ファシストよりもよっぽどファシストらしい
- 2018/08/04
- 12:38
俺自身、LGBTという存在を一切認めておらん。
ナチスの優生思想は正しいと信奉する俺にとって、LGBTを認めるということは自己アイデンティティの崩壊につながるため、死ぬまで相容れない考え方である。
とはいえ、LGBT当事者及び支持者が日本国内の法律の範囲内で、生活を送るのであれば取り立てて騒ぎ立てをするつもりはなく、どうぞご勝手にという以外ないのだが、ここにきて、自分のようなアンチLGBTを許さないという風潮が高まりつつあるのが実に恐ろしい。
「LGBTは生産性がない」(自民党・杉田水脈衆議院議員)
「同性愛は趣味みたいなもん」(自民党・谷川とむ衆院議員)
俺からすると、よくぞ言った白眉、まさに拍手喝采でしかないのだが、そう思うことを世論として許さないというのであるから明らかにおかしい。
以前も書いたが、LGBTを認めろと主張するのであれば最低限LGBTを認めない人がいるというのも認めなければそれは単なるファシズムでしかない。ファシズムやナチズムを否定する連中こそが実は最もファシズム的な考えであるというのであるから笑ってしまう。
「子供への虐待は絶対にやめましょう」、であれば解決する方法論やアプローチに違いはあれど、右翼、左翼ともに異論はないだろう。児童虐待を容認するような人間が世の中に居てはいけない、これは主義主張を超越した人間としての心であるから共産党員であろうが、極右主義者であろが特に揉めることはないし、解決の道筋が見い出せるのであれば共産党員との共闘もやぶさかではない。
だが、ダーウィンの進化論が根底にあり、種の保存こそが正しいと信ずる優生学支持者からすると何度も言うがLGBTを容認することなど出来ないのである。
もちろんだからと言って特定の個人に照準を絞り、肉体的、及び精神的な攻撃を仕掛けることはいけないし、少なくとも俺はしない。しかし、LGBT容認派からすると俺のような人間は差別主義者なのだそうだ。
それで気が済むのであればいくらでも差別主義者との汚名を被るが、俺が言っていることは実に簡単かつ単純な話、健全な男女が愛し合い、子を産み、次世代に命の灯をつなぐ、こういう当たり前のことを言っているのに差別主義者なのだそうだ。不思議で仕方ないのです。
いやね、LGBTの当事者が苦しんでいるというのは一定程度理解もしています。
ですが、その苦しみとは難病や癌などの苦しみと同列のものなのでしょうか?恐らく違うと思う。
じゃあいう、殆どの親が自分の子供からLGBTであると打ち明けられたとき、「多様性を認める社会だからあなたはあなたらしく生きればいいのよ~」と微笑み返せるのか、少なからずショックを受けるのが現実じゃないのか?癌が見つかった時のショックとはまったく別問題の話でしょう。子供に癌が見つかったからと言ってさじを投げる親はいない。
では、何故、LGBTはショックを受けるのか?
