気持ちいいこと
- 2012/05/05
- 10:03
実際んとこ、気持ちのいいことって何だろうな。
もしかしたら違法薬物を体内に接種することこそが、実は一番気持ちいいのかも知れないけど、タバコすら吸わない俺に薬物の気持ち良さを聞かれても困るし、ドラッグの気持ち良さを知りたいとは思わない。
そりゃあ俺だって末期癌にでもなりゃ、モルヒネのお世話にはなるかも知れないが少なくとも健康なうちはヤクに手を染めることはない。
じゃあ、セックスか?
これも確かに気持ちいいけど世界観が変わるほど気持ちいいかっていったらそんなことはねぇわなぁ~。
風俗やってる頃は吉原の高級風呂屋に何度も行き、モデル級の美女達にそれはそれは素晴らしいサービスを受けたが、だからって別に人生観は変わらず、仕舞いにゃその極上サービスすらも飽きてしまい、結局2万の大衆店だろうが気持ち良さにそこ迄の差異はなねぇなって思えてきて、たかだかセックス程度の気持ち良さに6万も7万も払うのはバカらしいやいと、高級店に行くのはやめてしまった経緯がある。
もちろん、人にもよるのだろうけど、少なくとも俺自身に於いてはセックスなど、大とろや霜降りの牛肉程度の快感で、うまいはうまいし、たまには食べたくもなるが、でも、なきゃなくても困らないという程度の代物でしかない。
事実、丸一年セックスをしていないがそれが原因で何か支障をきたしたり、或いはフラストレーションが溜り、精神が崩壊しそうになっているなんてことはない。まったく。
ゆえに痴漢や強姦などの性犯罪を犯す奴の気がしれない。懲役を懸けて迄やるほどのことかと呆れてしまう。
じゃあ、大とろや牛肉の話が出たが食欲か?
これもセックス同様違うねぇ。
風俗時代には散々うまいもんを食べたが脳みそがとろけるようなうまいものにはついぞ出会わなかった。
大間産天然本マグロの大とろしかり、米沢牛のA5ランクの霜降り牛肉しかり、うまいことはうまいが食えないからとストレスに苛まれ、気が変になるほど、脳みそを揺さ振られたかといえば全然そんなことはない。
もしかしたら世界中探せば心が震えるほどの刺激的な食材に巡り合えるのかも知れないが、基本、食べ物なんてもんは味が濃くて、栄養があり、そこそこうまけりゃそれで十分だと考えている俺からすると、食材如きに時間も金も費やすことなど、とてもじゃないが馬鹿馬鹿しくて考えられない。
あ、そうだ、口に入るものといえばアルコールだ。
ロマネコンティやルイ13世こそ、飲んだことはないが、それでもそれなりの銘酒を国内外を問わず、飲んできた自負はあるがこれも特段人生は変わらなかった。
ウチの親父など、死ぬ前日まで酒はやめないといって憚らないが365日酒を飲まなくても平気な俺にとってみれば酒もセックス、食べ物同様、人生観を変えるような代物ではない。
軽く酔ってぽわーんとなるのはそれ相応に気持ちがよいのは事実だが目くるめくの快感かといえば全くそんなことはない。
そう考えると依存症的なものって何もないと言える。
恋愛なんかも同様だ、もしかしたらまだ巡り合ってないだけなのかも知れないが溺れる程、めろめろになってしまった経験は過去皆無である。
自分の好みの女の子と付き合えることは確かに楽しいし、セックスを含め気持ちもいいがじゃあその反面振られた時、気持ち良さと引き替えに、心がズタズタになり、自殺迄考えたかといえばてんでそんなことはない。
相応のショックを受けるのは事実だが2、3日もすればケロッとしている。
ある意味、失恋が原因で自殺まで考える人というのは冷めている自分などからすると非常に羨ましい。
