割りとというのか、かなり俺は現実的
- 2017/09/22
- 22:15
中学給食 食べ残し大量 冷たい、異物…町は対応苦慮 東京新聞
色々物議を醸しだしておりますが、給食の大量食べ残し問題。
この手の話の争点になるのが、「戦時中のことを考えたら罰があたる」、「アフリカの飢えた人のことを思えば残せないだろう」という話。
まず戦時中飯が食えず食べられるものであれば何でも喜んで食べたという話であるが、現代は飽食の時代、飯が食えず餓死してしまうという人がゼロとは言わないがそんなものは稀有も稀有、日本に於ける餓死者の大半は生活保護を受けられない当人になにがしかの問題があるわけで、現代日本と飢えは全く切り離して考えてなんら問題はないといえる。
個人的な話だが、自分もまあ一時社会から隔離されていたわけじゃないですか、その時、鉄格子の檻の中で食べた食べ物というのが実に素晴らしく、臭い飯とは名ばかり、毎日が肉や揚げ物の高カロリーの食べ物ばかり、衛生面と供給面の兼ね合いで刺身と麺類は食べられなかったが、犯罪を犯した悪人ですらそれなりにうまいものが食えてしまうのが現代日本という国。
そんな飽食の時代と戦時中の食生活をリンクさせようといったってそれはさすがに無理があるって。
確かに、軍人、民間人を問わず、戦時中塗炭の苦しみを味わった方には尊崇の念を覚えます。彼らが絶望的な状況でも決して諦めず踏ん張ったからこそ今の栄えある日本があるのは事実ですが、でも、戦後70有余年、良くも悪くも日本は経済的な豊かな国になり、少なくとも飯が食えずに死んでしまうという危機的な状況の家庭は皆無だ。
繰り返すがたまにニュースに上る、食えずに餓死してしまったなんて話は精神的になんらかの異常をきたし、生活保護の申請すらしない残念な人たちであろうから現実は皆無なのだ。
以前、タレントの北野武が面白いことを言っていた。
「おいらの子供のころに牛丼やコンビニ弁当があったら御馳走で、飛び上がるほど嬉しかったのに今じゃひもじい奴らが食う食べ物の代名詞だもんな」
そう、貧しい奴らですらそこそこのものが食える時代にまずい物を出されて、それを有難く頂けと言われてもそりゃあ無理があるって。
もちろん、給食を残している連中だってもし今が戦時下で食べ物がなく常時腹ペコ、白米の夢を見るほど苛烈な状況であればさすがに文句も言わず、それこそ有り難がって食べるでしょうけど、今とは時代背景が異なるため比べること自体がナンセンスだ。
同様に、アフリカの難民云々もナンセンス、給食を残そうが、残すまいが飢えている人の状況はなにも変わらない。これが全部食べきれば一人当たり10円がアフリカへの食糧支援として募金されますという、どこかの企業が音頭を取って完食チャリティーイベントをするのであれば完食を目指すというのも理解は出来るが、今回の給食は関係ないじゃん。そもそも、アフリカの難民だって腹いっぱいになれば残す。
結局誰が悪いかって、まずい給食を作っている業者とその業者を選定した役所のぼんくら職員。
だって、詳しいデータは知らないが私立は別にして、公立の給食、恐らく完食率が著しく高い地域も全国にはあるはずだ。その完食率が高い地域と今回問題になっている大磯町の給食費を比べた場合、公立ですからそう大差はないはずである。つまりは企業努力の問題。バランスの取れた栄養のある献立という目標があるため、必ずしも美味しい物ばかりとは限らない。それは分かる。時には子供が苦手とするものも出すこともあるだろう。
しかし、データを比べるまでもなく、明らかに食べ残しが多い地域と完食率が高い地域が存在するというのであれば何かしら提供する業者に問題があるんだって。そこらへんを鑑みず、ひたすら戦時中云々、アフリカの貧しい人云々を唱えたところで、死ねよ老害と言われるのがオチですぜ、と。