心の奥底でどんなに偉そうなことを言っててもLGBTを認めてないからだ。本当に穏やかな心で認めていれば動揺なんかせん。
つまり、いくら社会でLGBTを容認しようしても心の奥底では所詮人ごと、大部分の人がLGBTなど認めていないのだ。自民党でも杉田議員、谷川議員の火消しに躍起になっているが、火消しをしている議員の子供がLGBTであれば笑っていられるのか、政治家こそ世襲や世間体に人一倍こだわる人種だ、自分の息子がゲイで女性との結婚願望なんてまるでないなんて言い出したら到底受け入れないだろう。
誰がLGBTを容認しなくてはならないと言い出したのかは分からんが何度も言いますがLGBT自体は一般論として異常な事態なのです。その異常事態を異常事態と思うことは差別でもなんでもなく、種の保存的な観点から言えばまったく違和感はなく、むしろ正常な感覚。
正常な感覚の人間をそれはいかんと否定する方がファシストよりもよっぽどファシストらしいというのであるから笑ってしまう。LGBT容認派はそこらへんよく考えて物言えや。
ナチスの優生思想は正しいと信奉する俺にとって、LGBTを認めるということは自己アイデンティティの崩壊につながるため、死ぬまで相容れない考え方である。
とはいえ、LGBT当事者及び支持者が日本国内の法律の範囲内で、生活を送るのであれば取り立てて騒ぎ立てをするつもりはなく、どうぞご勝手にという以外ないのだが、ここにきて、自分のようなアンチLGBTを許さないという風潮が高まりつつあるのが実に恐ろしい。
「LGBTは生産性がない」(自民党・杉田水脈衆議院議員)
「同性愛は趣味みたいなもん」(自民党・谷川とむ衆院議員)
俺からすると、よくぞ言った白眉、まさに拍手喝采でしかないのだが、そう思うことを世論として許さないというのであるから明らかにおかしい。
以前も書いたが、LGBTを認めろと主張するのであれば最低限LGBTを認めない人がいるというのも認めなければそれは単なるファシズムでしかない。ファシズムやナチズムを否定する連中こそが実は最もファシズム的な考えであるというのであるから笑ってしまう。
「子供への虐待は絶対にやめましょう」、であれば解決する方法論やアプローチに違いはあれど、右翼、左翼ともに異論はないだろう。児童虐待を容認するような人間が世の中に居てはいけない、これは主義主張を超越した人間としての心であるから共産党員であろうが、極右主義者であろが特に揉めることはないし、解決の道筋が見い出せるのであれば共産党員との共闘もやぶさかではない。
だが、ダーウィンの進化論が根底にあり、種の保存こそが正しいと信ずる優生学支持者からすると何度も言うがLGBTを容認することなど出来ないのである。
もちろんだからと言って特定の個人に照準を絞り、肉体的、及び精神的な攻撃を仕掛けることはいけないし、少なくとも俺はしない。しかし、LGBT容認派からすると俺のような人間は差別主義者なのだそうだ。
それで気が済むのであればいくらでも差別主義者との汚名を被るが、俺が言っていることは実に簡単かつ単純な話、健全な男女が愛し合い、子を産み、次世代に命の灯をつなぐ、こういう当たり前のことを言っているのに差別主義者なのだそうだ。不思議で仕方ないのです。
いやね、LGBTの当事者が苦しんでいるというのは一定程度理解もしています。
ですが、その苦しみとは難病や癌などの苦しみと同列のものなのでしょうか?恐らく違うと思う。
じゃあいう、殆どの親が自分の子供からLGBTであると打ち明けられたとき、「多様性を認める社会だからあなたはあなたらしく生きればいいのよ~」と微笑み返せるのか、少なからずショックを受けるのが現実じゃないのか?癌が見つかった時のショックとはまったく別問題の話でしょう。子供に癌が見つかったからと言ってさじを投げる親はいない。
では、何故、LGBTはショックを受けるのか?
心の奥底でどんなに偉そうなことを言っててもLGBTを認めてないからだ。本当に穏やかな心で認めていれば動揺なんかせん。
つまり、いくら社会でLGBTを容認しようしても心の奥底では所詮人ごと、大部分の人がLGBTなど認めていないのだ。自民党でも杉田議員、谷川議員の火消しに躍起になっているが、火消しをしている議員の子供がLGBTであれば笑っていられるのか、政治家こそ世襲や世間体に人一倍こだわる人種だ、自分の息子がゲイで女性との結婚願望なんてまるでないなんて言い出したら到底受け入れないだろう。
誰がLGBTを容認しなくてはならないと言い出したのかは分からんが何度も言いますがLGBT自体は一般論として異常な事態なのです。その異常事態を異常事態と思うことは差別でもなんでもなく、種の保存的な観点から言えばまったく違和感はなく、むしろ正常な感覚。
正常な感覚の人間をそれはいかんと否定する方がファシストよりもよっぽどファシストらしいというのであるから笑ってしまう。LGBT容認派はそこらへんよく考えて物言えや。