悲惨な日々
- 2018/05/13
- 17:54
昨日は現状を話したが、WEB屋として第三の人生を歩みだした当初はとにかく生活が苦しかった。
支払いに追われる毎日で、今だから言うが、ネットの接続代が払えず、止まってしまい、Wi-Fi環境のある喫茶店やファストフード店にノートパソコンを持ち込んでそこで仕事をしていたこともある。水道や電気、ガスが停まったこともある。帰宅後、手を洗おうと蛇口をひねっても水が出ない。ポストを見ると水栓を停めたと書いた紙っぺらが入っている。支払いたくてもカネがない。ペットボトルの空瓶に近くの公民館の水道から水を汲んできた。真冬ガスが停められたときは効いた。風呂は入れずともせめて髪だけは洗おうと、お湯の出ないシャワーに頭を向けて夏でもねぇのに冷えシャン。飛び上がるほど冷たく、手は真っ赤に色づくがないものは仕方ない。
但し、仕事の受け皿となるケータイだけはどんなに苦しくてもきちんと支払い、止まることがないようにしていた。ただ、電話が繋がっていたって仕事依頼の電話が鳴らなければ意味がないわけで・・・。
正直つらかった。
金銭的につらいのもそうだが、先の見えないトンネルだからつらい。人間がフルマラソンを走り切れるのは42.195キロという、ゴールが見えるからだ。しかし、自営の場合、そんなものはまったく見えやしない。向かっている方向が正しいのか正しくないのか、それすらが分からず、気持ちが滅入る。
こういうとき、ふと思ったのたが、「もしかして鬱になれるかも」ということ。
カネがないからボロアパートでひたすら布団にくるまっている。このままいけば、きっとうつ病を患えるのではなかろうかと、期待してしまった俺がいる。患ってる人には申し訳ないが鬱の状態というのがイマイチ理解できぬ。だからこそ、患ってみたいという気持ちが密かに芽生えいたのであるが、客観的になれるかもなどと思っているうちはうつ病になれないことがよく分かった。
しんどい、苦しい、いくら鬱屈とした日々を過ごしたところで、もう一人の冷静な自分がいるとうつ病にはなれない。
相当苦しかったのは事実だが、正直、その苦しさをどこか他人事のように思い、バカがもだえ苦しんでいるわと、俯瞰的に自分で自分を見てしまっているのだ。
幸いなことにケータイだけは支払いを怠らなかったおかげで仕事は繋がり、徐々に茨城ではまあまあ評価されるようになっていった。苦しくとも学生時代このパワーを打ち込んでいればもっと別の人生を歩めたかもというぐらい勉強したのが大きかったと思う。グーグルの検索エンジンの仕組みを徹底的に勉強して、茨城とか水戸のホームページ制作で検索すると、俺のところが一番上に来るのも、その勉強の成果である。
まあ、あんまりどうでもいい話でさ、だからどうなんだって話でもなく、頑張れば報われるなどというつもりはさらさらないけどね。たまたま運がよかっただけだろ。
支払いに追われる毎日で、今だから言うが、ネットの接続代が払えず、止まってしまい、Wi-Fi環境のある喫茶店やファストフード店にノートパソコンを持ち込んでそこで仕事をしていたこともある。水道や電気、ガスが停まったこともある。帰宅後、手を洗おうと蛇口をひねっても水が出ない。ポストを見ると水栓を停めたと書いた紙っぺらが入っている。支払いたくてもカネがない。ペットボトルの空瓶に近くの公民館の水道から水を汲んできた。真冬ガスが停められたときは効いた。風呂は入れずともせめて髪だけは洗おうと、お湯の出ないシャワーに頭を向けて夏でもねぇのに冷えシャン。飛び上がるほど冷たく、手は真っ赤に色づくがないものは仕方ない。
但し、仕事の受け皿となるケータイだけはどんなに苦しくてもきちんと支払い、止まることがないようにしていた。ただ、電話が繋がっていたって仕事依頼の電話が鳴らなければ意味がないわけで・・・。
正直つらかった。
金銭的につらいのもそうだが、先の見えないトンネルだからつらい。人間がフルマラソンを走り切れるのは42.195キロという、ゴールが見えるからだ。しかし、自営の場合、そんなものはまったく見えやしない。向かっている方向が正しいのか正しくないのか、それすらが分からず、気持ちが滅入る。
こういうとき、ふと思ったのたが、「もしかして鬱になれるかも」ということ。
カネがないからボロアパートでひたすら布団にくるまっている。このままいけば、きっとうつ病を患えるのではなかろうかと、期待してしまった俺がいる。患ってる人には申し訳ないが鬱の状態というのがイマイチ理解できぬ。だからこそ、患ってみたいという気持ちが密かに芽生えいたのであるが、客観的になれるかもなどと思っているうちはうつ病になれないことがよく分かった。
しんどい、苦しい、いくら鬱屈とした日々を過ごしたところで、もう一人の冷静な自分がいるとうつ病にはなれない。
相当苦しかったのは事実だが、正直、その苦しさをどこか他人事のように思い、バカがもだえ苦しんでいるわと、俯瞰的に自分で自分を見てしまっているのだ。
幸いなことにケータイだけは支払いを怠らなかったおかげで仕事は繋がり、徐々に茨城ではまあまあ評価されるようになっていった。苦しくとも学生時代このパワーを打ち込んでいればもっと別の人生を歩めたかもというぐらい勉強したのが大きかったと思う。グーグルの検索エンジンの仕組みを徹底的に勉強して、茨城とか水戸のホームページ制作で検索すると、俺のところが一番上に来るのも、その勉強の成果である。
まあ、あんまりどうでもいい話でさ、だからどうなんだって話でもなく、頑張れば報われるなどというつもりはさらさらないけどね。たまたま運がよかっただけだろ。