Fukushima 50
- 2020/03/21
- 14:23
ノンフィクション映画『Fukushima 50』を見てきました。
史実であるからとにかく緊張感が凄い。
9年前のあの日、福島県で起きたことって実は当事者である福島県民や隣の茨城県民、宮城県民、岩手県民は殆ど分かっていないと思う。何故なら電気が寸断され、まだスマホが普及する前の出来事であったため、ラジオやガラケーのニュース情報から福島で大変なことが起きているぞというのはなんとなく分かっていたがいったいそこで何が起きているかはまったく分からなかった。
今回この映画を見て感じたのは死線を超えるか否かの瀬戸際、日本壊滅の危機的状況だったのかと、まさに背筋が凍る思いだった。
実際、どこまで再現されているかは分からず、もしかするとデフォルメが過ぎるのかもしれないが、ひたすら思ったのは「菅直人、余計な事すんな、頼むから死んでくれ」ということ。映画では菅直人が健在のため、控えめに柔らかく描いているが現実はもっと混乱させたのではないかと思った。
情報を収集して、的確な指示を出すべき立場である総理大臣が原発事故の最前線に乗り込んで現場の手を煩わすなんてことがあっていいはずがない。正直、なにもない平時であればともかく、311当時、この人が総理大臣であったことはまさに日本の悲劇、国難であったといっていい。
ついこないだも同様のことを書いたが、なまじっか科学の知識があるからこそ厄介なのだ。大将は大所高所から物事を判断することが求められる。それを混乱のさなか、ヘリで乗り付けて現場を混乱させるなんて一番あってはならない。そもそもいくら東工大出の秀才であっても原発に関してはずぶの素人、専門家の足元には及ばないのであるから仕切ろうとすること自体が大間違い。極論を言えば現場には口を出さず、金だけだせばいいのだ。
また、これは会社員である以上なかなか難しいのは分かったうえで言うと、「将、軍に在りては君命をも受けざるところにあり」という、お亡くなりなられた吉田所長には大変申し訳ないが、それでもやっぱり、官邸や東電本社の意向を無視してもう少し独断専行でもよかったのではないかと思われた。
あくまでもすべて私見ですけどね。
史実であるからとにかく緊張感が凄い。
9年前のあの日、福島県で起きたことって実は当事者である福島県民や隣の茨城県民、宮城県民、岩手県民は殆ど分かっていないと思う。何故なら電気が寸断され、まだスマホが普及する前の出来事であったため、ラジオやガラケーのニュース情報から福島で大変なことが起きているぞというのはなんとなく分かっていたがいったいそこで何が起きているかはまったく分からなかった。
今回この映画を見て感じたのは死線を超えるか否かの瀬戸際、日本壊滅の危機的状況だったのかと、まさに背筋が凍る思いだった。
実際、どこまで再現されているかは分からず、もしかするとデフォルメが過ぎるのかもしれないが、ひたすら思ったのは「菅直人、余計な事すんな、頼むから死んでくれ」ということ。映画では菅直人が健在のため、控えめに柔らかく描いているが現実はもっと混乱させたのではないかと思った。
情報を収集して、的確な指示を出すべき立場である総理大臣が原発事故の最前線に乗り込んで現場の手を煩わすなんてことがあっていいはずがない。正直、なにもない平時であればともかく、311当時、この人が総理大臣であったことはまさに日本の悲劇、国難であったといっていい。
ついこないだも同様のことを書いたが、なまじっか科学の知識があるからこそ厄介なのだ。大将は大所高所から物事を判断することが求められる。それを混乱のさなか、ヘリで乗り付けて現場を混乱させるなんて一番あってはならない。そもそもいくら東工大出の秀才であっても原発に関してはずぶの素人、専門家の足元には及ばないのであるから仕切ろうとすること自体が大間違い。極論を言えば現場には口を出さず、金だけだせばいいのだ。
また、これは会社員である以上なかなか難しいのは分かったうえで言うと、「将、軍に在りては君命をも受けざるところにあり」という、お亡くなりなられた吉田所長には大変申し訳ないが、それでもやっぱり、官邸や東電本社の意向を無視してもう少し独断専行でもよかったのではないかと思われた。
あくまでもすべて私見ですけどね。