毎度のことですが
- 2020/07/08
- 11:36
九州や岐阜県で大雨による甚大な被害が報告されているが、家屋の浸水はともかく、人的な被害はなんとかならなかったものかと訝しくなる。むろん、田んぼや川を見に行って流されてしまうなんていうのは論外であるが、地震と違い、殊、風水害については少なくとも数日前から来るぞということは散々ニュースで報道されていた。事実、遠く離れた関東に暮らす俺ですら知っていた。
人の生き死にというものは子供を除けば基本的に自由であり、人には生きる権利もあれば死ぬ自由もある。成人した人間が死にたいと思うのであればその意志は原則として尊重すべきであると思うが、この水害で死のうと思っていた人はいったいどれぐらいいたか、勝手な推測だがゼロに近いのではないかと思う、いや近いどころかゼロじゃないか。
それであれば何故早めに避難しなかったか。安全な場所へ避難していれば大部分の人は助かったのではないかと思われる。
本音を言えば避難せずに死んだ人は厳しい言い方をすると自業自得であるから特に思うところはないのだが、行方不明者がいる限り、消防、警察、自衛隊、地元の消防団の方々が大変な思いをして捜索しなくてはならないのだ。彼らの労力のことを考えたらとりあえずは一旦逃げて助かり、その上でどうしても死にたきゃ災害が収まってから、探す手間の省けるなるべく分かりやすい場所で首を吊るなりしてくれと思う。
もちろん、中には却って逃げない方がいい場合もある。例えば俺。自宅は鉄筋コンクリートマンションの三階、しかもまわりに氾濫するような河川はない。下手に右往左往するより、自宅でじっとしていた方がよっぽど安全である。ゆえに避難するしないは各々の状況次第であるが、近くに氾濫の危険性の高い河川がある、或いは土砂災害警戒区域に家屋がある場合などはいち早く安全な場所へ避難をするべきだ。それは繰り返すが自分の命を守るためだけでなく、捜索に出た消防や警察の人たちが二次災害に遭わぬためでもある。
人の生き死にというものは子供を除けば基本的に自由であり、人には生きる権利もあれば死ぬ自由もある。成人した人間が死にたいと思うのであればその意志は原則として尊重すべきであると思うが、この水害で死のうと思っていた人はいったいどれぐらいいたか、勝手な推測だがゼロに近いのではないかと思う、いや近いどころかゼロじゃないか。
それであれば何故早めに避難しなかったか。安全な場所へ避難していれば大部分の人は助かったのではないかと思われる。
本音を言えば避難せずに死んだ人は厳しい言い方をすると自業自得であるから特に思うところはないのだが、行方不明者がいる限り、消防、警察、自衛隊、地元の消防団の方々が大変な思いをして捜索しなくてはならないのだ。彼らの労力のことを考えたらとりあえずは一旦逃げて助かり、その上でどうしても死にたきゃ災害が収まってから、探す手間の省けるなるべく分かりやすい場所で首を吊るなりしてくれと思う。
もちろん、中には却って逃げない方がいい場合もある。例えば俺。自宅は鉄筋コンクリートマンションの三階、しかもまわりに氾濫するような河川はない。下手に右往左往するより、自宅でじっとしていた方がよっぽど安全である。ゆえに避難するしないは各々の状況次第であるが、近くに氾濫の危険性の高い河川がある、或いは土砂災害警戒区域に家屋がある場合などはいち早く安全な場所へ避難をするべきだ。それは繰り返すが自分の命を守るためだけでなく、捜索に出た消防や警察の人たちが二次災害に遭わぬためでもある。