オメーらは「星野君の二塁打」を知ってますか?
- 2018/04/19
- 18:38
『道徳で定番となっている「星野君の二塁打」という小学6年の教材も、教員たちの悩みの種だ。
バッターボックスに立った星野君に、監督が出したのはバントのサイン。しかし、打てそうな予感がして反射的にバットを振り、打球は伸びて二塁打となる。この一打がチームを勝利に導き、選手権大会出場を決めた。だが翌日、監督は選手を集めて重々しい口調で語り始める。チームの作戦として決めたことは絶対に守ってほしいという監督と選手間の約束を持ち出し、みんなの前で星野君の行動を咎める。「いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことには変わりはないんだ」「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」などと語り、星野君の大会への出場禁止を告げるシーンが展開する。
個人プレーとチームプレーのどちらを優先すべきか。悩ましいテーマだが、教材は迷うことなく前者を断罪している。現役の小学校教員で「特別の教科 道徳ってなんだ?」の著者の一人、宮澤弘道氏はこう語る。
「戦時中の国民学校の話かと思ってしまいます。人権を侵害していながら、道徳の教材として扱われている典型例です。道徳はかつて「修身」が筆頭科目であったような位置づけになるのではと懸念しています」(後略)』
(AERA dot)
恥ずかしながら、道徳教育の定番らしいのですが、この「星野君の二塁打」という物語、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)で話題になるまで俺は知りませんでした。単純に習っていないのか、それとも授業をボイコットしていたのか、理由は定かではありませんが知りませんでした。
そこで先生が出した答えはこちら、AI的な思考に頼ってみてはいかがかなということ。
AI、あれを勘違いしている人がおりますがあれは全知全能の神などではなく、単なる統計学的手法の問題解決法。もちろん、問題解決に至るまでの経緯は膨大なビッグデータに頼るため、精度はかなり高い。しかし、どんなにデータの量が膨大であっても所詮は確率論ですからAIの指示に従ったのに失敗してしまったということが起りえます。
巨大地震が起きました、AIの指示ではAルートから直接徒歩で高台に逃げるよりも、Bルートを使い、自転車で中学校まで逃げた方が津波に遭遇しても助かりやすいと定義づけられたとします。確率ですから必ずしも助かるというわけではありません。あくまでも「助かりやすい」という話。現実的にBルートを選んだばっかりに津波に飲まれて溺死ということもあり得ます。しかし、マクロ的な視野で観察すると統計的にどちらを選択した方がより犠牲者は少なく済むということは計算が可能です。
そこで星野君の話に戻ります。
ここで考えることは二つ。1つ目は玉が緩かろうが厳しかろうがとにかく監督の指示に従う。もう1つは監督の指示に従いつつも、緩い球は監督の指示を無視してフルスイングということ。
この2つを繰り返して統計を取ればいい、最終的にどちらが勝率がいいのかを計算すればいいのです。
もちろん、俺は分かりません。百戦錬磨の監督の指示が結果的に判断無視のフルスイングを上回るかもしれませんし、星野君の独自の判断の方がより勝率を上回るかもしれません。
先日の平昌オリンピックで個の体力ではオランダに劣る日本人チームがパシュートで金メダルを獲れたのも様々な場面をコンピューターで事細かにシュミレーションしたからです。その結果、こういう動きをして、こういうレースをすればスケート大国オランダの牙城を崩せるとコンピューターを使い計算したからです。無論、その計算通りにいくよう、彼女たちの弛まぬ努力と支えるスタッフたちの懸命なサポートがあったのはいうまでもありません。
最近はスポーツでもコンピューターを取り入れたシュミレーションは欠かせません。少年野球と言えども勝つためには例外ではありません。
ですから、「監督の指示にとにかく従う」、「緩い球が来たら監督の指示を無視してフルスイング」、この2つのパターンを記録して、エクセルなどの計算ソフトを使えばどちらが勝利のためには有益であるとかいうことが導き出せます。
えっ、こういう話じゃなくて?
