西郷どん盛るって、どんぶりの盛りの話じゃねーぞ
- 2018/03/14
- 14:55
大河ドラマ「西郷どん」は楽しく見ているのだが、正直理解不能な描写も多い。
一番の意味不明は大久保利通と西郷隆盛の家が隣同士という設定、確かに近隣に住んではいたが実際は数百メートル離れており、歴史好きな人であれば西郷家跡地と大久保家跡地が隣同士じゃないことぐらい割りと常識、そこを何故捻じ曲げて歴史を捏造してしまうのか意味が分からない。地元、鹿児島市の人たちも不思議がってんじゃないの?
そもそも、西郷と大久保が懇意にしだしたのは精忠組に入ってからというのが通説であり、幼少の頃は取り立てて仲が良いわけでも悪いわけでもなく、互いに顔は知っている程度の間柄であったと言われている。それがドラマでは子供のころから無二の親友であり、大久保は西郷の江戸行きの支度金を用意するため東奔西走する。誰も見た人はいないため、絶対にないとは言い切れないが、同じ町内に住む顔見知り程度の人間のために、金持ちの庄屋に土下座までして借金の申し出をするのだろうか、甚だ疑問。
また、これもドラマといえばそれまでだが、借金のカタに売られていった百姓の娘と江戸の遊郭で偶然再会するという設定もなんだかな~、鹿児島で売られた娘がわざわざ江戸にまでくるかね?せいぜい長崎か、行っても大阪か京都ぐらいまでだと思うのです。下手すりゃ鹿児島市内にだって遊郭はあったのでしょうから仮に売られるにしても薩摩から一歩も出ないということも十分ありえる。百歩譲って江戸に売られたとしても当時の江戸は世界一の人口を誇った百万人都市、そこで偶然再会なんてするか、ふつー。俺もまあ結構吉原で金落としたけど、知り合いに会ったなんてことは一回もねぇー。
しかもその品川の遊郭には後の将軍一橋慶喜がお忍びで遊びに来ており、西郷は慶喜公とひょんなことから顔見知りとなってしまうという、「あれ、オメーは遊び人の金公!?」、まるで遠山の金さんみたいなお話、おいおい・・・。
そもそも西郷隆盛と将軍慶喜って直接の接点あんのか?
徳川政権側として西郷隆盛と接点があったのは勝海舟か、山岡鉄舟ぐらいじゃないの?
ドラマを面白くするためというのは分かりますが、話を盛る必要ってあるのか。
なんかこのまま行くとファンタジー大河と酷評された『江〜姫たちの戦国〜』の二の舞にもなり兼ねん。明治維新なんてものは高々150年くらい前の話であるから下手に話を盛ってしまうと、そんなことどこにも記録されてねぇぞと、すぐに盛ったことがバレんのね。
これが本能寺の変あたりであれば様々な解釈があり、加えて500年近く前の話であるから割りと都合よく話を作ってしまっても問題はないと思うが明治維新あたりですと、写真嫌いな西郷は別として、大抵写真も残っており、麻生副総理のように大久保利通はひひいひい爺さんなどといって現代とも密接に繋がっている。つい先日ひたちなか市でも慶喜公のひ孫である徳川慶朝さんが亡くなったばりだ。三代、四代ぐらいだと割りと普通にご先祖様のことを語られていると思うのです。その人たちから、ひいお爺さんの慶喜さんは遊びが好きでよく品川の遊郭に行ってたみたいだよ、そこで若かりし頃の西郷隆盛と会ってねぇ~なんて話が出てくれば、ああそうこともあったのかと思えるけども、そんな話、ついぞ聞いたことがねぇー。
あくまでも個人的な主観になりますが大河ドラマは必要以上に話を盛ることなく、誰でも知っている通説を基に物語を構築していってもらいたいと思うのです。その方がより感情移入出来ると思います、ええ。
一番の意味不明は大久保利通と西郷隆盛の家が隣同士という設定、確かに近隣に住んではいたが実際は数百メートル離れており、歴史好きな人であれば西郷家跡地と大久保家跡地が隣同士じゃないことぐらい割りと常識、そこを何故捻じ曲げて歴史を捏造してしまうのか意味が分からない。地元、鹿児島市の人たちも不思議がってんじゃないの?
そもそも、西郷と大久保が懇意にしだしたのは精忠組に入ってからというのが通説であり、幼少の頃は取り立てて仲が良いわけでも悪いわけでもなく、互いに顔は知っている程度の間柄であったと言われている。それがドラマでは子供のころから無二の親友であり、大久保は西郷の江戸行きの支度金を用意するため東奔西走する。誰も見た人はいないため、絶対にないとは言い切れないが、同じ町内に住む顔見知り程度の人間のために、金持ちの庄屋に土下座までして借金の申し出をするのだろうか、甚だ疑問。
また、これもドラマといえばそれまでだが、借金のカタに売られていった百姓の娘と江戸の遊郭で偶然再会するという設定もなんだかな~、鹿児島で売られた娘がわざわざ江戸にまでくるかね?せいぜい長崎か、行っても大阪か京都ぐらいまでだと思うのです。下手すりゃ鹿児島市内にだって遊郭はあったのでしょうから仮に売られるにしても薩摩から一歩も出ないということも十分ありえる。百歩譲って江戸に売られたとしても当時の江戸は世界一の人口を誇った百万人都市、そこで偶然再会なんてするか、ふつー。俺もまあ結構吉原で金落としたけど、知り合いに会ったなんてことは一回もねぇー。
しかもその品川の遊郭には後の将軍一橋慶喜がお忍びで遊びに来ており、西郷は慶喜公とひょんなことから顔見知りとなってしまうという、「あれ、オメーは遊び人の金公!?」、まるで遠山の金さんみたいなお話、おいおい・・・。
そもそも西郷隆盛と将軍慶喜って直接の接点あんのか?
徳川政権側として西郷隆盛と接点があったのは勝海舟か、山岡鉄舟ぐらいじゃないの?
ドラマを面白くするためというのは分かりますが、話を盛る必要ってあるのか。
なんかこのまま行くとファンタジー大河と酷評された『江〜姫たちの戦国〜』の二の舞にもなり兼ねん。明治維新なんてものは高々150年くらい前の話であるから下手に話を盛ってしまうと、そんなことどこにも記録されてねぇぞと、すぐに盛ったことがバレんのね。
これが本能寺の変あたりであれば様々な解釈があり、加えて500年近く前の話であるから割りと都合よく話を作ってしまっても問題はないと思うが明治維新あたりですと、写真嫌いな西郷は別として、大抵写真も残っており、麻生副総理のように大久保利通はひひいひい爺さんなどといって現代とも密接に繋がっている。つい先日ひたちなか市でも慶喜公のひ孫である徳川慶朝さんが亡くなったばりだ。三代、四代ぐらいだと割りと普通にご先祖様のことを語られていると思うのです。その人たちから、ひいお爺さんの慶喜さんは遊びが好きでよく品川の遊郭に行ってたみたいだよ、そこで若かりし頃の西郷隆盛と会ってねぇ~なんて話が出てくれば、ああそうこともあったのかと思えるけども、そんな話、ついぞ聞いたことがねぇー。
あくまでも個人的な主観になりますが大河ドラマは必要以上に話を盛ることなく、誰でも知っている通説を基に物語を構築していってもらいたいと思うのです。その方がより感情移入出来ると思います、ええ。