたまたまここ百年ぐらいの間に写真が一般的になったからであり、別に仏教にしろ、神式にしろ、遺影を残さなければバチが当たるなんてことはない。
別になにも俺は遺影を否定しているのではない。あくまでも俺の遺影は不要だと言っている。今ですら写真を撮られるのが大嫌いなのに死んでから迄写真に悩まされたくない。
個人的に写真を撮られるのが病的なほど大っ嫌い、撮るのは運転免許証の写真ぐらいのもので、あとはほぼない。だからネットを探しても俺の写っている写真などない、ハナから撮っていないのでありようがないのだ。それはまあ個人の嗜好であるから別にいいと思うのだが、問題は今、俺がぽっくり逝ってしまったら遺影にする写真がないということだ。
結論から言うと遺影はいらない。位牌だけ仏壇の中に立てておけばそれでよい。そもそも遺影なんてものはせいぜいここ70年ぐらいの文化だろう。事実、実家の仏間には60年ぐらい前に死んだ爺さん(当然俺は生まれていない)以降の写真しかない、それ以前の故人については位牌があるのみだ。
では、位牌がない物故者の御霊を蔑ろにしているかといえば決してそんなことはない。遺影があるのはたまたまここ百年ぐらいの間に写真が一般的になったからであり、別に仏教にしろ、神式にしろ、遺影を残さなければバチが当たるなんてことはない。
別になにも俺は遺影を否定しているのではない。あくまでも俺の遺影は不要だと言っている。今ですら写真を撮られるのが大嫌いなのに死んでから迄写真に悩まされたくない。