震災の記憶が風化すること
- 2018/03/08
- 21:08
まもなく震災から7年、近頃は震災の記憶が風化していると、メディアでよく話題になりますが、俺は風化が決して悪いことだとは思っていない。
もちろん、津波や建物の倒壊、火災など、身の安全を守るべき手段や方法は後世に紡いでいく必要はあるが、そういった震災マニュアルというべきものは昔と違い、今は映像として克明に残しておけるため、定期的に自治体や学校、職場等で訓練をしたり、啓発活動をしたりすれば、仮にまた同じような大地震が起こったとしても被害は格段に減るはずだ。それこそ、ビッグデータを集積してAIが解析すればもっとも効率よい避難に至るまでの経路を導き出すことができ、犠牲者を最低限まで減らすことは可能だろう。
また、ご遺族にすれば悔やんでも悔やみきれない大川小学校の悲劇にしても、今後は二度とあの悲劇を繰り返さぬため、油断や慢心をせず、高台に避難するという行動様式が人々の脳にキチンとインプットされているはずだ。
これから先の未来、同様の巨大地震が起こったとしても様々なデータが生かされるはずであろうから、東日本大震災の二の舞が繰り返されるようなことは少なくなる。
そういったハード的な部分は風化させるべきではなく、IT技術を駆使して後世に紡いでいくべきだが、震災直後の非日常的な記憶をいつまでも引きずる必要はないと思うのである。
日本人が故人を偲ぶのは、命日、春夏の彼岸、お盆と、年に4回と昔から決まっている。愛する人を失った苦しみや悲しみはもちろん痛いほど分かるのだが、だからと言って時計の針がいつまでも2011年3月11日14時46分で止まったままでいいのか。それで死んだ人が浮かばれるか。故人の思いは残った人がいつまでも悔やみ続けることなのか。
記憶が風化するということは平穏な日常を取り戻しつつあるということだ。
いくら被災地の人が記憶の風化を声高に叫んだところで時は無情にも過ぎていく。福島の原発事故で故郷を失った人の気持ちを慮すると胸が張り裂けそうになる、福島の子が転入先でイジメに合うといった同じ日本人として情けない出来事も起きている。わが身の半分は福島県人の血が流れているから尚更だ。母方の爺さん、婆さんが眠るお墓は福島原発にほど近いいわき市だ。だから俺自身、福島の悲劇は決して人ごとでない。
被災地の人には今なお様々な困難があり、時にはいわれのない差別を受けることもあろう。また、一方では毎日がせわしなく移ろい、記憶の風化が進む。
そういったことをひっくるめて次第に平穏な日々を取り戻していく。悲しいかな、これが現実だ。
むろん軽々しく前を向いて歩こうとは言えん。ただ、一つ言えることは泣いても笑っても時は過ぎていくということだ。
泣いて暮らすのも人生だ、否定はしない。また、津波の悲劇など今となっては遠い異国の物語、所詮は他人事と思ってしまうのもひとつの真理だ、当事者でないものに関心を持ち続けろというのが土台無理な話だとも思う。こういった様々な思いが複雑に交差して震災から七年目を迎える。
俺なんかは無理に風化を恐れる必要はなく、あの忌まわしい記憶をどう咀嚼するかなど各人が自由に考えればいいと思うのです。
もちろん、津波や建物の倒壊、火災など、身の安全を守るべき手段や方法は後世に紡いでいく必要はあるが、そういった震災マニュアルというべきものは昔と違い、今は映像として克明に残しておけるため、定期的に自治体や学校、職場等で訓練をしたり、啓発活動をしたりすれば、仮にまた同じような大地震が起こったとしても被害は格段に減るはずだ。それこそ、ビッグデータを集積してAIが解析すればもっとも効率よい避難に至るまでの経路を導き出すことができ、犠牲者を最低限まで減らすことは可能だろう。
また、ご遺族にすれば悔やんでも悔やみきれない大川小学校の悲劇にしても、今後は二度とあの悲劇を繰り返さぬため、油断や慢心をせず、高台に避難するという行動様式が人々の脳にキチンとインプットされているはずだ。
これから先の未来、同様の巨大地震が起こったとしても様々なデータが生かされるはずであろうから、東日本大震災の二の舞が繰り返されるようなことは少なくなる。
そういったハード的な部分は風化させるべきではなく、IT技術を駆使して後世に紡いでいくべきだが、震災直後の非日常的な記憶をいつまでも引きずる必要はないと思うのである。
日本人が故人を偲ぶのは、命日、春夏の彼岸、お盆と、年に4回と昔から決まっている。愛する人を失った苦しみや悲しみはもちろん痛いほど分かるのだが、だからと言って時計の針がいつまでも2011年3月11日14時46分で止まったままでいいのか。それで死んだ人が浮かばれるか。故人の思いは残った人がいつまでも悔やみ続けることなのか。
記憶が風化するということは平穏な日常を取り戻しつつあるということだ。
いくら被災地の人が記憶の風化を声高に叫んだところで時は無情にも過ぎていく。福島の原発事故で故郷を失った人の気持ちを慮すると胸が張り裂けそうになる、福島の子が転入先でイジメに合うといった同じ日本人として情けない出来事も起きている。わが身の半分は福島県人の血が流れているから尚更だ。母方の爺さん、婆さんが眠るお墓は福島原発にほど近いいわき市だ。だから俺自身、福島の悲劇は決して人ごとでない。
被災地の人には今なお様々な困難があり、時にはいわれのない差別を受けることもあろう。また、一方では毎日がせわしなく移ろい、記憶の風化が進む。
そういったことをひっくるめて次第に平穏な日々を取り戻していく。悲しいかな、これが現実だ。
むろん軽々しく前を向いて歩こうとは言えん。ただ、一つ言えることは泣いても笑っても時は過ぎていくということだ。
泣いて暮らすのも人生だ、否定はしない。また、津波の悲劇など今となっては遠い異国の物語、所詮は他人事と思ってしまうのもひとつの真理だ、当事者でないものに関心を持ち続けろというのが土台無理な話だとも思う。こういった様々な思いが複雑に交差して震災から七年目を迎える。
俺なんかは無理に風化を恐れる必要はなく、あの忌まわしい記憶をどう咀嚼するかなど各人が自由に考えればいいと思うのです。