お笑いと差別
- 2018/01/17
- 14:47
ダウンタウン浜ちゃんの黒塗りメークが差別ではないかと物議を醸している。
俺自身、浜ちゃんが扮したエディー・マーフィに興味はないがウィル・スミスやモーガン・フリーマンは好きな俳優さんであり、特に黒人に対する差別意識はない。
但し、「特に」と強調したのには理由がある。確かに今回の場合、エディー・マーフィであるから面白いと思うがあれがもしエディー・マーフィではなく、ブラピやジョニー・デップの物真似だったら面白かったのだろうかといえばそれはまた微妙だと思うのは本音だ。「黒塗り」に深い意味ではなくとも、深層心理のどこかに黒人を嘲笑するどす黒い差別意識があるのは事実だと思う。
ちょっと黒人から話を逸らす。
座頭市という日本人にはなじみ深い時代劇がある。盲目の侠客である座頭の市が、諸国を旅しながら驚異的な抜刀術で悪人と対峙する、アクション時代劇だ。勝新太郎の座頭市は見たことなくとも、ビートたけしや香取慎吾らにもリメイクされており、見たことのある人も多いだろう。
盲人が主人公だが座頭市を差別主義と非難する人はいない、しかし誰かタレントさんが娯楽番組で座頭市を演じる勝新太郎の物真似をすればどうしても盲目を誇張しなくてはならないため恐らく非難の対象となるだろう。
黒塗りにしろ、座頭市の物真似にしろ、アメリカの白人至上主義団体であるKKK(クー・クラックス・クラン)やナチズムのように信念を持って黒人や障害者を憎むというような話ではなく、言葉は悪いがウケ狙いで軽く揶揄してしまうということはエンタメとしてどうしても外せない部分があると思う。昨年、とんねるずの貴さんが扮した保毛尾田保毛男は性的マイノリティの人権を無視していると、ネットでは大炎上してしまい、フジテレビが謝罪文を出す羽目になったのは記憶に新しい。
また、上質な笑いとされる古典落語にも「めくら」や「つんぼう」など障害者を侮辱するとされる差別的な言葉が使われていることもあり、落語の内容自体に問題はなくとも言葉がNGというだけでテレビで放送が禁止されている作品も多い。
個人的な意見で言えばあまり差別に捉われるのもどうかと思うのだが。
若者のテレビ離れの原因の一つに放送内容の過剰な締め付けがあると思う。NHKにしろ、民放にしろ、差別的な表現に対して過度なほど神経を尖らせている。
その点、乙武氏の自虐ネタはそんなテレビ放送のアンチテーゼ的な内容が多く、痛快なものが多い。
乙武氏は、「手を焼く」「手に負えない」「足を運ぶ」「足並みをそろえる」、手や足を使った慣用句は、枚挙にいとまがない、手足のない僕が、これらの言葉を「差別だ」と騒ぎたてたなら、こうした表現も使えないということになるとツイッターで発信し、かつて存在した政党「たちあがれ日本」に関しては自虐的に「立ち上がる足がない」とリプライしている。まさによくぞ言ったと白眉、拍手喝采である。
しかしながら個人のツイッターでの発言であるからギリギリ許されると思うが(それでも乙武氏の場合、時折炎上してしまうが)、やはり公共の電波に乗せてしまったらアウトだと思う。
結局、差別表現に関しては今後ますますマスコミは神経を尖らすことなるだろう。現在セーフでも五年後、十年後アウトになる表現が現れるかもしれない。大衆娯楽としてのテレビの行方は放送局が神経を尖らすあまり、今よりもっとつまらないものになるのは確実だとは思う。だからと言って開き直るわけにはいかず、テレビの先行きは相当暗いと思います。
俺自身、浜ちゃんが扮したエディー・マーフィに興味はないがウィル・スミスやモーガン・フリーマンは好きな俳優さんであり、特に黒人に対する差別意識はない。
但し、「特に」と強調したのには理由がある。確かに今回の場合、エディー・マーフィであるから面白いと思うがあれがもしエディー・マーフィではなく、ブラピやジョニー・デップの物真似だったら面白かったのだろうかといえばそれはまた微妙だと思うのは本音だ。「黒塗り」に深い意味ではなくとも、深層心理のどこかに黒人を嘲笑するどす黒い差別意識があるのは事実だと思う。
ちょっと黒人から話を逸らす。
座頭市という日本人にはなじみ深い時代劇がある。盲目の侠客である座頭の市が、諸国を旅しながら驚異的な抜刀術で悪人と対峙する、アクション時代劇だ。勝新太郎の座頭市は見たことなくとも、ビートたけしや香取慎吾らにもリメイクされており、見たことのある人も多いだろう。
盲人が主人公だが座頭市を差別主義と非難する人はいない、しかし誰かタレントさんが娯楽番組で座頭市を演じる勝新太郎の物真似をすればどうしても盲目を誇張しなくてはならないため恐らく非難の対象となるだろう。
黒塗りにしろ、座頭市の物真似にしろ、アメリカの白人至上主義団体であるKKK(クー・クラックス・クラン)やナチズムのように信念を持って黒人や障害者を憎むというような話ではなく、言葉は悪いがウケ狙いで軽く揶揄してしまうということはエンタメとしてどうしても外せない部分があると思う。昨年、とんねるずの貴さんが扮した保毛尾田保毛男は性的マイノリティの人権を無視していると、ネットでは大炎上してしまい、フジテレビが謝罪文を出す羽目になったのは記憶に新しい。
また、上質な笑いとされる古典落語にも「めくら」や「つんぼう」など障害者を侮辱するとされる差別的な言葉が使われていることもあり、落語の内容自体に問題はなくとも言葉がNGというだけでテレビで放送が禁止されている作品も多い。
個人的な意見で言えばあまり差別に捉われるのもどうかと思うのだが。
若者のテレビ離れの原因の一つに放送内容の過剰な締め付けがあると思う。NHKにしろ、民放にしろ、差別的な表現に対して過度なほど神経を尖らせている。
その点、乙武氏の自虐ネタはそんなテレビ放送のアンチテーゼ的な内容が多く、痛快なものが多い。
乙武氏は、「手を焼く」「手に負えない」「足を運ぶ」「足並みをそろえる」、手や足を使った慣用句は、枚挙にいとまがない、手足のない僕が、これらの言葉を「差別だ」と騒ぎたてたなら、こうした表現も使えないということになるとツイッターで発信し、かつて存在した政党「たちあがれ日本」に関しては自虐的に「立ち上がる足がない」とリプライしている。まさによくぞ言ったと白眉、拍手喝采である。
しかしながら個人のツイッターでの発言であるからギリギリ許されると思うが(それでも乙武氏の場合、時折炎上してしまうが)、やはり公共の電波に乗せてしまったらアウトだと思う。
結局、差別表現に関しては今後ますますマスコミは神経を尖らすことなるだろう。現在セーフでも五年後、十年後アウトになる表現が現れるかもしれない。大衆娯楽としてのテレビの行方は放送局が神経を尖らすあまり、今よりもっとつまらないものになるのは確実だとは思う。だからと言って開き直るわけにはいかず、テレビの先行きは相当暗いと思います。