色々物議を醸しだしておりますが、給食の大量食べ残し問題。
この手の話の争点になるのが、「戦時中のことを考えたら罰があたる」、「アフリカの飢えた人のことを思えば残せないだろう」という話。
まず戦時中飯が食えず食べられるものであれば何でも喜んで食べたという話であるが、現代は飽食の時代、飯が食えず餓死してしまうという人がゼロとは言わないがそんなものは稀有も稀有、日本に於ける餓死者の大半は生活保護を受けられない当人になにがしかの問題があるわけで、現代日本と飢えは全く切り離して考えてなんら問題はないといえる。
個人的な話だが、自分もまあ一時社会から隔離されていたわけじゃないですか、その時、鉄格子の檻の中で食べた食べ物というのが実に素晴らしく、臭い飯とは名ばかり、毎日が肉や揚げ物の高カロリーの食べ物ばかり、衛生面と供給面の兼ね合いで刺身と麺類は食べられなかったが、犯罪を犯した悪人ですらそれなりにうまいものが食えてしまうのが現代日本という国。
そんな飽食の時代と戦時中の食生活をリンクさせようといったってそれはさすがに無理があるって。
確かに、軍人、民間人を問わず、戦時中塗炭の苦しみを味わった方には尊崇の念を覚えます。彼らが絶望的な状況でも決して諦めず踏ん張ったからこそ今の栄えある日本があるのは事実ですが、でも、戦後70有余年、良くも悪くも日本は経済的な豊かな国になり、少なくとも飯が食えずに死んでしまうという危機的な状況の家庭は皆無だ。
繰り返すがたまにニュースに上る、食えずに餓死してしまったなんて話は精神的になんらかの異常をきたし、生活保護の申請すらしない残念な人たちであろうから現実は皆無なのだ。
以前、タレントの北野武が面白いことを言っていた。
「おいらの子供のころに牛丼やコンビニ弁当があったら御馳走で、飛び上がるほど嬉しかったのに今じゃひもじい奴らが食う食べ物の代名詞だもんな」
そう、貧しい奴らですらそこそこのものが食える時代にまずい物を出されて、それを有難く頂けと言われてもそりゃあ無理があるって。
もちろん、給食を残している連中だってもし今が戦時下で食べ物がなく常時腹ペコ、白米の夢を見るほど苛烈な状況であればさすがに文句も言わず、それこそ有り難がって食べるでしょうけど、今とは時代背景が異なるため比べること自体がナンセンスだ。
同様に、アフリカの難民云々もナンセンス、給食を残そうが、残すまいが飢えている人の状況はなにも変わらない。これが全部食べきれば一人当たり10円がアフリカへの食糧支援として募金されますという、どこかの企業が音頭を取って完食チャリティーイベントをするのであれば完食を目指すというのも理解は出来るが、今回の給食は関係ないじゃん。そもそも、アフリカの難民だって腹いっぱいになれば残す。
結局誰が悪いかって、まずい給食を作っている業者とその業者を選定した役所のぼんくら職員。
だって、詳しいデータは知らないが私立は別にして、公立の給食、恐らく完食率が著しく高い地域も全国にはあるはずだ。その完食率が高い地域と今回問題になっている大磯町の給食費を比べた場合、公立ですからそう大差はないはずである。つまりは企業努力の問題。バランスの取れた栄養のある献立という目標があるため、必ずしも美味しい物ばかりとは限らない。それは分かる。時には子供が苦手とするものも出すこともあるだろう。
しかし、データを比べるまでもなく、明らかに食べ残しが多い地域と完食率が高い地域が存在するというのであれば何かしら提供する業者に問題があるんだって。そこらへんを鑑みず、ひたすら戦時中云々、アフリカの貧しい人云々を唱えたところで、死ねよ老害と言われるのがオチですぜ、と。