バッターボックスに立った星野君に、監督が出したのはバントのサイン。しかし、打てそうな予感がして反射的にバットを振り、打球は伸びて二塁打となる。この一打がチームを勝利に導き、選手権大会出場を決めた。だが翌日、監督は選手を集めて重々しい口調で語り始める。チームの作戦として決めたことは絶対に守ってほしいという監督と選手間の約束を持ち出し、みんなの前で星野君の行動を咎める。「いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことには変わりはないんだ」「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」などと語り、星野君の大会への出場禁止を告げるシーンが展開する。
個人プレーとチームプレーのどちらを優先すべきか。悩ましいテーマだが、教材は迷うことなく前者を断罪している。現役の小学校教員で「特別の教科 道徳ってなんだ?」の著者の一人、宮澤弘道氏はこう語る。
「戦時中の国民学校の話かと思ってしまいます。人権を侵害していながら、道徳の教材として扱われている典型例です。道徳はかつて「修身」が筆頭科目であったような位置づけになるのではと懸念しています」(後略)』
(AERA dot)
恥ずかしながら、道徳教育の定番らしいのですが、この「星野君の二塁打」という物語、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)で話題になるまで俺は知りませんでした。単純に習っていないのか、それとも授業をボイコットしていたのか、理由は定かではありませんが知りませんでした。
そこで先生が出した答えはこちら、AI的な思考に頼ってみてはいかがかなということ。
AI、あれを勘違いしている人がおりますがあれは全知全能の神などではなく、単なる統計学的手法の問題解決法。もちろん、問題解決に至るまでの経緯は膨大なビッグデータに頼るため、精度はかなり高い。しかし、どんなにデータの量が膨大であっても所詮は確率論ですからAIの指示に従ったのに失敗してしまったということが起りえます。
巨大地震が起きました、AIの指示ではAルートから直接徒歩で高台に逃げるよりも、Bルートを使い、自転車で中学校まで逃げた方が津波に遭遇しても助かりやすいと定義づけられたとします。確率ですから必ずしも助かるというわけではありません。あくまでも「助かりやすい」という話。現実的にBルートを選んだばっかりに津波に飲まれて溺死ということもあり得ます。しかし、マクロ的な視野で観察すると統計的にどちらを選択した方がより犠牲者は少なく済むということは計算が可能です。
そこで星野君の話に戻ります。
ここで考えることは二つ。1つ目は玉が緩かろうが厳しかろうがとにかく監督の指示に従う。もう1つは監督の指示に従いつつも、緩い球は監督の指示を無視してフルスイングということ。
この2つを繰り返して統計を取ればいい、最終的にどちらが勝率がいいのかを計算すればいいのです。
もちろん、俺は分かりません。百戦錬磨の監督の指示が結果的に判断無視のフルスイングを上回るかもしれませんし、星野君の独自の判断の方がより勝率を上回るかもしれません。
先日の平昌オリンピックで個の体力ではオランダに劣る日本人チームがパシュートで金メダルを獲れたのも様々な場面をコンピューターで事細かにシュミレーションしたからです。その結果、こういう動きをして、こういうレースをすればスケート大国オランダの牙城を崩せるとコンピューターを使い計算したからです。無論、その計算通りにいくよう、彼女たちの弛まぬ努力と支えるスタッフたちの懸命なサポートがあったのはいうまでもありません。
最近はスポーツでもコンピューターを取り入れたシュミレーションは欠かせません。少年野球と言えども勝つためには例外ではありません。
ですから、「監督の指示にとにかく従う」、「緩い球が来たら監督の指示を無視してフルスイング」、この2つのパターンを記録して、エクセルなどの計算ソフトを使えばどちらが勝利のためには有益であるとかいうことが導き出せます。
えっ、こういう話じゃなくて?