欝にはなりません
- 2012/05/19
- 00:05
本日、ちょっと欝の気がある夜の職場の人に、覆面さんは鬱病にはならないでしょうと言われた。
確かにならない。
悲しいこと、つらいこと、苦しいこと、そんなことは山ほどあるが所詮は人間の営み、大概はなんとかなってしまうものである。
あきらめることを含め、なんとかならない時は格好を付けず開き直ればいいし、それでもどうしても駄目なら死ねばいいと思っているから欝にはならない。
最悪死んでしまえばすべてがチャラである。
感覚は侍と近い。
普段より最後は腹を切って詫びを入れればいいと覚悟を決めているから、昔の侍は強かったのである。
ただ、少なくとも自分は今のところ死んで清算をしようと思ったことはないけどね。
つまり、すべてなんとかなってきたといえる。
下手に抵抗しようとするから苦しくなり、欝になるのだ。
もっとも自分なんかの場合、抵抗すること自体を楽しんじゃうことが出来るのだがね。
以前、プロ麻雀師の桜井章一さんがいっていたことがある。
桜井さんが言うには麻雀がうまくなる子とそうでない子の差はバラバラの手牌を見たときに、肩を落としもう駄目だと諦めてしまうか、それともこれは国士無双(最高のあがり手、役満)を狙える大チャンスだと、気持ちを前向きに切り替えられるかどうかの差だそうだ。
麻雀に限らず、昔からピンチは最大のチャンスだという。
危機的な状況に直面したときこそ人としての真価を問われ、これは千載一遇の大チャンスだと前向きに気持ちを切り替えられる人は欝になどならないだろう。
私事だが手錠を掛けられた時、鉄格子の檻の中で思ったのはこれは一つの切っ掛けであり、次のステップに進むチャンスなんじゃないかということ。
檻の中、時間は腐る程あり、外部と遮断されて一切雑音は入らない。
惑わさずに済むぶん、いろんなことを考えられる。
考えてみたらこんなに有意義な時間はないな、せっかくだから今後の策を練ったれと気持ちを切り替えた。
また、取り調べ室や裁判所なんてめったに経験できることじゃねぇーぞ、どうせならこの状況を楽しんでしまえと考え方を前向きにシフトした。
これは普段の仕事もそうだけど、置かれた状況が一緒ならあとは結局自分でどうやってその時間を過ごすかだろ?
苦しい、つらい、つまらないと、愚痴ばかりこぼして仕事をやってたらそれこそホント鬱になってしまう。
つらい仕事の中にも何か一つぐらいはやりがいみたいなことや嬉しいことがあるだろ、それを糧にして時間を過ごすようにすればそこまでつらいことってないはずだ。
ああ、捕まっちまった、これからどうしようかと頭を抱えて落ち込んでいても一日、よしっ、ここからが第二章の幕開けだ、この逮捕を切っ掛けにして俺は伸し上がってやんぞと開き直り、胸をわくわくさせながら過ごすのもまた一日だ。
真実は一つでも、それをどう受け取るかは個人の自由である。
目の前に置かれた一つの卵はどこまで行っても卵でしかないが、同じ卵でも料理の仕方で色々なものに変わる。
普段は捨ててしまう殻だって細かく刻めば畑の肥料にすることだって可能だ。
一方的につまらぬものと決め付けずに多方面から考えてみるようにする。
きっと何かが見えてくる。
少なくとも俺は普段からそういうふうに見るようにしている。
話が大きく逸れた、確かに欝も突き詰めればセロトニンがどうとか、アドレナリンがどうとかという、科学的な話になるかも知れないけど、俺が思うに今の人って生まれた時から満たされた生活をしているからちょっと何か無くなったりすると不安に押し殺されそうになるんだろう。
証拠に戦時中は鬱病患者は一人もいなかったという。
国民全員が腹を空かし、毎日が必死、そういう状況で心の病なんていってたら、爆撃食らって即死である。
考え込む暇があったら行動をすればいい。
失敗したってかまわない。
元々何もなかったと思えばゼロになるだけでどうってことはない。
むしろ、やって色々経験出来た分、やらなかった人よりも得をしたと考えられる。
一度きりの人生、うじうじ悩んでいる時間がもったいない。
