虫が良すぎだ
- 2018/09/07
- 22:58
ヤフーニュースを見ていて気になったことがある。とある男性音楽家の記事だ。彼は小学校、中学校といじめられていたという。
もちろん、いじめを是とするわけではなく、どんな理由があるにせよ、いじめは根絶すべき喫緊の課題であると思うのだが、記事を読んでいて彼の場合、正直それってお前にも原因があるんじゃねぇのという疑問符を付けずにいられなかった。
小さなころからピアニストを目指していたため、突き指や骨折したら一大事、なのでドッチボールなどの球技はすべて体育の授業であっても一切参加せず、見学をしていたという。それを面白く思っていない他の子供たちからハブられ、いじめを受けるようになったという。
繰り返すがいじめは理由の如何を問わずダメです。しかしながら、障害や怪我などで参加しないのならともかく、ピアニストになりたいという極めて自己中心的な理由での見学、それってどう考えてもアウトでしょう。これが休み時間や放課後の自由な遊びの時間ならまだしも、学校の体育の授業でプロピアニストになりたいというてめぇ勝手な理由での欠席を認めていたらそもそも授業なんか受ける必要もなく、突き詰めると義務教育を受ける必要がないだろう。
早い話が授業のボイコットだ。
ボイコットはします、でもいじめられたくない、そんな虫のイイ話ってあるか?
実際問題、体育の授業で怪我をするなんて山ほどあります。むしろ、体育の授業で怪我一つしないで大人になった人なんていない思うぐらい大なり小なり怪我をするわけです。あくまでも俺の意見ですがその怪我も含めての授業です。また、誰かが怪我をすればまわりの仲間が助けてあげる、こうして共助の精神を知らず知らずのうちに養う、何も体力をつけるためだけが体育の授業ではないはずだ。
そこを蔑ろにして、本人の意思だか、親の意思だか知らんけども、突き指は困る、でもいじめも困るといわれても、さすがにそれは虫が良すぎる。
冒頭の彼は幸いなことに有名な音楽家になれたから結果オーライかもしれんが、ふつう社会に出れば職務でもプライベートでも嫌なことやツラいことに山ほど直面する。それが自分だけの問題であるなら別に逃げたり、無視したりするのもいいですが、誰かと関わってその問題に対処するとき、突き指すると困るので僕は抜けさせてもらいますといったら、言うまでもなく総スカンだろう。何も被災地に行ってがれきの山をかき分け行方不明者の救助するわけではない、職場内の片付けで重い荷物を持つとか、町内会の運動会でテントを張るとかそんな程度の話だ。
繰り返すがいじめはダメだ。
だが、わざわざいじめられる環境を生み出す必要というものはあるのだろうか。
顰蹙を買うような行動を起こしておきながら、いじめでツラかったと言われても、だったらいじめられないよう正しく行動しなさいよというのは言い過ぎなのでしょうか。
初志貫徹して、どうしても突き指が嫌だから体育の授業には参加せず、ひたすら指の保護に努めますというのであればどんなに風当たりが強くとも決して泣き言を言ってはいけない。余所の国は知らないが、少なくとも日本では協調性こそが社会人として求められる第一の資質であり、そこを幼少期より放棄しているのであるから良い悪いは別にして社会に順応できないのは元より甘受すべきだろう。
あくまでも個人的な意見を言えば、ピアニストとして大成するよりも、子供は子供らしく体育にしろ、放課後の遊びの時間にしろ、元気いっぱい体を動かして、多少の怪我があったとしても仲間と触れ合った方がいいと思うのです。その結果一流のピアニストになれなくともよっぽど健全だ。
もちろん、個人の価値観ですから、授業をボイコットしてもピアニストこそが至高というのも人の生き方であり俺にその生き方を否定する権利などないが、ただ、あの野郎、怪我をしているわけじゃねぇのに授業をサボりやがって、あんな奴、金輪際無視しようぜと思ってしまう子たちの気持ちはよく分かる。その子たちに向かってピアニスト君も仲良くしてあげなさいとはちょっと言えないな~。
