臆病であるぐらいでちょうどいい
- 2018/07/20
- 10:31
殺人的な暑さ、文字通りの意味、先日小学生の男の子が亡くなった。本人の苦しみ、ご家族の悲しみを慮ると胸が痛む。
気付くのが遅いと叱られるのを承知でいうと、東日本大震災以降から天災などへの考え方が大きく変わった。震災以前は高温注意報低温注意報も含め、天災で亡くなるのは致し方ないことと思っており、気の毒なことは思いつつも、誰が悪いわけでもない、悲しいけど受け入れなくてはならない現実であると、割りとドライに考えていたのですが考えを改めた。
大川小学校の悲劇は確かに地震が端緒であるが、あれは十分避けることの出来た悲劇だ、たとえ未曽有の大災害であっても助かる命は絶対にあるはずだ。袋小路の場所でひたすら津波の襲来を待つしか手立てがないというのであればまだしも、裏山に逃げていれば全員助かった。結果論かもしれないがまさか、ここまで津波が来るはずがないという根拠のない慢心が悲劇を生んだ、つまり死ななくても済んだ人災だ。実際、大川小学校だけじゃなく、津波が来るはずがないと勝手な思い込みで避難をせず亡くなった方は相当いるはずだ。
先日の西日本の大雨災害もそうだ。数日前から数十年に一度の大雨になることは関東の人間ですら分かっていた。
どんな状況になるにせよ、来るべき運命に抗わず、この場所で天命の定めに従うと腹を決め、生きるにせよ、死ぬにせよ、是非に及ばず、座して結果を受け入れる覚悟であるのであればそれ以上は言わない。本人が固い意志でそう誓ったのであればその考えを尊重しよう。溺死したとしてもそれは本人の意思だ。だが、そう思っていた人は果たしてどれくらいだろうか、亡くなった殆どの人は頼るべき身寄りがなく避難できなかった、自動車がなくて移動ができなかったなどと、それぞれ避難できなかった理由はあろうが、心のどこかにまさか自分が大災害に巻き込まれるはずがないという根拠のない自信があったのではないかと思うのである。
二百人以上がお亡くなりになった今回の災害、家は失っても、予め安全な場所に避難していれば少なくとも命は助かった。繰り返すが家は命と同じであり、家を失ってまで生きたくない、だから避難はしないというのであればそれはそれで構わない、本人がそこまで腹を括ったのであればその意思は尊重しよう。
だが、亡くなった子供たちはそんなことを思っていたのか、本当は生きたかったはずだろう。
熱中症で亡くなった小学生も気の毒でならない、こんなキチガイじみた暑さの中、校外学習をすること自体イカれている。大人だってキツイ。
老若男女問わず、本来亡くならなくていい命が亡くなることは本当に悲しい。
こんなことを繰り返さないためには人間臆病であるぐらいでちょうどいい。
気付くのが遅いと叱られるのを承知でいうと、東日本大震災以降から天災などへの考え方が大きく変わった。震災以前は高温注意報低温注意報も含め、天災で亡くなるのは致し方ないことと思っており、気の毒なことは思いつつも、誰が悪いわけでもない、悲しいけど受け入れなくてはならない現実であると、割りとドライに考えていたのですが考えを改めた。
大川小学校の悲劇は確かに地震が端緒であるが、あれは十分避けることの出来た悲劇だ、たとえ未曽有の大災害であっても助かる命は絶対にあるはずだ。袋小路の場所でひたすら津波の襲来を待つしか手立てがないというのであればまだしも、裏山に逃げていれば全員助かった。結果論かもしれないがまさか、ここまで津波が来るはずがないという根拠のない慢心が悲劇を生んだ、つまり死ななくても済んだ人災だ。実際、大川小学校だけじゃなく、津波が来るはずがないと勝手な思い込みで避難をせず亡くなった方は相当いるはずだ。
先日の西日本の大雨災害もそうだ。数日前から数十年に一度の大雨になることは関東の人間ですら分かっていた。
どんな状況になるにせよ、来るべき運命に抗わず、この場所で天命の定めに従うと腹を決め、生きるにせよ、死ぬにせよ、是非に及ばず、座して結果を受け入れる覚悟であるのであればそれ以上は言わない。本人が固い意志でそう誓ったのであればその考えを尊重しよう。溺死したとしてもそれは本人の意思だ。だが、そう思っていた人は果たしてどれくらいだろうか、亡くなった殆どの人は頼るべき身寄りがなく避難できなかった、自動車がなくて移動ができなかったなどと、それぞれ避難できなかった理由はあろうが、心のどこかにまさか自分が大災害に巻き込まれるはずがないという根拠のない自信があったのではないかと思うのである。
二百人以上がお亡くなりになった今回の災害、家は失っても、予め安全な場所に避難していれば少なくとも命は助かった。繰り返すが家は命と同じであり、家を失ってまで生きたくない、だから避難はしないというのであればそれはそれで構わない、本人がそこまで腹を括ったのであればその意思は尊重しよう。
だが、亡くなった子供たちはそんなことを思っていたのか、本当は生きたかったはずだろう。
熱中症で亡くなった小学生も気の毒でならない、こんなキチガイじみた暑さの中、校外学習をすること自体イカれている。大人だってキツイ。
老若男女問わず、本来亡くならなくていい命が亡くなることは本当に悲しい。
こんなことを繰り返さないためには人間臆病であるぐらいでちょうどいい。