これも突き詰めれば自殺まで考えるような素晴らしく気持ちがいい人と未だ出会ってない可能性もあるが、自分の場合、そういう人ってきっと世界中探してもいないような気がする。
仮に自分が100%理想する女性が現われ、付き合い、そして振られたとしても、正直、一つの過程が終わっただけと、わりとあっさり帰結してしまうと思う。
ここ数年、何が楽しくて俺って生きてんだろうと思う時がある。
世の中には楽しいことは山ほどあるが、でもみんなそこそこなんだよねぇ。
特に最近はこの傾向が顕著だ。
何やっても今イチ盛り上がれない。
盛り上がれないもんだから何だっていいやと考えてしまう。
正直生きがいみたいなもんがなーんもない。
自殺をするつもりはないがもし今何か大病を患ったら治療を放棄し、そのまま死んでしまうのも悪かねぇやと思ったりする。
くれぐれも誤解して欲しくないのは別に自暴自棄になっているわけではない。
うまい料理を肴にしていい酒を飲むのが気持ちいいのは事実だし、好みの女を抱いた時はやはり嬉しく、気持ちがいい。
俺だって目の前に据え膳が置かれれば間違いなく食うだろう。
しかし、食ったあとの歓びの程度をすでに食う前から知ってしまっているため、どうしても盛り上がりに欠けるというかさ、なんか本気になれないんだよね。
そんなもんだから最近は妙に達観してしまい、部屋で誰にも邪魔されず、ごろごろして淀んでいる時が実は一番気持ちがいいと感じている。
休みの日なんかホント悲惨だぜ。
ごろごろしながらケータイいじったり、本読んでまどろみ、眠くなったら寝て、腹が減ったら近所のほか弁に弁当を買いに行き、腹を満たすと、またひたすらごろごろ。
なんの生産性もない一日。
自分でも何なんだろうかと思う。
もっとも、一通り、酸いも甘いも知り、体力が落ち、人生の折り返し地点を過ぎると、平和な日本じゃ自分みたいな感覚が案外普通なんじゃないかとも思う。
違っていたらごめんなさい。
ごろごろしながら記す。
もしかしたら違法薬物を体内に接種することこそが、実は一番気持ちいいのかも知れないけど、タバコすら吸わない俺に薬物の気持ち良さを聞かれても困るし、ドラッグの気持ち良さを知りたいとは思わない。
そりゃあ俺だって末期癌にでもなりゃ、モルヒネのお世話にはなるかも知れないが少なくとも健康なうちはヤクに手を染めることはない。
じゃあ、セックスか?
これも確かに気持ちいいけど世界観が変わるほど気持ちいいかっていったらそんなことはねぇわなぁ~。
風俗やってる頃は吉原の高級風呂屋に何度も行き、モデル級の美女達にそれはそれは素晴らしいサービスを受けたが、だからって別に人生観は変わらず、仕舞いにゃその極上サービスすらも飽きてしまい、結局2万の大衆店だろうが気持ち良さにそこ迄の差異はなねぇなって思えてきて、たかだかセックス程度の気持ち良さに6万も7万も払うのはバカらしいやいと、高級店に行くのはやめてしまった経緯がある。
もちろん、人にもよるのだろうけど、少なくとも俺自身に於いてはセックスなど、大とろや霜降りの牛肉程度の快感で、うまいはうまいし、たまには食べたくもなるが、でも、なきゃなくても困らないという程度の代物でしかない。
事実、丸一年セックスをしていないがそれが原因で何か支障をきたしたり、或いはフラストレーションが溜り、精神が崩壊しそうになっているなんてことはない。まったく。
ゆえに痴漢や強姦などの性犯罪を犯す奴の気がしれない。懲役を懸けて迄やるほどのことかと呆れてしまう。
じゃあ、大とろや牛肉の話が出たが食欲か?
