あったと思う
- 2019/03/22
- 15:49
高須先生が今度はアウシュビッツ・ビルケナウ博物館と喧嘩している。売られた喧嘩は買ってやると意気軒昂であるが、さすがに「アウシュビッツは捏造であると思う」は無理があると思う。
俺はまあナチス研究家であると自称しており、ナチスに関する書籍は相当読み込んでいる(ヒトラーのわが闘争はまだ読みかけであるが)。先日もナチスの宣伝相であるヨーゼフゲッペルスの書籍を読み終えたばかりである。
ここでナチスの是々非々は問わない。単純にホロコーストはあったのか、なかったのかという話であればあったとしか言いようがない。
もちろん戦時下故、正確な犠牲者数については数十万単位での振れ幅があるが、ホロコーストについてはあったとしかいいようがない。
ではなぜあったと言い切れるのか?
1.写真や映像が残っている
2.ナチ党員、及びアウシュビッツ生存者の証言
3.法廷での立件


1.連合軍が多くの写真や映像を残している。おびただしい数の人形を遺体に見立てて撮影したとは到底思えず、恐らく本物である。また、同様に映像としても残っており、こちらもまた戦後の裁判を有利に進めるため、アメリカが都合よく作ったものとは思えず、本物と言い切っていいと思う。事実、作り物の批判は一つもない。
2.南京虐殺、従軍慰安婦問題との大違いは加害者、被害者双方の証言があるということだ。ナチスのホロコーストと比較される南京事件であるが、南京大虐殺はあったという声に対して、被害者の声が著しく少なく、被害者の声と称するものの大半が中国政府発表の声ばかりである。そしてなにより当事者である大虐殺に携わったとされる日本人の証言が皆無である。その南京大虐殺に対してナチスのホロコーストはナチ党員、アウシュビッツ生存者であるユダヤ人双方が認めている。
3.実際、戦後法廷でもナチスのホロコーストは明らかにされている。例えば、「ユダヤ人問題の最終解決(いわゆるホロコースト)」に携わり、戦後捕らえられ死刑判決を受けたナチスのアドルフ・アイヒマン、彼自身、ホロコーストを否定していない。上官(ラインハルト・ハイドリヒ)からの指示により従ったまでとホロコーストそのものは認めているのだ。彼が無罪を主張しているのは軍令に従ったまでで直接ホロコーストを立案したわけではないということである。つまり、職業の一端としてホロコーストに携わったわけであるから無罪を主張したのである。
なお、アイヒマンの最後の言葉は「ユダヤ教に改宗する」というものである。
何故アイヒマンはユダヤ教に改宗するといったのか?
「これでまた一人ユダヤ人を殺せる」と言ったという。
映像、動画という客観的なエビデンスに加え、ナチ党員、アウシュビッツ生存者であるユダヤ人、双方の証言、連合国による戦後調査からホロコーストがなかった、戦勝国のでっち上げというのはあまりにも無理があり過ぎる。
そもそもヒトラーの目指した人種政策というのはダーウィンの優生思想に基づいた反ユダヤ主義、及びアーリア人による生存圏(レーベンスラウム)拡大政策。ホロコーストを否定するという事は党是であるナチズムに反するためヒトラー自体を否定することに繋がり、おかしな話になってしまう。
実はここらへんが南京大虐殺とは大違いである。旧日本軍の戦争遂行のスローガンは八紘一宇、八紘一宇とは「全世界を一つの家のような形式にしてみんな仲良く」というものである。少なくとも、市民を虐殺することによって統治しようという思想はないため、どうしても南京大虐殺には結びつかないのである。
しかも、南京大虐殺は映像はおろか、写真もない。そしてなにより不思議なのは当事者の証言があまりにも少ない。南京事件当時の南京市の人口は30万~50万人だったという。うち犠牲になった人の数は数千~30万人、数の多寡が問題でないというのはもちろん理解できるがだからと言って30万人だとすると南京市民のほぼ全員が殺害された計算だ。バカな。これから統治しようという場所の市民をわざわざ殺すだろうか、常識的に考えて、統治するということは市民を働かせて金や食料を得る必要がある。仮に南京に満州国のような日本人のための直轄地を作るにしてもまずは奴隷として働かすであろう。
仮に南京虐殺が10万人だったとしよう、人口の1/3から1/5という数字。これだけの人が死ぬと通常直接自分の家族に類は及ばなくとも親戚や友人の誰かしらが犠牲になった話に直面する。いわゆる知り合いの知り合いという話。私事であるが東日本大震災で亡くなった直接の知り合いはいないのだが、元居たバイト先の同僚(岩手出身)の姉ちゃんは津波で亡くなった、神奈川県内での犠牲者4人のうち、1人は弟の会社の従業員、親戚の伯父さんの親戚は福島で津波に飲まれて亡くなったなど、結構話を聞いている。いずれも直接の知り合いではないが俺に嘘をつく理由がないため信憑性はかなり高いと思う、というか、事実でしょう。このように2万人の犠牲者であっても割りと話は聞くのである。それなのに南京虐殺の場合、まったくと言っていいほどそういう話はない。
ホロコーストにしろ、南京事件にしろ、いくら俺が極右主義者だからといってその主義主張だけでああだこうだ言っているわけではない。
あったものはあった、なかったものはなかったと、合理的に考える必要があるでしょうといってる。
高須先生がどこまでアウシュビッツ収容所を否定しているのか分かりませんけど、アウシュビッツでのユダヤ人虐殺をなかったものとするのはいくらなんでも無理があるんじゃなかろうかと。
俺はまあナチス研究家であると自称しており、ナチスに関する書籍は相当読み込んでいる(ヒトラーのわが闘争はまだ読みかけであるが)。先日もナチスの宣伝相であるヨーゼフゲッペルスの書籍を読み終えたばかりである。
ここでナチスの是々非々は問わない。単純にホロコーストはあったのか、なかったのかという話であればあったとしか言いようがない。
もちろん戦時下故、正確な犠牲者数については数十万単位での振れ幅があるが、ホロコーストについてはあったとしかいいようがない。
ではなぜあったと言い切れるのか?
