三十年が経ち
- 2019/01/09
- 18:45
1月8日、平成が始まってちょうど30年目にあたる節目の日だ。
あの時、俺は中学3年生、私立高校の受験を目前に控え右往左往しておりました。
個人的には昭和という激動の時代が終わりを告げたということよりも、自宅の前にある公民館に半旗が掲げられているのをはじめて見て、そちらの方が不思議に思ったくらいである。半旗の存在を知らず、お袋に、なぜ中途半端な位置までしか国旗を掲揚しないのかと尋ねたのを思い出す。
前にも書いたが、平成という新しい時代が始まる期待感というよりも、昭和天皇崩御のニュースの方が断然大きく、テレビのキャスターは黒のネクタイをして礼服、町中を見ても殆どの店が閉まり、人や車の往来もまばら、日本中が黒一色に染まった。静まり返り、動きがまるでないモノクロームな風景をどこか他人事のように眺めていた記憶がある。
あれから丸三十年、天災にはことごとく祟られ、オウム事件をはじめ、血生臭い凄惨な事件も少なからず起きたが、戦争の災禍に巻き込まれなかったことは特筆すべきことであり、この功績は後世に深く語り継いでいく必要がある。
災害や凄惨な事件、事故で大切な方を亡くした方からすれば到底そうは思えないだろうが、それでもやっぱり平成の三十年間は穏やかないい時代だったと思う。天災に苦しめられた反面、困難に立ち向かう人間の強さや優しさも知った。
もう間もなく訪れる次の時代も、時代を担う子や孫の世代が受け継いでよかったと誇れる、戦争のない穏やかな時代であって欲しいし、また、そうでなくてはならない。
今日は柄にもなく。
あの時、俺は中学3年生、私立高校の受験を目前に控え右往左往しておりました。
個人的には昭和という激動の時代が終わりを告げたということよりも、自宅の前にある公民館に半旗が掲げられているのをはじめて見て、そちらの方が不思議に思ったくらいである。半旗の存在を知らず、お袋に、なぜ中途半端な位置までしか国旗を掲揚しないのかと尋ねたのを思い出す。
前にも書いたが、平成という新しい時代が始まる期待感というよりも、昭和天皇崩御のニュースの方が断然大きく、テレビのキャスターは黒のネクタイをして礼服、町中を見ても殆どの店が閉まり、人や車の往来もまばら、日本中が黒一色に染まった。静まり返り、動きがまるでないモノクロームな風景をどこか他人事のように眺めていた記憶がある。
あれから丸三十年、天災にはことごとく祟られ、オウム事件をはじめ、血生臭い凄惨な事件も少なからず起きたが、戦争の災禍に巻き込まれなかったことは特筆すべきことであり、この功績は後世に深く語り継いでいく必要がある。
災害や凄惨な事件、事故で大切な方を亡くした方からすれば到底そうは思えないだろうが、それでもやっぱり平成の三十年間は穏やかないい時代だったと思う。天災に苦しめられた反面、困難に立ち向かう人間の強さや優しさも知った。
もう間もなく訪れる次の時代も、時代を担う子や孫の世代が受け継いでよかったと誇れる、戦争のない穏やかな時代であって欲しいし、また、そうでなくてはならない。
今日は柄にもなく。