墓参
- 2018/08/06
- 10:51
現在、常総市についての観光系のサイト制作に携わっており、先日、市内の弘経寺で撮影をしてきました。

こちらの古刹は千姫が眠る墓として知られており、地元常総市の方はもとより、悲劇のヒロイン千姫を偲び、県内外から多くの歴史ファンが訪れる。
茨城県内に於いては神社仏閣などで葵の御紋を見かけることは決して少なくないが、その殆どは水戸三葵といわれている葵紋。
しかし、弘経寺の三葵は徳川宗家の家紋。一見すると違いが分かりづらいが水戸徳川家の三葵、徳川宗家の三葵、葉っぱの数や形が微妙に異なる。そういった意味でも非常に興味深い。
戦国一の美女の誉れ高い祖母お市とその兄である同じく眉目秀麗な信長の血を引き、千姫自身も大変美しい姫君であったという。豊臣秀頼との結婚はもちろん政略結婚、事実上の人質であるが、二人の仲は大変睦まじかったといい、大阪夏の陣では千姫自身が秀頼と淀君の助命嘆願を申し出ており、秀頼が側室との間に設けた天秀尼(てんしゅうに)ついては千姫が自らの養女として寺に入れることを条件に助命されている。
徳川の道具でしかなかった千姫がいつの間にか身も心も豊臣の人間になってしまっていたのである。
大きなうねりを上げる歴史の転換期とはいえ、時代に翻弄された女性の一人でもある。
大坂城から救出された千姫は父秀忠に、「何故お前は秀頼公とともに自刃しなかったのか」と強く叱責されたとの話もあり、その後の人生も波乱に満ち満ちて、決して幸せな人生だったとは言い難い。もしかすると、千姫にとって一番幸せな時間だったのは人質として豊臣に嫁ぎ、秀頼と過ごした日々だったのかもしれない。
なお、当弘経寺であるが、遺髪が収められていると考えられていたが最近の調査では遺骨が眠っていることが確認された。
時雨れる蝉の声も忘れ、暫し手を合わせて当弘経寺を後にした。

こちらの古刹は千姫が眠る墓として知られており、地元常総市の方はもとより、悲劇のヒロイン千姫を偲び、県内外から多くの歴史ファンが訪れる。
茨城県内に於いては神社仏閣などで葵の御紋を見かけることは決して少なくないが、その殆どは水戸三葵といわれている葵紋。
しかし、弘経寺の三葵は徳川宗家の家紋。一見すると違いが分かりづらいが水戸徳川家の三葵、徳川宗家の三葵、葉っぱの数や形が微妙に異なる。そういった意味でも非常に興味深い。
戦国一の美女の誉れ高い祖母お市とその兄である同じく眉目秀麗な信長の血を引き、千姫自身も大変美しい姫君であったという。豊臣秀頼との結婚はもちろん政略結婚、事実上の人質であるが、二人の仲は大変睦まじかったといい、大阪夏の陣では千姫自身が秀頼と淀君の助命嘆願を申し出ており、秀頼が側室との間に設けた天秀尼(てんしゅうに)ついては千姫が自らの養女として寺に入れることを条件に助命されている。
徳川の道具でしかなかった千姫がいつの間にか身も心も豊臣の人間になってしまっていたのである。
大きなうねりを上げる歴史の転換期とはいえ、時代に翻弄された女性の一人でもある。
大坂城から救出された千姫は父秀忠に、「何故お前は秀頼公とともに自刃しなかったのか」と強く叱責されたとの話もあり、その後の人生も波乱に満ち満ちて、決して幸せな人生だったとは言い難い。もしかすると、千姫にとって一番幸せな時間だったのは人質として豊臣に嫁ぎ、秀頼と過ごした日々だったのかもしれない。
なお、当弘経寺であるが、遺髪が収められていると考えられていたが最近の調査では遺骨が眠っていることが確認された。
時雨れる蝉の声も忘れ、暫し手を合わせて当弘経寺を後にした。