1.写真や映像が残っている
2.ナチ党員、及びアウシュビッツ生存者の証言
3.法廷での立件


※ホロコースト犠牲者の写真、アメリカやソ連がでっち上げた写真だとは思えない
1.連合軍が多くの写真や映像を残している。おびただしい数の人形を遺体に見立てて撮影したとは到底思えず、恐らく本物である。また、同様に映像としても残っており、こちらもまた戦後の裁判を有利に進めるため、アメリカが都合よく作ったものとは思えず、本物と言い切っていいと思う。事実、作り物の批判は一つもない。
2.南京虐殺、従軍慰安婦問題との大違いは加害者、被害者双方の証言があるということだ。ナチスのホロコーストと比較される南京事件であるが、南京大虐殺はあったという声に対して、被害者の声が著しく少なく、被害者の声と称するものの大半が中国政府発表の声ばかりである。そしてなにより当事者である大虐殺に携わったとされる日本人の証言が皆無である。その南京大虐殺に対してナチスのホロコーストはナチ党員、アウシュビッツ生存者であるユダヤ人双方が認めている。
3.実際、戦後法廷でもナチスのホロコーストは明らかにされている。例えば、「ユダヤ人問題の最終解決(いわゆるホロコースト)」に携わり、戦後捕らえられ死刑判決を受けたナチスのアドルフ・アイヒマン、彼自身、ホロコーストを否定していない。上官(ラインハルト・ハイドリヒ)からの指示により従ったまでとホロコーストそのものは認めているのだ。彼が無罪を主張しているのは軍令に従ったまでで直接ホロコーストを立案したわけではないということである。つまり、職業の一端としてホロコーストに携わったわけであるから無罪を主張したのである。
なお、アイヒマンの最後の言葉は「ユダヤ教に改宗する」というものである。
何故アイヒマンはユダヤ教に改宗するといったのか?
「これでまた一人ユダヤ人を殺せる」と言ったという。
映像、動画という客観的なエビデンスに加え、ナチ党員、アウシュビッツ生存者であるユダヤ人、双方の証言、連合国による戦後調査からホロコーストがなかった、戦勝国のでっち上げというのはあまりにも無理があり過ぎる。
そもそもヒトラーの目指した人種政策というのはダーウィンの優生思想に基づいた反ユダヤ主義、及びアーリア人による生存圏(レーベンスラウム)拡大政策。ホロコーストを否定するという事は党是であるナチズムに反するためヒトラー自体を否定することに繋がり、おかしな話になってしまう。
実はここらへんが南京大虐殺とは大違いである。旧日本軍の戦争遂行のスローガンは八紘一宇、八紘一宇とは「全世界を一つの家のような形式にしてみんな仲良く」というものである。少なくとも、市民を虐殺することによって統治しようという思想はないため、どうしても南京大虐殺には結びつかないのである。
しかも、南京大虐殺は映像はおろか、写真もない。そしてなにより不思議なのは当事者の証言があまりにも少ない。南京事件当時の南京市の人口は30万~50万人だったという。うち犠牲になった人の数は数千~30万人、数の多寡が問題でないというのはもちろん理解できるがだからと言って30万人だとすると南京市民のほぼ全員が殺害された計算だ。バカな。これから統治しようという場所の市民をわざわざ殺すだろうか、常識的に考えて、統治するということは市民を働かせて金や食料を得る必要がある。仮に南京に満州国のような日本人のための直轄地を作るにしてもまずは奴隷として働かすであろう。
仮に南京虐殺が10万人だったとしよう、人口の1/3から1/5という数字。これだけの人が死ぬと通常直接自分の家族に類は及ばなくとも親戚や友人の誰かしらが犠牲になった話に直面する。いわゆる知り合いの知り合いという話。私事であるが東日本大震災で亡くなった直接の知り合いはいないのだが、元居たバイト先の同僚(岩手出身)の姉ちゃんは津波で亡くなった、神奈川県内での犠牲者4人のうち、1人は弟の会社の従業員、親戚の伯父さんの親戚は福島で津波に飲まれて亡くなったなど、結構話を聞いている。いずれも直接の知り合いではないが俺に嘘をつく理由がないため信憑性はかなり高いと思う、というか、事実でしょう。このように2万人の犠牲者であっても割りと話は聞くのである。それなのに南京虐殺の場合、まったくと言っていいほどそういう話はない。
ホロコーストにしろ、南京事件にしろ、いくら俺が極右主義者だからといってその主義主張だけでああだこうだ言っているわけではない。
あったものはあった、なかったものはなかったと、合理的に考える必要があるでしょうといってる。
高須先生がどこまでアウシュビッツ収容所を否定しているのか分かりませんけど、アウシュビッツでのユダヤ人虐殺をなかったものとするのはいくらなんでも無理があるんじゃなかろうかと。