退化という言葉の違和感
- 2018/04/13
- 10:37
先週始まったNHKスペシャル シリーズ「人類誕生」を興味深く見ていたのだが、進化に関してどうしても腑に落ちないことがある。
単なる言葉のアヤであるのであればいいのだが、進化に対して常に付きまとうのが退化。退化という言葉を辞書で調べると『進歩がとまって、以前の状態にもどること。あともどり。』とある。
深海魚や洞窟の奥に住む小動物の目は殆ど見えなくなり、退化したという。種によっては完全に眼がないものすらいる。地中に住むミミズなどもその一種と言える。
では、これって退化なのでしょうか。
光の届かない深海に於いて眼を持つ必然性はない。眼も一つの器官であり、器官を備えるという事は利便性が向上する代わりに、エネルギーを消耗し、罹患の危険性をはらむ。それであればわざわざ持つ必要がなく、無くなってしまっても構わないからという理由で何万年、何十万年という気の遠くなるような年月を経て眼が無くなっていったわけである。
どう考えても、『進歩がとまって、以前の状態にもどること。あともどり。』ではなく、完全なる進化だと思うのです。
不必要な眼があることによって無駄なエネルギーを消耗し、眼病の危険性もある、言うまでもなく、魚類に於いての疾患は高い確率で死を意味するため、出来るだけない方がよい。
退化という言葉を言葉尻をとらえた揚げ足取りレベルの話で受け取るであれば特に問題はないが、本気で進化の後退だと考えているのであればそれってちょっとどうなのと思ってしまう。
一方、退化なのか、進化なのか分からない話も確かに存在する。
蛇とトカゲの関係。蛇も太古の大昔は足があったという。事実、そういった化石も発掘されており、今でもニシキヘビ類にはよく観察すると肛門付近に爪が二対残っている(同じ種であっても残っていない個体も多い)。蹴爪(ケヅメ)という。下の写真を参照。

進化の過程で足が不要になり、蛇属は手足を放棄していったと思うのであるが、そうなると同系統に連なるトカゲはどうなのかという話になる。
恐らく、元を辿ればトカゲも蛇も同じである。
何故、一方は手足を維持し、一方は手足を放棄したのか分からない。これが深海魚のように住む場所に応じて手足の有り無しが決められていったというのであればよく分かるのだがトカゲの分布と蛇の分布はほぼ同じある。極地など蛇がいない地域にはトカゲもいない。

また、さらに話をややこしくしているのが写真のこれ。
興味のない人にはまんま蛇だが、これはれっきとしたトカゲである。その名もアシナシトカゲといい、確認されてるだけで世界中に120種ほど存在している。遺伝子の構造は蛇ではなくトカゲのそれなのだ。ちなみにアシナシトカゲに対して足アリ蛇というものは未だ存在が確認されておらず、一応、そういうものはいないとされている。
こういうのってよく分からない。
強引に結論付ければ種の保存。爬虫類にとって足のある方が有利なのか不利なのかは現時点では結論付けられていない。その結論が分かるのはなんらかの天変地異が起こり、爬虫類が危機的な状況に陥った時だ。足のない蛇が生き残るのか、はたまた足のあるトカゲが生き残るかという究極の選択を強いられた時。そのときのために、用心深い神様は神の気まぐれで足のありなしを決めたとしか思えない。
また、神の気まぐれとは人間に於ける「髪の気まぐれ」でもある。ハゲは進化なのか、退化なのか。
「髪の毛が後退しているのではない。 私が前進しているのである」、ソフトバンク孫社長の名言に対して、「ハゲしく同意」とハゲの方、万来の拍手喝采、個人的には前進でも後退でもいいがやっぱりフサフサの方がいいと思っている。ハゲはイヤだ。来週白髪染めてカットします。幸い髪は神に勝ったと思っている。先日眼科医に少し老眼が入ってますねと言われたが髪はまったく減らん(キッパリと)。
俺は神に勝ったぁぁぁーーーっ!!
単なる言葉のアヤであるのであればいいのだが、進化に対して常に付きまとうのが退化。退化という言葉を辞書で調べると『進歩がとまって、以前の状態にもどること。あともどり。』とある。
深海魚や洞窟の奥に住む小動物の目は殆ど見えなくなり、退化したという。種によっては完全に眼がないものすらいる。地中に住むミミズなどもその一種と言える。
では、これって退化なのでしょうか。
光の届かない深海に於いて眼を持つ必然性はない。眼も一つの器官であり、器官を備えるという事は利便性が向上する代わりに、エネルギーを消耗し、罹患の危険性をはらむ。それであればわざわざ持つ必要がなく、無くなってしまっても構わないからという理由で何万年、何十万年という気の遠くなるような年月を経て眼が無くなっていったわけである。
どう考えても、『進歩がとまって、以前の状態にもどること。あともどり。』ではなく、完全なる進化だと思うのです。
不必要な眼があることによって無駄なエネルギーを消耗し、眼病の危険性もある、言うまでもなく、魚類に於いての疾患は高い確率で死を意味するため、出来るだけない方がよい。
退化という言葉を言葉尻をとらえた揚げ足取りレベルの話で受け取るであれば特に問題はないが、本気で進化の後退だと考えているのであればそれってちょっとどうなのと思ってしまう。
一方、退化なのか、進化なのか分からない話も確かに存在する。
蛇とトカゲの関係。蛇も太古の大昔は足があったという。事実、そういった化石も発掘されており、今でもニシキヘビ類にはよく観察すると肛門付近に爪が二対残っている(同じ種であっても残っていない個体も多い)。蹴爪(ケヅメ)という。下の写真を参照。

進化の過程で足が不要になり、蛇属は手足を放棄していったと思うのであるが、そうなると同系統に連なるトカゲはどうなのかという話になる。
恐らく、元を辿ればトカゲも蛇も同じである。
何故、一方は手足を維持し、一方は手足を放棄したのか分からない。これが深海魚のように住む場所に応じて手足の有り無しが決められていったというのであればよく分かるのだがトカゲの分布と蛇の分布はほぼ同じある。極地など蛇がいない地域にはトカゲもいない。

また、さらに話をややこしくしているのが写真のこれ。
興味のない人にはまんま蛇だが、これはれっきとしたトカゲである。その名もアシナシトカゲといい、確認されてるだけで世界中に120種ほど存在している。遺伝子の構造は蛇ではなくトカゲのそれなのだ。ちなみにアシナシトカゲに対して足アリ蛇というものは未だ存在が確認されておらず、一応、そういうものはいないとされている。
こういうのってよく分からない。
強引に結論付ければ種の保存。爬虫類にとって足のある方が有利なのか不利なのかは現時点では結論付けられていない。その結論が分かるのはなんらかの天変地異が起こり、爬虫類が危機的な状況に陥った時だ。足のない蛇が生き残るのか、はたまた足のあるトカゲが生き残るかという究極の選択を強いられた時。そのときのために、用心深い神様は神の気まぐれで足のありなしを決めたとしか思えない。
また、神の気まぐれとは人間に於ける「髪の気まぐれ」でもある。ハゲは進化なのか、退化なのか。
「髪の毛が後退しているのではない。 私が前進しているのである」、ソフトバンク孫社長の名言に対して、「ハゲしく同意」とハゲの方、万来の拍手喝采、個人的には前進でも後退でもいいがやっぱりフサフサの方がいいと思っている。ハゲはイヤだ。来週白髪染めてカットします。幸い髪は神に勝ったと思っている。先日眼科医に少し老眼が入ってますねと言われたが髪はまったく減らん(キッパリと)。
俺は神に勝ったぁぁぁーーーっ!!