最終的には貪欲に生きている奴の勝ち、楽しんだ者の勝ちだ。
確かにならない。
悲しいこと、つらいこと、苦しいこと、そんなことは山ほどあるが所詮は人間の営み、大概はなんとかなってしまうものである。
あきらめることを含め、なんとかならない時は格好を付けず開き直ればいいし、それでもどうしても駄目なら死ねばいいと思っているから欝にはならない。
最悪死んでしまえばすべてがチャラである。
感覚は侍と近い。
普段より最後は腹を切って詫びを入れればいいと覚悟を決めているから、昔の侍は強かったのである。
ただ、少なくとも自分は今のところ死んで清算をしようと思ったことはないけどね。
つまり、すべてなんとかなってきたといえる。
下手に抵抗しようとするから苦しくなり、欝になるのだ。
もっとも自分なんかの場合、抵抗すること自体を楽しんじゃうことが出来るのだがね。
以前、プロ麻雀師の桜井章一さんがいっていたことがある。
桜井さんが言うには麻雀がうまくなる子とそうでない子の差はバラバラの手牌を見たときに、肩を落としもう駄目だと諦めてしまうか、それともこれは国士無双(最高のあがり手、役満)を狙える大チャンスだと、気持ちを前向きに切り替えられるかどうかの差だそうだ。
麻雀に限らず、昔からピンチは最大のチャンスだという。
危機的な状況に直面したときこそ人としての真価を問われ、これは千載一遇の大チャンスだと前向きに気持ちを切り替えられる人は欝になどならないだろう。
私事だが手錠を掛けられた時、鉄格子の檻の中で思ったのはこれは一つの切っ掛けであり、次のステップに進むチャンスなんじゃないかということ。
檻の中、時間は腐る程あり、外部と遮断されて一切雑音は入らない。
惑わさずに済むぶん、いろんなことを考えられる。
考えてみたらこんなに有意義な時間はないな、せっかくだから今後の策を練ったれと気持ちを切り替えた。
また、取り調べ室や裁判所なんてめったに経験できることじゃねぇーぞ、どうせならこの状況を楽しんでしまえと考え方を前向きにシフトした。
これは普段の仕事もそうだけど、置かれた状況が一緒ならあとは結局自分でどうやってその時間を過ごすかだろ?
苦しい、つらい、つまらないと、愚痴ばかりこぼして仕事をやってたらそれこそホント鬱になってしまう。
つらい仕事の中にも何か一つぐらいはやりがいみたいなことや嬉しいことがあるだろ、それを糧にして時間を過ごすようにすればそこまでつらいことってないはずだ。
ああ、捕まっちまった、これからどうしようかと頭を抱えて落ち込んでいても一日、よしっ、ここからが第二章の幕開けだ、この逮捕を切っ掛けにして俺は伸し上がってやんぞと開き直り、胸をわくわくさせながら過ごすのもまた一日だ。
真実は一つでも、それをどう受け取るかは個人の自由である。
目の前に置かれた一つの卵はどこまで行っても卵でしかないが、同じ卵でも料理の仕方で色々なものに変わる。
普段は捨ててしまう殻だって細かく刻めば畑の肥料にすることだって可能だ。
一方的につまらぬものと決め付けずに多方面から考えてみるようにする。
きっと何かが見えてくる。
少なくとも俺は普段からそういうふうに見るようにしている。
話が大きく逸れた、確かに欝も突き詰めればセロトニンがどうとか、アドレナリンがどうとかという、科学的な話になるかも知れないけど、俺が思うに今の人って生まれた時から満たされた生活をしているからちょっと何か無くなったりすると不安に押し殺されそうになるんだろう。
証拠に戦時中は鬱病患者は一人もいなかったという。
国民全員が腹を空かし、毎日が必死、そういう状況で心の病なんていってたら、爆撃食らって即死である。
考え込む暇があったら行動をすればいい。
失敗したってかまわない。
元々何もなかったと思えばゼロになるだけでどうってことはない。
むしろ、やって色々経験出来た分、やらなかった人よりも得をしたと考えられる。
一度きりの人生、うじうじ悩んでいる時間がもったいない。
最終的には貪欲に生きている奴の勝ち、楽しんだ者の勝ちだ。