ニュートラル
- 2017/08/28
- 14:08
https://www.nhk.or.jp/darwin/feature/deepsea/
昨夜のNHKスペシャル「超深海 地球最深(フルデプス)への挑戦」見ました?
しきりに深海という『過酷な環境』で生きるということばかりを強調しておりましたが過酷な環境だというのは人間側のご都合主義的な解釈であり、そこに暮らしている生き物にとってはまさに人間が想起する過酷な環境こそが実はパラダイスなわけですよ。事実、番組では深海8000mの海底で魚を捕獲したのだが、水揚げした魚は船まで昇ってくる間にすべて死に絶えていた、つまり水圧の高くない温暖な海域というのは深海魚にすればそれこそ地獄でしかないわけ。
何故指先に1トンもの水圧が掛かる深海で何故生物が生きられるのかという研究は生物学のみならず、ゆくゆくは医学や物理学、或いは宇宙科学にも寄与する可能性があるため、大変意味のある研究だと思うが、そこが過酷か否かというのはまた別の次元の話だと思うのです。過酷な環境なんてもんは人間のてめぇ勝手な思い込みでしかない。
これって我々の世界にも通ずると思う。
ある人は生活がしんどくて苦しいと嘆く。
確かにその人にとっては過酷な環境なのでしょうけど、別な人からすればなんでもないことだったりする。なんでもないどころかパラダイスかもしれない。
もちろん、生活に余裕がなく苦しいというのはエンゲル係数などから割り出すことが出来るため、客観的に見て、生活が楽か苦しいかという事は数値化出来る。
しかし、仮にエンゲル係数が高くとも本人が生活に満足していれば客観的云々以前にそこはパラダイスだし、反対に高収入であっても自分が地獄だと思えば地獄なのです。
自分の極めて狭い視野で物事を考えると、本質を見失う気がすんだよねぇ。
一般的に人間って自分の培ってきた価値観でしか物事の尺度を計れないじゃない。かくいう俺自身もそうであるため、偉そうなことは言えませんけど、思考をニュートラルな位置に戻して、一義的ではなく、多方面から考えるってことが大事だと思うんだわ。
これは疑るとも違い、妄信するとも違う。
分かります?
分からんだろう。
何故なら書いている本人が一番よく分かっていないのだから。
昨夜のNHKスペシャル「超深海 地球最深(フルデプス)への挑戦」見ました?
しきりに深海という『過酷な環境』で生きるということばかりを強調しておりましたが過酷な環境だというのは人間側のご都合主義的な解釈であり、そこに暮らしている生き物にとってはまさに人間が想起する過酷な環境こそが実はパラダイスなわけですよ。事実、番組では深海8000mの海底で魚を捕獲したのだが、水揚げした魚は船まで昇ってくる間にすべて死に絶えていた、つまり水圧の高くない温暖な海域というのは深海魚にすればそれこそ地獄でしかないわけ。
何故指先に1トンもの水圧が掛かる深海で何故生物が生きられるのかという研究は生物学のみならず、ゆくゆくは医学や物理学、或いは宇宙科学にも寄与する可能性があるため、大変意味のある研究だと思うが、そこが過酷か否かというのはまた別の次元の話だと思うのです。過酷な環境なんてもんは人間のてめぇ勝手な思い込みでしかない。
これって我々の世界にも通ずると思う。
ある人は生活がしんどくて苦しいと嘆く。
確かにその人にとっては過酷な環境なのでしょうけど、別な人からすればなんでもないことだったりする。なんでもないどころかパラダイスかもしれない。
もちろん、生活に余裕がなく苦しいというのはエンゲル係数などから割り出すことが出来るため、客観的に見て、生活が楽か苦しいかという事は数値化出来る。
しかし、仮にエンゲル係数が高くとも本人が生活に満足していれば客観的云々以前にそこはパラダイスだし、反対に高収入であっても自分が地獄だと思えば地獄なのです。
自分の極めて狭い視野で物事を考えると、本質を見失う気がすんだよねぇ。
一般的に人間って自分の培ってきた価値観でしか物事の尺度を計れないじゃない。かくいう俺自身もそうであるため、偉そうなことは言えませんけど、思考をニュートラルな位置に戻して、一義的ではなく、多方面から考えるってことが大事だと思うんだわ。
これは疑るとも違い、妄信するとも違う。
分かります?
分からんだろう。
何故なら書いている本人が一番よく分かっていないのだから。