人生というのは分からぬものだな。
手錠を掛けられた俺が新たなブランドを立ち上げようと躍起になっている。
恐らく、新聞に俺の名が犯罪者として刻まれた時、物見遊山の野次馬達はこれで覆面のアホは終わったなとほくそ笑んだに違いない。
たわけどもが。
終わるかよ、これから始まるんだよと、俺は檻の中でひたすら策を練る毎日だった。
鞘は朽ちても、刀は錆付かせちゃいない。
金はなくとも魂の炎は絶対に消さなかった。
浪人中、俺が夢を語ると、大抵の奴は落ちぶれのくすぶりが、いったい何をほざいてんだと鼻で笑った。
その都度、いつか見返してやると歯を食い縛って頑張った。
もちろん、上るべき坂はこれからだが、少なくともスタートラインには立てた。
あの時、笑った連中に言いたい、あなた方は自分の望み通りの生き方をしていますかと。
給料の多寡はまったく別の次元の話である。
好きなことをなりわいにし、誰に媚びることなく、真っすぐ正面だけを向いて生きていますか?
少なくとも俺は望み通りに生きてるぜ。
毎日が充実している。
言わせてもらえば今は目標に向かって進むというより、目標の方からご丁寧にわざわざ来てくれるという按配だ。
想起するにつれ、俺はやはり、選ばれた人間、持っている人間なんだと思う。
一生に一度だけの人生だ、凡人で終わるつもりはない。
毎日下ばかりを向いている凡人どもとは悲しいかなそもそも人種が違うのである。
凡人は凡人らしく、平々凡々に生きればいい。
それは恥ずかしいことでもなんでもない。
万事波風を立てず、月見草が如く、ひっそりと咲き、大成はせずとも死なない程度に生きていけるのはある意味幸せである。
だが、選ばれた人間からすると、そんなちっぽけな幸せでは物足りないから困る。
困るから幸せを無理矢理手繰り寄せてしまう。
これからもそうして生きていく。
すいません本音で語ってしまって。
自分嘘が付けないたちですからどうかお許しください。