死後の世界
- 2018/04/16
- 20:52
最近、とみによく考えるのは死後のこと。
とはいえ、天国や地獄といったオカルティックな話ではなく、自分の死後、起こるであろう他人からの評価。
これは何もウィキペディアに掲載されるような大仰な話じゃない、友人や知人、親せきなど、そういったごく身近なレベル内での話である。
先日、大杉漣さんと左とん平さんが鬼籍に入られたが、このお二人に共通するのは悪く言う人が殆どいないということ。ネットを見ても「神対応」ばかりなのだ。大杉さんに至っては、隣の家の水道が壊れてしまい、隣人が慌てていると、自ら自転車を漕いでホームセンターに走り、蛇口に取り付けるパッキンを買ってきたとのこと。日本を代表する有名な俳優さんがそのことをおくびに出さず、ちょっと待っててといって颯爽と自転車を漕ぐ、あまりにも格好良すぎるじゃないか。
当たり前といえば至極当たり前の話であるが、死後の評価は大体二分される。イイ人はイイ、悪い奴は悪い。
あいつはいい奴だったという人とあいつはとんだゲス野郎だと評価が真っ二つに割れるということはほぼなく、叩かれる人はとことん叩かれる。
そんな俺が生きる上で細心の注意を払っていることがある。
あまりにもバカバカしい話だが、セクハラと性犯罪は絶対にしないということ。
性格が悪かったとなじられるのはやむなし、そこは生まれ持った資質であるから否定はしない。だが、死後、性犯罪者だとか、財務省の福田淳一事務次官や文科省の前川喜平前事務次官のようにセクハラや出会い系バーに入り浸りみたいなことを言われ続けるのは死ぬよりもつらい。
少し前までは死ねばどんな大罪も無罪であると思っていたが、それは大きな間違いであることに気づいた。「悪貨は良貨を駆逐する」、グレシャムの法則ではないがどんなに良績を残したところで一度ついた変質者の汚名は返上されないのである。
別に善人になろうとは思わんが死後あいつはゲイだったとか、小児性愛のペドフィリアなどと言われるのは我慢がならない。むろん、そんなことはない。俺が好きなのは石田ゆり子さんのような品のよい熟女だ。
だから、今日から始めようと思う、ボッタクリのパチ屋でクソをしたらしっぱなしではなく、ちゃんと流そう。紙を一回の用便にロールの三分の一以上使うのもやめる(自宅では少量、倹約)。あいつはいい奴だったがとにかく外ではクソを流さないやつだったと悪評が広がったら死んでも死に切れんからな。
とはいえ、天国や地獄といったオカルティックな話ではなく、自分の死後、起こるであろう他人からの評価。
これは何もウィキペディアに掲載されるような大仰な話じゃない、友人や知人、親せきなど、そういったごく身近なレベル内での話である。
先日、大杉漣さんと左とん平さんが鬼籍に入られたが、このお二人に共通するのは悪く言う人が殆どいないということ。ネットを見ても「神対応」ばかりなのだ。大杉さんに至っては、隣の家の水道が壊れてしまい、隣人が慌てていると、自ら自転車を漕いでホームセンターに走り、蛇口に取り付けるパッキンを買ってきたとのこと。日本を代表する有名な俳優さんがそのことをおくびに出さず、ちょっと待っててといって颯爽と自転車を漕ぐ、あまりにも格好良すぎるじゃないか。
当たり前といえば至極当たり前の話であるが、死後の評価は大体二分される。イイ人はイイ、悪い奴は悪い。
あいつはいい奴だったという人とあいつはとんだゲス野郎だと評価が真っ二つに割れるということはほぼなく、叩かれる人はとことん叩かれる。
そんな俺が生きる上で細心の注意を払っていることがある。
あまりにもバカバカしい話だが、セクハラと性犯罪は絶対にしないということ。
性格が悪かったとなじられるのはやむなし、そこは生まれ持った資質であるから否定はしない。だが、死後、性犯罪者だとか、財務省の福田淳一事務次官や文科省の前川喜平前事務次官のようにセクハラや出会い系バーに入り浸りみたいなことを言われ続けるのは死ぬよりもつらい。
少し前までは死ねばどんな大罪も無罪であると思っていたが、それは大きな間違いであることに気づいた。「悪貨は良貨を駆逐する」、グレシャムの法則ではないがどんなに良績を残したところで一度ついた変質者の汚名は返上されないのである。
別に善人になろうとは思わんが死後あいつはゲイだったとか、小児性愛のペドフィリアなどと言われるのは我慢がならない。むろん、そんなことはない。俺が好きなのは石田ゆり子さんのような品のよい熟女だ。
だから、今日から始めようと思う、ボッタクリのパチ屋でクソをしたらしっぱなしではなく、ちゃんと流そう。紙を一回の用便にロールの三分の一以上使うのもやめる(自宅では少量、倹約)。あいつはいい奴だったがとにかく外ではクソを流さないやつだったと悪評が広がったら死んでも死に切れんからな。