桃の種ねぇ
- 2018/12/12
- 14:25
纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)から出土していた大量のモモの種を放射性炭素(C14)年代測定法を用いて測定したところ、卑弥呼が生きていたとされる時代とほぼ合致、当時の桃は呪術の対象として古くから珍重されるため、邪馬台国畿内説を強く後押しする有力な証拠になったという。今年の考古学ミステリーニュースはこれに決まりでしょう。
邪馬台国が畿内説か、九州説かは江戸時代から続く話であり、未だ答えは出ない。
こんなことを言ったらなんだが、俺なんかは本当に卑弥呼がいたのだろうかと、訝しく思っているぐらいだ。
卑弥呼の出所の根拠が魏志倭人伝でしょ、いったいどこまで信用していいのかという話じゃんか。それでなくても今って、鎌倉幕府開府は1192年じゃなく1185年になったり、俺たちの頃は厩戸王イコール聖徳太子と習ったのに今じゃそれは違うんじゃないかという学説が強くなり、聖徳太子が教科書から姿を消すかもなんて話もあるじゃない、当の卑弥呼にしても、単に呪術師のことを「秘めこと」といい、それを聞き違いした当時の中国人が「ひみこ」と書いてしまったという説や、巫女さん自体を「姫子」といい、それを「ひみこ」と勘違いしたなんて話もあるぐらいでタイムマシーンが出来ない限り、結論は出ない。
そもそも、今回の発端となった桃の種出土の畿内説だって矛盾を孕んでいるわな。
魏志倭人伝には奴婢(いわゆる奴隷)百余人を殉葬したとあるのに、出てきたのは桃の種だけで100人の遺骨はないんだろ、もうそれだけでなんかねぇ。
もし仮に本当に邪馬台国があったというのであれば九州説の方が信憑性は高いだろうと思っている。
当時の技術で中国に渡るというのは相当困難を伴うわけで、畿内(関西)から中国へ向かうとなると、道なき道を山口あたりまで進んでいき、関門海峡あたりから船に乗るか、大阪湾から瀬戸内海経由で関門海峡を抜け、そして東シナ海へというルートであるが邪馬台国を一歩出りゃ四面楚歌の敵だらけだろ、いずれのルートを選択するにしても危険極まりなく、日本国内を出ることすら憚れるかなり危うい話、ちょっと非現実的だよな。これが福岡あたりからならとりあえず困難は東シナ海だけであるからうまくいけば訪中も可能だ。そして、直接の関係ではないが、漢委奴国王印、いわゆる金印が九州から出土していることからも九州に相応の文明が存在していたのではないかと思う。
いずれにせよ、個人的には卑弥呼はおろか、邪馬台国そのものがかなり眉唾ものだと思っている。もちろん、古墳や遺跡が発掘されることから邪馬台国に近い、なにがしかの文明が存在しいてたのは間違いと思いますがね。
邪馬台国が畿内説か、九州説かは江戸時代から続く話であり、未だ答えは出ない。
こんなことを言ったらなんだが、俺なんかは本当に卑弥呼がいたのだろうかと、訝しく思っているぐらいだ。
卑弥呼の出所の根拠が魏志倭人伝でしょ、いったいどこまで信用していいのかという話じゃんか。それでなくても今って、鎌倉幕府開府は1192年じゃなく1185年になったり、俺たちの頃は厩戸王イコール聖徳太子と習ったのに今じゃそれは違うんじゃないかという学説が強くなり、聖徳太子が教科書から姿を消すかもなんて話もあるじゃない、当の卑弥呼にしても、単に呪術師のことを「秘めこと」といい、それを聞き違いした当時の中国人が「ひみこ」と書いてしまったという説や、巫女さん自体を「姫子」といい、それを「ひみこ」と勘違いしたなんて話もあるぐらいでタイムマシーンが出来ない限り、結論は出ない。
そもそも、今回の発端となった桃の種出土の畿内説だって矛盾を孕んでいるわな。
魏志倭人伝には奴婢(いわゆる奴隷)百余人を殉葬したとあるのに、出てきたのは桃の種だけで100人の遺骨はないんだろ、もうそれだけでなんかねぇ。
もし仮に本当に邪馬台国があったというのであれば九州説の方が信憑性は高いだろうと思っている。
当時の技術で中国に渡るというのは相当困難を伴うわけで、畿内(関西)から中国へ向かうとなると、道なき道を山口あたりまで進んでいき、関門海峡あたりから船に乗るか、大阪湾から瀬戸内海経由で関門海峡を抜け、そして東シナ海へというルートであるが邪馬台国を一歩出りゃ四面楚歌の敵だらけだろ、いずれのルートを選択するにしても危険極まりなく、日本国内を出ることすら憚れるかなり危うい話、ちょっと非現実的だよな。これが福岡あたりからならとりあえず困難は東シナ海だけであるからうまくいけば訪中も可能だ。そして、直接の関係ではないが、漢委奴国王印、いわゆる金印が九州から出土していることからも九州に相応の文明が存在していたのではないかと思う。
いずれにせよ、個人的には卑弥呼はおろか、邪馬台国そのものがかなり眉唾ものだと思っている。もちろん、古墳や遺跡が発掘されることから邪馬台国に近い、なにがしかの文明が存在しいてたのは間違いと思いますがね。