強迫性障害の続き
- 2019/11/19
- 09:41
そうそう、前々回書いた看板を確認するため、深夜、車を走らせたという話ですが、夜中、尿意を催して目が覚めました。
その時、スマホを見るとGmailの受信が通知されていた。知り合いからのメールである。メールの内容はたまたま、俺の事務所の近くを通ったので車窓から看板を確認したのだが見当たらなかったというもの。
ここで俺はそんなはずはなく、恐らく彼が見逃しただけであると思ったのだが、もしかするとなんらかの原因で看板が誰かに外されてしまったかもしれないと考えた。事実、数日前に俺は自分の目で看板を確認しているのである。嫌がらせかもしれないし、なにかの間違いで外されてしまったのかもしれない・・・。
ここまでは考え過ぎだというきらいはあっても、とりあえずまあ一応常識的な思考であると思う。自分で書いてていうのもなんだが特におかしな点はないと思う。
ただ、こうしちゃおれん、何があったのか、確認しなくてはならん、よし、行くぞ(吉幾三)と思考がおかしなふうに動くのだ。もちろん、仮に嫌がらせや行き違いが事実であってもこんな深夜(2時)に行ったところでどうにもならん、明日(というか日が変わっているため今日)の朝イチに確認して、看板になにかおかしなことがあれば大家や看板屋に電話すればいいとちゃんと分かっているのだ。
でも、どうにもこうにも気持ちが収まらない。
収まらないこの気持ちがまた分からないというパラドックス的な現象でイライラする。
Wikipediaにもある通り、ここに誰かいればこの発作は抑えられるのだ。
「なんか、今、〇〇さんからメール来て、ウチの事務所の前通ったんだけど、看板見当たらなかったんだって。ま、〇〇さんの見落としだと思うけど、念のため明日の朝見てみて、なかったら看板屋に電話するわ」
これで終わる。
誰もいないと発作が起きる。
この発作が誰かに迷惑を掛けているわけではないというのも分かっている。イライラしたり、不安感に苛まれたりしたとしても、物や人に当たるということはない。だからこそ、行動を起こしてしまう。このへんが病気なんだと思うし、厄介である。暴れたりするのであれば服薬するなどすると思うが、そういうことはない、絶対にない。
そして、強迫性障害の特徴としてあるのは何度も確認するということである。
俺は縮毛矯正をしているのだが、2ヶ月ぐらい経つと矯正効果が落ちてきてしまう。それ自体は自然の摂理であるから致し方ないのだが、そこで役立つのがコテ式のヘアアイロンである。朝、クセ毛が強いところにアイロンを当てて伸ばす。出勤します。エレベーターを降り、クルマに乗ります。
「あれ?ヘアアイロンのコンセント抜いたか?」
またエレベーターを昇り、部屋に戻ってアイロンを確認する。アイロンのコンセントはちゃんと抜いてある。これまで点けっぱなしだったことは過去一度もない。
ひどいときは確認したのに万が一とかいってまた戻るもんなぁ・・・。
別に心配性というわけでもないと思う。そもそも心配性な奴が11年も裏稼業なんかするかよ、今だってそうだ、心配性なら自営業なんてしない、真面目に勤め人する。個人的には人一倍臆病だが人一倍大胆であると思っている。ブログに書けないようなヤバい橋を何度も渡ってきた。普通の人なら口からゲロの代わりに心臓が飛び出すような厳しい場面も自分の力で潜り抜けてきたという自負もある。
だがどうでもいいようなことで発作が起きる。
結局のところ、上手に付き合っていくしかないだろう、サッカーのベッカムやディカプリオも強迫性障害だという、あまり深刻に考えなくてもいいのではないか。
それとこれはあくまでも俺の推測なのだがアドルフヒトラーもそうではないかと思う。世界中を敵に回すほど大胆不敵であるのに、彼は病的なまでに臆病である。だったら俺にぴったりじゃねぇか、くくくっ。
その時、スマホを見るとGmailの受信が通知されていた。知り合いからのメールである。メールの内容はたまたま、俺の事務所の近くを通ったので車窓から看板を確認したのだが見当たらなかったというもの。
ここで俺はそんなはずはなく、恐らく彼が見逃しただけであると思ったのだが、もしかするとなんらかの原因で看板が誰かに外されてしまったかもしれないと考えた。事実、数日前に俺は自分の目で看板を確認しているのである。嫌がらせかもしれないし、なにかの間違いで外されてしまったのかもしれない・・・。
ここまでは考え過ぎだというきらいはあっても、とりあえずまあ一応常識的な思考であると思う。自分で書いてていうのもなんだが特におかしな点はないと思う。
ただ、こうしちゃおれん、何があったのか、確認しなくてはならん、よし、行くぞ(吉幾三)と思考がおかしなふうに動くのだ。もちろん、仮に嫌がらせや行き違いが事実であってもこんな深夜(2時)に行ったところでどうにもならん、明日(というか日が変わっているため今日)の朝イチに確認して、看板になにかおかしなことがあれば大家や看板屋に電話すればいいとちゃんと分かっているのだ。
でも、どうにもこうにも気持ちが収まらない。
収まらないこの気持ちがまた分からないというパラドックス的な現象でイライラする。
Wikipediaにもある通り、ここに誰かいればこの発作は抑えられるのだ。
「なんか、今、〇〇さんからメール来て、ウチの事務所の前通ったんだけど、看板見当たらなかったんだって。ま、〇〇さんの見落としだと思うけど、念のため明日の朝見てみて、なかったら看板屋に電話するわ」
これで終わる。
誰もいないと発作が起きる。
この発作が誰かに迷惑を掛けているわけではないというのも分かっている。イライラしたり、不安感に苛まれたりしたとしても、物や人に当たるということはない。だからこそ、行動を起こしてしまう。このへんが病気なんだと思うし、厄介である。暴れたりするのであれば服薬するなどすると思うが、そういうことはない、絶対にない。
そして、強迫性障害の特徴としてあるのは何度も確認するということである。
俺は縮毛矯正をしているのだが、2ヶ月ぐらい経つと矯正効果が落ちてきてしまう。それ自体は自然の摂理であるから致し方ないのだが、そこで役立つのがコテ式のヘアアイロンである。朝、クセ毛が強いところにアイロンを当てて伸ばす。出勤します。エレベーターを降り、クルマに乗ります。
「あれ?ヘアアイロンのコンセント抜いたか?」
またエレベーターを昇り、部屋に戻ってアイロンを確認する。アイロンのコンセントはちゃんと抜いてある。これまで点けっぱなしだったことは過去一度もない。
ひどいときは確認したのに万が一とかいってまた戻るもんなぁ・・・。
別に心配性というわけでもないと思う。そもそも心配性な奴が11年も裏稼業なんかするかよ、今だってそうだ、心配性なら自営業なんてしない、真面目に勤め人する。個人的には人一倍臆病だが人一倍大胆であると思っている。ブログに書けないようなヤバい橋を何度も渡ってきた。普通の人なら口からゲロの代わりに心臓が飛び出すような厳しい場面も自分の力で潜り抜けてきたという自負もある。
だがどうでもいいようなことで発作が起きる。
結局のところ、上手に付き合っていくしかないだろう、サッカーのベッカムやディカプリオも強迫性障害だという、あまり深刻に考えなくてもいいのではないか。
それとこれはあくまでも俺の推測なのだがアドルフヒトラーもそうではないかと思う。世界中を敵に回すほど大胆不敵であるのに、彼は病的なまでに臆病である。だったら俺にぴったりじゃねぇか、くくくっ。