歴史のミステリー
- 2018/01/06
- 18:50
日本史上、最大のミステリーと言われているのが明智光秀の本能寺の変、何故光秀が主君である信長に弓を引いたかは未だ分かっておらず、学者の間でも意見が分かれる。また、光秀は山崎の合戦で討ち取られたことになっているが徳川家の幕閣として江戸時代になってからも存命していたという説も根強く、光秀は南光坊天海と名を変え、家康父子を生涯支えたという説も与太話と一笑に付すには日光市の明智平をはじめ論拠がありすぎる。
昨年発見された光秀が書いたとされる密書が歴史の通説を覆す一級品の資料となりうる可能性があると、にわかに脚光を浴びているがそれとてやはり推察の域は出ず、今後も論争の種となり続け、歴史マニアの知的好奇心を刺激続けることに変わりはないだろう。
個人的に日本史のミステリーといえば本能寺の変ではなく、西郷隆盛の挙兵であったりする。
明治維新に成功したものの、産業の遅れは致命的、当時欧米より日本は百年遅れていると言われていた。当然、目指すべきは産業の近代化、軍事力の増強である。なのに西郷さんはしきりに征韓論を主張する。大久保利通や木戸孝允が目の色を変え、欧米を手本に近代日本の夜明けを目指し躍起になっているときに、西郷さんは「朝鮮を征伐しよう」などと、まるでとんちんかんなことを言い出す始末。
仕舞いには自分の主張が認められずヘソを曲げ、桐野利秋、村田新八らとともに下野してしまい、最後は城山で自刃するというのが西郷さんの晩年であるがこの一連の流れに整合性は見出せず、いくらない頭を振り絞ったところでまったく理解できないのである。
綺麗にまとめるのであれば、鹿児島士族は明治新政府にとって最大の癌細胞であったことに疑いはなく、西郷さんが自らの命と引き換えに不平不満が募る鹿児島士族を葬ることで明治維新の矛盾を消し去ってしまうと考えたのではないかという説が一番しっくりくる。
ただ、あくまでも浅学非才の推論につき、恐らくそれも違うのでしょう。もっと深い意図があったのかもしれない。
そもそも西郷さんほどの明晰な人が何ゆえ征韓論を主張したのかが分からない。また、新政府に対して挙兵した意味もやはり分からない。新政府を転覆するためとは到底思えず戦略もあまりに杜撰だ。まだ榎本武揚の函館戦争の方が現実味はある。
慶應から明治に元号が変わり、維新回天が達成するその瞬間までの西郷さんの働きはお見事というほかはないが御一新後の経緯はどうしても理解できず自分にはとことんミステリーなのだ。
明日から始まる大河ドラマ「西郷どん」ではそのあたりのことをどう描くかが見ものだったりします。
昨年発見された光秀が書いたとされる密書が歴史の通説を覆す一級品の資料となりうる可能性があると、にわかに脚光を浴びているがそれとてやはり推察の域は出ず、今後も論争の種となり続け、歴史マニアの知的好奇心を刺激続けることに変わりはないだろう。
個人的に日本史のミステリーといえば本能寺の変ではなく、西郷隆盛の挙兵であったりする。
明治維新に成功したものの、産業の遅れは致命的、当時欧米より日本は百年遅れていると言われていた。当然、目指すべきは産業の近代化、軍事力の増強である。なのに西郷さんはしきりに征韓論を主張する。大久保利通や木戸孝允が目の色を変え、欧米を手本に近代日本の夜明けを目指し躍起になっているときに、西郷さんは「朝鮮を征伐しよう」などと、まるでとんちんかんなことを言い出す始末。
仕舞いには自分の主張が認められずヘソを曲げ、桐野利秋、村田新八らとともに下野してしまい、最後は城山で自刃するというのが西郷さんの晩年であるがこの一連の流れに整合性は見出せず、いくらない頭を振り絞ったところでまったく理解できないのである。
綺麗にまとめるのであれば、鹿児島士族は明治新政府にとって最大の癌細胞であったことに疑いはなく、西郷さんが自らの命と引き換えに不平不満が募る鹿児島士族を葬ることで明治維新の矛盾を消し去ってしまうと考えたのではないかという説が一番しっくりくる。
ただ、あくまでも浅学非才の推論につき、恐らくそれも違うのでしょう。もっと深い意図があったのかもしれない。
そもそも西郷さんほどの明晰な人が何ゆえ征韓論を主張したのかが分からない。また、新政府に対して挙兵した意味もやはり分からない。新政府を転覆するためとは到底思えず戦略もあまりに杜撰だ。まだ榎本武揚の函館戦争の方が現実味はある。
慶應から明治に元号が変わり、維新回天が達成するその瞬間までの西郷さんの働きはお見事というほかはないが御一新後の経緯はどうしても理解できず自分にはとことんミステリーなのだ。
明日から始まる大河ドラマ「西郷どん」ではそのあたりのことをどう描くかが見ものだったりします。