勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求む
- 2018/08/13
- 10:53
間もなく、平成最後の終戦記念日を迎えるが、凄惨な事件事故、深刻な自然災害など、数多くの犠牲者はむしろ昭和の時代よりも多かったのではないかと思われるが、それでも戦火を交えなかったことは幕末の動乱期から現在まで凡そ160年、ある意味この30年間はこれまでの日本の足取りを鑑みると奇跡に近い期間であった。余談であるが大正時代はわずか15年しかないのにも関わらず第一次世界大戦に巻き込まれ、戦死者数は415人と公称されている。
勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む
孫子の兵法を読んでいる人であれば知っていると思うが、戦いに勝つには勝てる算段をして、勝てる状況であれば戦い、どう考えても勝てないのであれば戦争はするなという意味である(と、俺は解釈している)。考えようによってはいたく平易な当たり前の話でしかない。
そう考えると、旧日本軍の首脳部というのは結果論かもしれないがとにかく傲慢不遜で無能な連中であったとしかいいようがない。
戦力を比較した時、どこをどう考えても、アメリカと戦って勝てるはずがない。世界恐慌の煽りを受け、疲弊するアメリカ経済、戦争こそが景気回復のカンフル剤と考えていたルーズベルトに石油を封鎖され、戦争をするように仕向けられてしまったきらいはあったにせよ、日本の国力を比較したとき、大国アメリカと戦って勝てるはずないのだ。いくら老獪なルーズベルトであっても日本がはじめから恭順の意を唱えていれば戦争をすることなど出来なかった。
その点、明治の児玉源太郎やT字作戦でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎は優秀だった。長期戦でロシアと戦えば必ず日本が負けることを熟知しており、短期決戦に徹して、いち早く講和に持ち込んだ。明治の軍人は戊辰戦争、函館戦争を経験して、戦争の長期化は絶対に避けなければならないという明確なビジョンがあったといえる。
だが、昭和の軍人は違った。
なんとなく勝てるであろうという根拠のない根拠を元にして泥沼にはまった。
また、作戦自体がお粗末だ。
例えば100人対100人で戦うとする。武器の性能は互角。この場合の正しい戦い方は50人一組の2部隊や10人一組の10部隊を段階的に100人の敵に投入するよりも初めから100人を投じた方が勝ち負けは理論的に五分になる。しかし、日本軍は戦力が乏しかったため、どうしても小出しにしてしまい、結果的に全滅ということが少なからずあった。詳しい計算方式は省くがこの武器の性能とマンパワーが同じ場合の戦果については数学の計算式で導き出せる。イギリスの自動車工学・航空工学のエンジニア、フレデリック・ランチェスターがピタゴラスの定理にヒントを得て、第二次世界大戦前にはすでに立証していたのである。
こうして最終的には特攻や天一号作戦という愚か極まりない、もはや作戦とはお世辞にも言えない作戦を展開して日本は焼け野原になった。
特攻で散らした命には最大限の敬意を表し、靖国神社に祀られている御霊には尊崇の念しかないが、陳腐な作戦を立案した軍の首脳部には憤りしかない。今となっては確かめる術はないが軍の首脳陣たちはどうやってアメリカを屈服させるつもりだったのだろうか。湯川秀樹がアインシュタインよりも先に原爆を完成させていればもしかして世界地図は変わったかもしれないが当時はまだ研究途上であり、仮に原爆を開発できるだけの理論が構築できてもそもそもウランが手に入らないのだから絵にかいた餅でしかない。
戦争自体、別に否定はしないが負けるべくして負けてしまった旧日本軍首脳部の愚かさはよくよく考える必要がある。
勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む
孫子の兵法を読んでいる人であれば知っていると思うが、戦いに勝つには勝てる算段をして、勝てる状況であれば戦い、どう考えても勝てないのであれば戦争はするなという意味である(と、俺は解釈している)。考えようによってはいたく平易な当たり前の話でしかない。
そう考えると、旧日本軍の首脳部というのは結果論かもしれないがとにかく傲慢不遜で無能な連中であったとしかいいようがない。
戦力を比較した時、どこをどう考えても、アメリカと戦って勝てるはずがない。世界恐慌の煽りを受け、疲弊するアメリカ経済、戦争こそが景気回復のカンフル剤と考えていたルーズベルトに石油を封鎖され、戦争をするように仕向けられてしまったきらいはあったにせよ、日本の国力を比較したとき、大国アメリカと戦って勝てるはずないのだ。いくら老獪なルーズベルトであっても日本がはじめから恭順の意を唱えていれば戦争をすることなど出来なかった。
その点、明治の児玉源太郎やT字作戦でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎は優秀だった。長期戦でロシアと戦えば必ず日本が負けることを熟知しており、短期決戦に徹して、いち早く講和に持ち込んだ。明治の軍人は戊辰戦争、函館戦争を経験して、戦争の長期化は絶対に避けなければならないという明確なビジョンがあったといえる。
だが、昭和の軍人は違った。
なんとなく勝てるであろうという根拠のない根拠を元にして泥沼にはまった。
また、作戦自体がお粗末だ。
例えば100人対100人で戦うとする。武器の性能は互角。この場合の正しい戦い方は50人一組の2部隊や10人一組の10部隊を段階的に100人の敵に投入するよりも初めから100人を投じた方が勝ち負けは理論的に五分になる。しかし、日本軍は戦力が乏しかったため、どうしても小出しにしてしまい、結果的に全滅ということが少なからずあった。詳しい計算方式は省くがこの武器の性能とマンパワーが同じ場合の戦果については数学の計算式で導き出せる。イギリスの自動車工学・航空工学のエンジニア、フレデリック・ランチェスターがピタゴラスの定理にヒントを得て、第二次世界大戦前にはすでに立証していたのである。
こうして最終的には特攻や天一号作戦という愚か極まりない、もはや作戦とはお世辞にも言えない作戦を展開して日本は焼け野原になった。
特攻で散らした命には最大限の敬意を表し、靖国神社に祀られている御霊には尊崇の念しかないが、陳腐な作戦を立案した軍の首脳部には憤りしかない。今となっては確かめる術はないが軍の首脳陣たちはどうやってアメリカを屈服させるつもりだったのだろうか。湯川秀樹がアインシュタインよりも先に原爆を完成させていればもしかして世界地図は変わったかもしれないが当時はまだ研究途上であり、仮に原爆を開発できるだけの理論が構築できてもそもそもウランが手に入らないのだから絵にかいた餅でしかない。
戦争自体、別に否定はしないが負けるべくして負けてしまった旧日本軍首脳部の愚かさはよくよく考える必要がある。