俺はそう思う
- 2019/12/09
- 10:48
「確かに私は窓際に座っている人を殺そうとしましたが、残念にも殺しそこないました」
「通路に倒れた人を殺そうとして、見事に殺しきりました」
「(ナイフは)曲がっておりますし、有期刑になってまた出所したら人を殺すハメになり、新しいものを買うのでそれは要りません」
殺人などの罪に問われた小島一朗被告の初公判での発言である。
反省の弁は皆無、まごうことなき怪物の怪物たる面目躍如といったところか。
過去の判例を鑑みても、恐らく小島の言う通り、無期懲役であろう。裁判員裁判で仮に死刑判決が出たとしても、高裁で無期懲役に覆り、最高裁で無期懲役が確定するのが被害人数1人の殺人事件の流れであるから、この事件もご多分に漏れずまあそうなると思う。
ただ、そうなると小島の夢は刑務所に入ることであるということであるから、結果的に夢を叶えただけに過ぎない。日本の場合、無期懲役であっても服役期間が30年を過ぎると仮釈放が認められることが多く、小島が40年後ぐらいにまた同様の事件を起こすことは想像するに難くない。
小島を擁護するつもりはまったくなく、むしろ極刑に処されて欲しいと思っているのだが、この事件に至るまでの萌芽を奴の幼少期に両親や事実上の保護者であった祖母は片鱗であっても見抜くことは果たして出来なかったのかなということが気にかかる、いわゆる思い当たる節だ。そこに責任の所在を置くべきではないのは重々承知だが愛情や教育など、もう少し幼少期に何か別の手立てを施すことにって結果は変わらなかったのかと思う。
その上で手の施しようがなく、先天的な脳障害により、更生が難しいというのであれば親が責任を持って小島を殺さなくてはならない、全く無関係の人が刑務所に行くのが夢だという道理にもならない道理で殺されるのはあまりにも不条理だ。
そういう意味ではごくつぶしのバカ息子の将来を悲観して殺害してしまった元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者は立派であると、まさに拍手喝采だ。立派な人であると思う。
親には責任が生じる。
正しく育てるのが親の責務であるが、その責務を果たせないのであれば子供に死を給うのも親の責任。
真っ当に生きている人が頭のおかしい無関係の人間に殺害されるなんてことはあっていいはずがない。だろ?
「通路に倒れた人を殺そうとして、見事に殺しきりました」
「(ナイフは)曲がっておりますし、有期刑になってまた出所したら人を殺すハメになり、新しいものを買うのでそれは要りません」
殺人などの罪に問われた小島一朗被告の初公判での発言である。
反省の弁は皆無、まごうことなき怪物の怪物たる面目躍如といったところか。
過去の判例を鑑みても、恐らく小島の言う通り、無期懲役であろう。裁判員裁判で仮に死刑判決が出たとしても、高裁で無期懲役に覆り、最高裁で無期懲役が確定するのが被害人数1人の殺人事件の流れであるから、この事件もご多分に漏れずまあそうなると思う。
ただ、そうなると小島の夢は刑務所に入ることであるということであるから、結果的に夢を叶えただけに過ぎない。日本の場合、無期懲役であっても服役期間が30年を過ぎると仮釈放が認められることが多く、小島が40年後ぐらいにまた同様の事件を起こすことは想像するに難くない。
小島を擁護するつもりはまったくなく、むしろ極刑に処されて欲しいと思っているのだが、この事件に至るまでの萌芽を奴の幼少期に両親や事実上の保護者であった祖母は片鱗であっても見抜くことは果たして出来なかったのかなということが気にかかる、いわゆる思い当たる節だ。そこに責任の所在を置くべきではないのは重々承知だが愛情や教育など、もう少し幼少期に何か別の手立てを施すことにって結果は変わらなかったのかと思う。
その上で手の施しようがなく、先天的な脳障害により、更生が難しいというのであれば親が責任を持って小島を殺さなくてはならない、全く無関係の人が刑務所に行くのが夢だという道理にもならない道理で殺されるのはあまりにも不条理だ。
そういう意味ではごくつぶしのバカ息子の将来を悲観して殺害してしまった元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者は立派であると、まさに拍手喝采だ。立派な人であると思う。
親には責任が生じる。
正しく育てるのが親の責務であるが、その責務を果たせないのであれば子供に死を給うのも親の責任。
真っ当に生きている人が頭のおかしい無関係の人間に殺害されるなんてことはあっていいはずがない。だろ?