まあ説得力はないわな
- 2019/12/21
- 21:09
伊藤詩織氏と元TBSワシントン支局長の山口敬之氏の法廷内外バトル、個人の和姦、強姦の枠を超え、もはや保守対リベラルの代理戦争の様相を呈していますが、どんな状況であったにせよ、ヤッてしまったのが事実ならば言い逃れは出来ないと思うのです。
もちろん、伊藤氏もジャーナリストへの道を斡旋してもらおうと山口氏を頼ったのは事実だろう、推論でしかないが、そのうえでジャーナリストへの道が開けるのであればまあ一発や二発いいかと思った可能性も正直なくはないだろう。あくまでも憶測だが、仮に山口氏の斡旋で伊藤氏がジャーナリストへの道が開かれたのであれば伊藤氏は刑事でも民事でも係争しなかったのではないかと思う。
結果的に伊藤氏はジャーナリストへの道が絶たれ、残ったのは妻子持ちのおっさんに抱かれてしまったという悲しい現実。
この現実に至るまでの経緯に山口氏としては言いたいことも山ほどあるのだろうが、俺からすると、どんな状況であろうと、実際にヤッてしまっているのだから説得力はゼロだ。
どんなにいいオンナが誘惑してこようが、立場のある人間は軽々しく乗っちゃダメなんだって。
ましてや今はインターネット全盛期、フェイクニュースも含め、個人でも情報を発信することなど容易い。まったくのでっち上げであるなら存分に刑事、民事ともに争えばいいと思うが、道を踏み外している段階でそこに正義はないのだ。
勝ち負けでいったら一線を越えた時点で山口氏の負けなのである。
俺は散々ぱら好き放題してきましたけど、女性関係に関しては天地神明に誓って一点の曇りもない。離婚も各々いい分があり、互いの至らなさが離婚の原因であり、決して俺の不貞行為などではない。
これもあくまでも俺はですけど、俺の人生に於いて、女性というものは大きなウエイトを占めていない。刺身で言えば大根のツマ、あれば映えるがなくても困らない、その程度のもの。いつからそう思っているのかは定かではないが俺のDNAにこれはキツく刷り込まれている。だからこそ、女性で失敗することがないのだ。
極論を言うと、事業での失敗は死ななければかすり傷でしかないが、もし仮に女性関係で道を外すことがあればそれはすなわち俺という人間を俺自身が否定することであるからその時は潔く死ななければならないと考える。そのぐらい強く考えているためまず女関係では失敗しない。
確かに異性に対して貪欲なのは生物学的にいえば正しい。
だが、人間には他の動物と違い、理性がある。
人生の重きをどこに置くかで理性のありようも変わるし、人生の醍醐味は女性であると言って憚らなかった和歌山のドンファンみたいな人もいるでしょうが、果たして山口氏の人生の重さはそこまで女性に傾倒するものであったのか。それであれば今回の件も理解出来なくもないが、恐らく彼の本分は女性に現を抜かすことよりも、ジャーナリストとして政治に深く関わっていくことが人生の使命であったはず。人生には様々な誘惑があるがその誘惑を律するのは言うまでもなく理性だ。
むろん、人生は一度きりであるから、性的な快楽を愉しんでこそという考え方があってもいいだろう。本人がそういう生き方こそが自分の歩むべき人生だというのであれば否定しない。存分に愉しめばよいだろう。
そうではなく、使命であったり、大志であったり、為すべきことにおいて、その女性関係は本当に必要ですかということをよくよく考える必要はあるだろう。
良妻賢母の鑑、山内一豊の妻のような女性であれば進んで付き合うべきだと思うが、一時の快楽に溺れ、その後の人生台無しにするのはアホだと思うのです。
もちろん、伊藤氏もジャーナリストへの道を斡旋してもらおうと山口氏を頼ったのは事実だろう、推論でしかないが、そのうえでジャーナリストへの道が開けるのであればまあ一発や二発いいかと思った可能性も正直なくはないだろう。あくまでも憶測だが、仮に山口氏の斡旋で伊藤氏がジャーナリストへの道が開かれたのであれば伊藤氏は刑事でも民事でも係争しなかったのではないかと思う。
結果的に伊藤氏はジャーナリストへの道が絶たれ、残ったのは妻子持ちのおっさんに抱かれてしまったという悲しい現実。
この現実に至るまでの経緯に山口氏としては言いたいことも山ほどあるのだろうが、俺からすると、どんな状況であろうと、実際にヤッてしまっているのだから説得力はゼロだ。
どんなにいいオンナが誘惑してこようが、立場のある人間は軽々しく乗っちゃダメなんだって。
ましてや今はインターネット全盛期、フェイクニュースも含め、個人でも情報を発信することなど容易い。まったくのでっち上げであるなら存分に刑事、民事ともに争えばいいと思うが、道を踏み外している段階でそこに正義はないのだ。
勝ち負けでいったら一線を越えた時点で山口氏の負けなのである。
俺は散々ぱら好き放題してきましたけど、女性関係に関しては天地神明に誓って一点の曇りもない。離婚も各々いい分があり、互いの至らなさが離婚の原因であり、決して俺の不貞行為などではない。
これもあくまでも俺はですけど、俺の人生に於いて、女性というものは大きなウエイトを占めていない。刺身で言えば大根のツマ、あれば映えるがなくても困らない、その程度のもの。いつからそう思っているのかは定かではないが俺のDNAにこれはキツく刷り込まれている。だからこそ、女性で失敗することがないのだ。
極論を言うと、事業での失敗は死ななければかすり傷でしかないが、もし仮に女性関係で道を外すことがあればそれはすなわち俺という人間を俺自身が否定することであるからその時は潔く死ななければならないと考える。そのぐらい強く考えているためまず女関係では失敗しない。
確かに異性に対して貪欲なのは生物学的にいえば正しい。
だが、人間には他の動物と違い、理性がある。
人生の重きをどこに置くかで理性のありようも変わるし、人生の醍醐味は女性であると言って憚らなかった和歌山のドンファンみたいな人もいるでしょうが、果たして山口氏の人生の重さはそこまで女性に傾倒するものであったのか。それであれば今回の件も理解出来なくもないが、恐らく彼の本分は女性に現を抜かすことよりも、ジャーナリストとして政治に深く関わっていくことが人生の使命であったはず。人生には様々な誘惑があるがその誘惑を律するのは言うまでもなく理性だ。
むろん、人生は一度きりであるから、性的な快楽を愉しんでこそという考え方があってもいいだろう。本人がそういう生き方こそが自分の歩むべき人生だというのであれば否定しない。存分に愉しめばよいだろう。
そうではなく、使命であったり、大志であったり、為すべきことにおいて、その女性関係は本当に必要ですかということをよくよく考える必要はあるだろう。
良妻賢母の鑑、山内一豊の妻のような女性であれば進んで付き合うべきだと思うが、一時の快楽に溺れ、その後の人生台無しにするのはアホだと思うのです。