もちろん、いじめを是とするわけではなく、どんな理由があるにせよ、いじめは根絶すべき喫緊の課題であると思うのだが、記事を読んでいて彼の場合、正直それってお前にも原因があるんじゃねぇのという疑問符を付けずにいられなかった。
小さなころからピアニストを目指していたため、突き指や骨折したら一大事、なのでドッチボールなどの球技はすべて体育の授業であっても一切参加せず、見学をしていたという。それを面白く思っていない他の子供たちからハブられ、いじめを受けるようになったという。
繰り返すがいじめは理由の如何を問わずダメです。しかしながら、障害や怪我などで参加しないのならともかく、ピアニストになりたいという極めて自己中心的な理由での見学、それってどう考えてもアウトでしょう。これが休み時間や放課後の自由な遊びの時間ならまだしも、学校の体育の授業でプロピアニストになりたいというてめぇ勝手な理由での欠席を認めていたらそもそも授業なんか受ける必要もなく、突き詰めると義務教育を受ける必要がないだろう。
早い話が授業のボイコットだ。
ボイコットはします、でもいじめられたくない、そんな虫のイイ話ってあるか?
実際問題、体育の授業で怪我をするなんて山ほどあります。むしろ、体育の授業で怪我一つしないで大人になった人なんていない思うぐらい大なり小なり怪我をするわけです。あくまでも俺の意見ですがその怪我も含めての授業です。また、誰かが怪我をすればまわりの仲間が助けてあげる、こうして共助の精神を知らず知らずのうちに養う、何も体力をつけるためだけが体育の授業ではないはずだ。
そこを蔑ろにして、本人の意思だか、親の意思だか知らんけども、突き指は困る、でもいじめも困るといわれても、さすがにそれは虫が良すぎる。
冒頭の彼は幸いなことに有名な音楽家になれたから結果オーライかもしれんが、ふつう社会に出れば職務でもプライベートでも嫌なことやツラいことに山ほど直面する。それが自分だけの問題であるなら別に逃げたり、無視したりするのもいいですが、誰かと関わってその問題に対処するとき、突き指すると困るので僕は抜けさせてもらいますといったら、言うまでもなく総スカンだろう。何も被災地に行ってがれきの山をかき分け行方不明者の救助するわけではない、職場内の片付けで重い荷物を持つとか、町内会の運動会でテントを張るとかそんな程度の話だ。
繰り返すがいじめはダメだ。
だが、わざわざいじめられる環境を生み出す必要というものはあるのだろうか。
顰蹙を買うような行動を起こしておきながら、いじめでツラかったと言われても、だったらいじめられないよう正しく行動しなさいよというのは言い過ぎなのでしょうか。
初志貫徹して、どうしても突き指が嫌だから体育の授業には参加せず、ひたすら指の保護に努めますというのであればどんなに風当たりが強くとも決して泣き言を言ってはいけない。余所の国は知らないが、少なくとも日本では協調性こそが社会人として求められる第一の資質であり、そこを幼少期より放棄しているのであるから良い悪いは別にして社会に順応できないのは元より甘受すべきだろう。
あくまでも個人的な意見を言えば、ピアニストとして大成するよりも、子供は子供らしく体育にしろ、放課後の遊びの時間にしろ、元気いっぱい体を動かして、多少の怪我があったとしても仲間と触れ合った方がいいと思うのです。その結果一流のピアニストになれなくともよっぽど健全だ。
もちろん、個人の価値観ですから、授業をボイコットしてもピアニストこそが至高というのも人の生き方であり俺にその生き方を否定する権利などないが、ただ、あの野郎、怪我をしているわけじゃねぇのに授業をサボりやがって、あんな奴、金輪際無視しようぜと思ってしまう子たちの気持ちはよく分かる。その子たちに向かってピアニスト君も仲良くしてあげなさいとはちょっと言えないな~。