日馬富士の引退に関しては特になんの感慨もなく、状況が状況だけに致し方なしだと思う。双羽黒のように部屋を追われなかっただけマシ。
とはいえ、本当のところはどうだったのだろうかって思いはある。メディアで報じられている通り、貴ノ岩の態度の悪さが端緒であるなら日馬富士の激昂にも一定程度理解は出来るし、そうではなく酒乱の大暴れであるなら引退では生温く、追放処分が妥当だと思う。
ただまあこれで幕引きだろうな。
捜査当局も引退して社会的制裁を受けたとなれば恐らく在宅での略式起訴に落ち着くと思う。このへんは貴ノ岩と貴乃花親方次第ではあるけれど。
ちなみに個人的なことを言えば体罰をまったく否定しているわけではない。大怪我をするほどであればもちろん理由の如何を問わずアウトですが、目上のものに対する態度や学校での弱いものイジメ、警察や自衛隊、消防隊など命を預かる職場での緩慢な態度や動作、時と場合に応じて適宜鉄拳制裁は決して悪いことではない。
山本五十六のやってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじはけだし名言ではありますが残念なことに口で言って分かる人ばかりでなく、痛みを知ってはじめて分かる人もいる。
懐古趣味かもしれませんが三十年以上前の学校教育は常に体罰と隣り合わせ、大仰にいえば生殺与奪の権が教師に付託されており、家庭や社会もそれを認めていた。事実、悪ガキだった俺などゲンコツやビンタをもらった回数は数えきれない。
廊下を走ってゲンコツをもらった、今なら結構問題になりがちな話ではあるけれど、走ると危ないし、マナー違反であるとキチンと前もって説明は受けている、受けているのに走って遊ぶ、さすがにゲンコツしかないじゃん。理由も教えず有無を言わさず殴るのとは違う。最初は教師に殴られるという恐怖で縛りつけられているがこうして廊下を走らなくなるのは事実、いずれ恐怖ではなく真の意味で廊下を走ってはいけない理由が分かってくる、その積み重ねで社会に出てからも恥を掻かなくて済む、これって健全な教育だと思うのです。
実態はどの程度まで浸透しているのかは不明ですが警察や自衛隊でも暴力による指導は厳に禁じられているという。
うかうかしていると、自分の命はおろか、仲間の命も危機にさらされ、ひいては国民の生命を脅かす、常に緊張感を要求される職場で体罰禁止なんて呑気なことを言っていられるかね?上官の鉄拳制裁が怖いという単純な理由であっても現場がピシッと締まればそれはそれなんじゃないのと思う。
最終的には程度の問題とこぶしに愛があるか否かだと思います、といっても今の世の中この考え方自体がアウトなんですけどね。