これもセックス同様違うねぇ。
風俗時代には散々うまいもんを食べたが脳みそがとろけるようなうまいものにはついぞ出会わなかった。
大間産天然本マグロの大とろしかり、米沢牛のA5ランクの霜降り牛肉しかり、うまいことはうまいが食えないからとストレスに苛まれ、気が変になるほど、脳みそを揺さ振られたかといえば全然そんなことはない。
もしかしたら世界中探せば心が震えるほどの刺激的な食材に巡り合えるのかも知れないが、基本、食べ物なんてもんは味が濃くて、栄養があり、そこそこうまけりゃそれで十分だと考えている俺からすると、食材如きに時間も金も費やすことなど、とてもじゃないが馬鹿馬鹿しくて考えられない。
あ、そうだ、口に入るものといえばアルコールだ。
ロマネコンティやルイ13世こそ、飲んだことはないが、それでもそれなりの銘酒を国内外を問わず、飲んできた自負はあるがこれも特段人生は変わらなかった。
ウチの親父など、死ぬ前日まで酒はやめないといって憚らないが365日酒を飲まなくても平気な俺にとってみれば酒もセックス、食べ物同様、人生観を変えるような代物ではない。
軽く酔ってぽわーんとなるのはそれ相応に気持ちがよいのは事実だが目くるめくの快感かといえば全くそんなことはない。
そう考えると依存症的なものって何もないと言える。
恋愛なんかも同様だ、もしかしたらまだ巡り合ってないだけなのかも知れないが溺れる程、めろめろになってしまった経験は過去皆無である。
自分の好みの女の子と付き合えることは確かに楽しいし、セックスを含め気持ちもいいがじゃあその反面振られた時、気持ち良さと引き替えに、心がズタズタになり、自殺迄考えたかといえばてんでそんなことはない。
相応のショックを受けるのは事実だが2、3日もすればケロッとしている。
ある意味、失恋が原因で自殺まで考える人というのは冷めている自分などからすると非常に羨ましい。
これも突き詰めれば自殺まで考えるような素晴らしく気持ちがいい人と未だ出会ってない可能性もあるが、自分の場合、そういう人ってきっと世界中探してもいないような気がする。
仮に自分が100%理想する女性が現われ、付き合い、そして振られたとしても、正直、一つの過程が終わっただけと、わりとあっさり帰結してしまうと思う。
ここ数年、何が楽しくて俺って生きてんだろうと思う時がある。
世の中には楽しいことは山ほどあるが、でもみんなそこそこなんだよねぇ。
特に最近はこの傾向が顕著だ。
何やっても今イチ盛り上がれない。
盛り上がれないもんだから何だっていいやと考えてしまう。
正直生きがいみたいなもんがなーんもない。
自殺をするつもりはないがもし今何か大病を患ったら治療を放棄し、そのまま死んでしまうのも悪かねぇやと思ったりする。
くれぐれも誤解して欲しくないのは別に自暴自棄になっているわけではない。
うまい料理を肴にしていい酒を飲むのが気持ちいいのは事実だし、好みの女を抱いた時はやはり嬉しく、気持ちがいい。
俺だって目の前に据え膳が置かれれば間違いなく食うだろう。
しかし、食ったあとの歓びの程度をすでに食う前から知ってしまっているため、どうしても盛り上がりに欠けるというかさ、なんか本気になれないんだよね。
そんなもんだから最近は妙に達観してしまい、部屋で誰にも邪魔されず、ごろごろして淀んでいる時が実は一番気持ちがいいと感じている。
休みの日なんかホント悲惨だぜ。
ごろごろしながらケータイいじったり、本読んでまどろみ、眠くなったら寝て、腹が減ったら近所のほか弁に弁当を買いに行き、腹を満たすと、またひたすらごろごろ。
なんの生産性もない一日。
自分でも何なんだろうかと思う。
もっとも、一通り、酸いも甘いも知り、体力が落ち、人生の折り返し地点を過ぎると、平和な日本じゃ自分みたいな感覚が案外普通なんじゃないかとも思う。
違っていたらごめんなさい。
ごろごろしながら記す。