澱のような
- 2020/03/02
- 19:22
先週末の土日は仕事が一段落して、割りと時間もあったため、本来ならばフラフラと出掛けてもよかったのですが、なんとなくそんな気になれず、行ったのは近所の居酒屋とコンビニと実家ぐらい、お陰で真面目に家で仕事しちゃったじゃねぇか、ガハハハッ。
さすがに引きこもってばかりいてもなんだから入会しているジムに行って筋トレしようかなぁなんて思っても、実際どのぐらい影響があるか分かりませんけど、汗や体液が直接器具を通して触れ合うスポーツジムはなるべく控えろなんて言っているじゃない、そんな話を聞くと、必然的にやっぱり腰は重くなるなと。
自分を基準にするつもりは毛頭ないですが、経済的なマイナスはじわりじわりとボディブローのように効いていると思う。混んでいるのはドラッグストアだけであとはどこも閑散としている。
この重苦しい感覚って、正直未だかつて経験したことがないな。
東日本大震災はもろに被災者だったため、自粛云々の前に手も足も出なかったというのが本音である。阪神淡路や新潟地震のときはこんなこと言っちゃ不謹慎かもしれないが、茨城県には殆ど影響がなかったのでどうしても対岸の火事という気がしていた。
では、身近な被害ならもっと当事者意識になれるのかというと、正直俺は違った。昨年の台風19号被害に関していうなら茨城県はもろに直撃している当事者だ。多数の死傷者を出したが、これも不謹慎承知で言うと、天災だから仕方がないという諦めの境地の方が大きい、そもそも史上最強クラスの台風が来るのを分かっていて何故逃げなかったのか、被災した人を気の毒に思う気持ちはもちろんあるが、しかしそこまで感情移入は出来んなというのが本音だったりする。
このどんよりとした澱(おり)のように沈む重苦しい雰囲気というのは半世紀近く生きてきて、一度も経験したことが不思議な感覚である。
今日ラジオを聴いていると、あるDJさんがこんな沈みがちなときだからこそ、元気を出していこうよと言っていたが、不謹慎を別にして元気を出す気になれないというかさ、別にそのDJさんに噛みつくでも否定するでもなく、彼の言っていることはむしろ一理あるなと十分理解しているにも関わらず、どうしてもそんな気にもなれないのだ。
自分自身、常に追い込まれ続けてきた人生だったといえる。違法風俗の仕事をしているときなんか、毎日が精神的に追い込まれ、ひたすら絶望と対峙していたのであるが、反面、その絶望との対峙が生き甲斐であったのである。今の仕事も軌道に乗るまではまあ大変でした。金がなくていよいよダメかと思う場面に何度も遭遇したが、それはそれでマゾヒスティック的な感覚といえばいいのだろうか、追い込まれて窮地に立たされている自分が物凄く愛おしくもあり、気絶しそうになるほど楽しいのである。
だが、今回の重苦しい雰囲気は追い込まれている感もない代わりに、楽しくもない。
なんとなく気が沈むというだけ。
もっとも、ある意味、俺が楽しくなってしまったらそれはそれでいよいよヤバい状況だともいえるからやはりこのぐらいの自粛ムードでちょうどいいのかなと思ったりする。
なお、これはあくまでも俺が単にそう思っているというだけであり、実際にコロナウイルスに罹患して苦しんでいたり、不幸にもお亡くなりなった人を揶揄するつもりはまったくない、それだけはハッキリ言っておく。
さすがに引きこもってばかりいてもなんだから入会しているジムに行って筋トレしようかなぁなんて思っても、実際どのぐらい影響があるか分かりませんけど、汗や体液が直接器具を通して触れ合うスポーツジムはなるべく控えろなんて言っているじゃない、そんな話を聞くと、必然的にやっぱり腰は重くなるなと。
自分を基準にするつもりは毛頭ないですが、経済的なマイナスはじわりじわりとボディブローのように効いていると思う。混んでいるのはドラッグストアだけであとはどこも閑散としている。
この重苦しい感覚って、正直未だかつて経験したことがないな。
東日本大震災はもろに被災者だったため、自粛云々の前に手も足も出なかったというのが本音である。阪神淡路や新潟地震のときはこんなこと言っちゃ不謹慎かもしれないが、茨城県には殆ど影響がなかったのでどうしても対岸の火事という気がしていた。
では、身近な被害ならもっと当事者意識になれるのかというと、正直俺は違った。昨年の台風19号被害に関していうなら茨城県はもろに直撃している当事者だ。多数の死傷者を出したが、これも不謹慎承知で言うと、天災だから仕方がないという諦めの境地の方が大きい、そもそも史上最強クラスの台風が来るのを分かっていて何故逃げなかったのか、被災した人を気の毒に思う気持ちはもちろんあるが、しかしそこまで感情移入は出来んなというのが本音だったりする。
このどんよりとした澱(おり)のように沈む重苦しい雰囲気というのは半世紀近く生きてきて、一度も経験したことが不思議な感覚である。
今日ラジオを聴いていると、あるDJさんがこんな沈みがちなときだからこそ、元気を出していこうよと言っていたが、不謹慎を別にして元気を出す気になれないというかさ、別にそのDJさんに噛みつくでも否定するでもなく、彼の言っていることはむしろ一理あるなと十分理解しているにも関わらず、どうしてもそんな気にもなれないのだ。
自分自身、常に追い込まれ続けてきた人生だったといえる。違法風俗の仕事をしているときなんか、毎日が精神的に追い込まれ、ひたすら絶望と対峙していたのであるが、反面、その絶望との対峙が生き甲斐であったのである。今の仕事も軌道に乗るまではまあ大変でした。金がなくていよいよダメかと思う場面に何度も遭遇したが、それはそれでマゾヒスティック的な感覚といえばいいのだろうか、追い込まれて窮地に立たされている自分が物凄く愛おしくもあり、気絶しそうになるほど楽しいのである。
だが、今回の重苦しい雰囲気は追い込まれている感もない代わりに、楽しくもない。
なんとなく気が沈むというだけ。
もっとも、ある意味、俺が楽しくなってしまったらそれはそれでいよいよヤバい状況だともいえるからやはりこのぐらいの自粛ムードでちょうどいいのかなと思ったりする。
なお、これはあくまでも俺が単にそう思っているというだけであり、実際にコロナウイルスに罹患して苦しんでいたり、不幸にもお亡くなりなった人を揶揄するつもりはまったくない、それだけはハッキリ言っておく。