早食いの是非
- 2017/08/09
- 15:45
ダウンタウンの松ちゃんの「食べるのが遅い芸人は100パーセント売れない」発言がネット上で話題だ。
芸人の売れる売れないは分からないが、基本的に俺も飯は早く食え派である。
ちなみに、小中高と、学業の成績は並以下だったが飯を食うスピードだけは常に学年一位をキープ。どれぐらい早いかといえば弁当を持参していない奴が購買部にパンを買いに行っている間に自弁の俺はすでに食べ終わっているのである。
「あれ、わざわざ待ってなくとも、先に食べてりゃよかったのに」(友人)
「んにゃ、もう食べ終えた」(俺)
何故、飯を早く食うか。
その前に時間について考えてみたい。国籍、人種、老若男女、金持ち、貧乏、宗教宗派、高学歴、低学歴、健康な人、病人、自由な人、囚人などを問わず、すべての生きとし生ける人に唯一平等に与えられているものが生きている間の1日24時間という数値、これだけは神様が平等に与えた。分かりますよね?
金持ちだから1日30時間、貧乏人だから1日10時間というふうに割り振られているわけではない。当たり前の話だ。
しかしながら、時間の使い方如何でこの1日24時間という値を相対的に増やすことも減らすことも可能である。
俺は平均すると一食10分以内である(これでも多く見積もっている、実際は5分以内)。一般的に食事に費やす時間というのは1回あたり30分と考えると一日3食で90分ぐらいだろうか、俺の場合3食で30分であるから他の人より1時間余裕があるということである。
1時間余裕があるということは男子の平均寿命を80才と考えると1時間(1日分の余った時間)×365日×80年という計算が成り立つ(閏年は考慮せず)。解は29200時間であり、この数字をさらに24時間で割ると1216日という答えになる。さらにさらに、1216日を365日で割ると3.33年という答えになる。
つまり、食事の時間を人より1時間短縮することによって同じ80年生きるとしても、並の速度で飯を食う人より3年分余計に生きた計算になる。もちろんこれは逆も真なりであり、食事に時間を掛ければ掛けるほど実際に生きた80年よりも相対的時間は目減りをするということである。
ここまで分かるかな?
要は時間の使い方如何によって絶対的な時間は同じでも相対的な時間は長くもなるし短くもなるってこと。
俺の場合、殊、飯の時間に限って言えば他の人より3年以上得をしている計算である。もちろん、果たして平均寿命まで生きられるのかという根本的な問題はあるにせよ、飯を早く済ますことで余剰時間を作れるのは事実である。その余った時間に何か学ぶことも出来る。
むろん、これは自分の考え方であり、食事の時間こそが何よりも楽しみだという人に俺の考えを強要するつもりはさらさらない。また、摂食障害のある方は誤嚥を起こさないようゆっくり食べるのが何よりも大事だったりする。そもそも人間の生きる使命が食うために生きるのか生きるために食うのかという哲学的な問題にもぶち当たるため、一概に早飯の是非を問うつもりなどない。繰り返すが俺は食事の時間もなるべく短縮してショートカットすべきだと思っているだけであり、他人に強要するつもりはない。また、同意を求めるつもりもない。早食いはガンの遠因にもなると言われており、早食いなどするのはアホだと思うなら思ってもらって構わない。
結局のところ、突き詰めると人生の目的をどこに置くかって問題だと思う。食事こそが人生の醍醐味だと思う人は仮に相対時間が減ったとしても食事の時間に重きを置くことこそが幸せだろうし、俺みたいに食事などほどほどうまくて栄養が取れれば十分だとしか考えていないのであれば食事の時間は出来るだけ端折りたい。ただそれだけの話だ。
芸人の売れる売れないは分からないが、基本的に俺も飯は早く食え派である。
ちなみに、小中高と、学業の成績は並以下だったが飯を食うスピードだけは常に学年一位をキープ。どれぐらい早いかといえば弁当を持参していない奴が購買部にパンを買いに行っている間に自弁の俺はすでに食べ終わっているのである。
「あれ、わざわざ待ってなくとも、先に食べてりゃよかったのに」(友人)
「んにゃ、もう食べ終えた」(俺)
何故、飯を早く食うか。
その前に時間について考えてみたい。国籍、人種、老若男女、金持ち、貧乏、宗教宗派、高学歴、低学歴、健康な人、病人、自由な人、囚人などを問わず、すべての生きとし生ける人に唯一平等に与えられているものが生きている間の1日24時間という数値、これだけは神様が平等に与えた。分かりますよね?
金持ちだから1日30時間、貧乏人だから1日10時間というふうに割り振られているわけではない。当たり前の話だ。
しかしながら、時間の使い方如何でこの1日24時間という値を相対的に増やすことも減らすことも可能である。
俺は平均すると一食10分以内である(これでも多く見積もっている、実際は5分以内)。一般的に食事に費やす時間というのは1回あたり30分と考えると一日3食で90分ぐらいだろうか、俺の場合3食で30分であるから他の人より1時間余裕があるということである。
1時間余裕があるということは男子の平均寿命を80才と考えると1時間(1日分の余った時間)×365日×80年という計算が成り立つ(閏年は考慮せず)。解は29200時間であり、この数字をさらに24時間で割ると1216日という答えになる。さらにさらに、1216日を365日で割ると3.33年という答えになる。
つまり、食事の時間を人より1時間短縮することによって同じ80年生きるとしても、並の速度で飯を食う人より3年分余計に生きた計算になる。もちろんこれは逆も真なりであり、食事に時間を掛ければ掛けるほど実際に生きた80年よりも相対的時間は目減りをするということである。
ここまで分かるかな?
要は時間の使い方如何によって絶対的な時間は同じでも相対的な時間は長くもなるし短くもなるってこと。
俺の場合、殊、飯の時間に限って言えば他の人より3年以上得をしている計算である。もちろん、果たして平均寿命まで生きられるのかという根本的な問題はあるにせよ、飯を早く済ますことで余剰時間を作れるのは事実である。その余った時間に何か学ぶことも出来る。
むろん、これは自分の考え方であり、食事の時間こそが何よりも楽しみだという人に俺の考えを強要するつもりはさらさらない。また、摂食障害のある方は誤嚥を起こさないようゆっくり食べるのが何よりも大事だったりする。そもそも人間の生きる使命が食うために生きるのか生きるために食うのかという哲学的な問題にもぶち当たるため、一概に早飯の是非を問うつもりなどない。繰り返すが俺は食事の時間もなるべく短縮してショートカットすべきだと思っているだけであり、他人に強要するつもりはない。また、同意を求めるつもりもない。早食いはガンの遠因にもなると言われており、早食いなどするのはアホだと思うなら思ってもらって構わない。
結局のところ、突き詰めると人生の目的をどこに置くかって問題だと思う。食事こそが人生の醍醐味だと思う人は仮に相対時間が減ったとしても食事の時間に重きを置くことこそが幸せだろうし、俺みたいに食事などほどほどうまくて栄養が取れれば十分だとしか考えていないのであれば食事の時間は出来るだけ端折りたい。ただそれだけの話だ。