劇場型政治はビジネスにも応用が可能です
- 2017/07/04
- 11:31
僕が最近の?最近でもないな、ともかく政治の中で凄いと思ったのは小泉さんが小泉旋風を日本全国に吹き荒らしたときだよね。劇場型政治と言われたのが確かあの時が初めてだった気がする。違っていたらごめんなさい。
小泉さんが凄いと思い、思わず溜飲を下げたのは「(旧態依然とした)自民党をぶっ壊す」、これ。
劇場型政治の真骨頂は敵を作り上げることだとするならば本来討つべき敵とは民主党(現民進党)なはずじゃないですか、それをあえて民主党、その他の政党はスルーし、敵は伏魔殿と化した旧態依然の自民党だというのだから民衆が痺れてしまうのも無理はない。
結果は自民党の圧勝。しかも自民党をぶっ壊すというのがブラフでなかったことは自民党の最大派閥を形成していた派閥の領袖橋本龍太郎を政治資金規正法違反で在宅起訴に追い込んだ。この件が直接の死因かどうかは別にして彼は2006年に敗血症性ショックによる多臓器不全のため急逝している。
歌舞伎の勧進帳然り、細面の色男が権力と戦うという構図は日本人がもっとも好む絵ヅラなのである(肖像画に残されている源義経はねずみ男のような貧相な風貌だが・・・)。
なお、この劇場型政治はビジネスにも応用できる。
ソースは俺。自分自身、細面の色男などではまったくないが俺がフーゾクを始めた時がまさにそう。
その時のスローガンが「水戸のフーゾクをぶっ壊す」。
当時の水戸フーゾクというのはとにかくひどい有様で、値段は都内と同じ料金を取るくせに出てくるのは逆に金を貰いたくなるぐらいの化け物ばかり(すまん)、だから、容姿と性格がよい女の子を集めれば絶対にウケるという勝算があった。
但し、それだけでは今イチ弱いため、俺は敵を作り上げた。その敵とは2ちゃんねらーである。あえて敵をねらーにして、自分はホームページや掲示板等で情報を発信し続けた。覆面対ねらーという構図の出来上がりである。
一般的に匿名のねらーを相手するということはリスクが高いと考え、大企業はもちろんのこと、中小零細企業に至るまで出来れば触れたくはない「聖域」と化しているのであるが、それでも怯むことなく、俺はねらーと戦い続けたのである。
当然、ねらーの吹聴によって俺のことをとんでもない人間だと思い込む人も多数現われる。しかしながら、一方、なんだか知らないけど面白いやつがいるわと興味を持ってくれる人もいる。不思議なもので叩かれれば叩かれるほど俺の側についてくれる人が増えていくのであるから面白い。
ちなみに、不特定多数と戦うときの鉄則というものがある。ヒトラーも小泉さんも金と女性関係には清廉潔白であることを徹底して演じきった。俺もそこは真似をした。基本的に仕事以外で店の女の子と交流は持たず、「おはようございます」、「お疲れ様でした」ぐらいしか話さない。だが、困ったときには真剣に相談に乗る。金が必要であれば気前よく数十万単位の金を融通し、おかしな輩に絡まれて困っているというのであれば体を張って対峙する。言うまでもないが店の女の子に手を付けるなんてことはご法度だ。
こうすることによって勝手に「覆面」という存在が独り歩きしてくれ、あまり宣伝費を掛けずとも、捕まるまで売り上げは伸び続けたのである。
知ってのとおり、僕はヒトラーという人物を尊敬しております。子供のころから彼の統率術を自分なりに調べてきたのである。今も彼ぐらい人心掌握に長けた政治家はいないと思っている。混沌とした社会情勢という背景はあったにせよ、浮浪者から総統に上り詰めたのは事実だ。学ぶべき点は多い。
最近はセミナー講師だかなんだか知らんけど、やたらと自分自身をブランディング化するのが流行っているじゃない。
でも、俺からすると薄っぺら過ぎて笑っちゃうんだよね。
何かと戦ったこともない奴が偉そうなことをいったところで屁のツッパリにもならんわけでね、語るには語るだけの実績があればいいのですが、実態は喧嘩の一つもしたことがないへなちょこ野郎ばかり、こんなのの話なんか聞く価値なんか1ミリもないわな。
不特定多数といったってモニターの向こう側にいるのは血の通った人間なんですよ。匿名というフィルターが掛かり、見えづらくなってはいるものの、大抵は良識を弁えた人間、だからこそ、自分なんかは上手に操ればこれほど使える存在はいないと思っていたのです。自分が清廉潔白であれば彼らは分かってくれるものだし、その清廉さが偽りであればすぐに見抜かれる。ある意味、匿名とは本能に忠実で、もっとも正直な存在といえる。
ホント、臆することなくうまく使えば匿名ほど強い味方もいなものなのである。それを分かっていない奴が多すぎ多すぎて。
小泉さんが凄いと思い、思わず溜飲を下げたのは「(旧態依然とした)自民党をぶっ壊す」、これ。
劇場型政治の真骨頂は敵を作り上げることだとするならば本来討つべき敵とは民主党(現民進党)なはずじゃないですか、それをあえて民主党、その他の政党はスルーし、敵は伏魔殿と化した旧態依然の自民党だというのだから民衆が痺れてしまうのも無理はない。
結果は自民党の圧勝。しかも自民党をぶっ壊すというのがブラフでなかったことは自民党の最大派閥を形成していた派閥の領袖橋本龍太郎を政治資金規正法違反で在宅起訴に追い込んだ。この件が直接の死因かどうかは別にして彼は2006年に敗血症性ショックによる多臓器不全のため急逝している。
歌舞伎の勧進帳然り、細面の色男が権力と戦うという構図は日本人がもっとも好む絵ヅラなのである(肖像画に残されている源義経はねずみ男のような貧相な風貌だが・・・)。
なお、この劇場型政治はビジネスにも応用できる。
ソースは俺。自分自身、細面の色男などではまったくないが俺がフーゾクを始めた時がまさにそう。
その時のスローガンが「水戸のフーゾクをぶっ壊す」。
当時の水戸フーゾクというのはとにかくひどい有様で、値段は都内と同じ料金を取るくせに出てくるのは逆に金を貰いたくなるぐらいの化け物ばかり(すまん)、だから、容姿と性格がよい女の子を集めれば絶対にウケるという勝算があった。
但し、それだけでは今イチ弱いため、俺は敵を作り上げた。その敵とは2ちゃんねらーである。あえて敵をねらーにして、自分はホームページや掲示板等で情報を発信し続けた。覆面対ねらーという構図の出来上がりである。
一般的に匿名のねらーを相手するということはリスクが高いと考え、大企業はもちろんのこと、中小零細企業に至るまで出来れば触れたくはない「聖域」と化しているのであるが、それでも怯むことなく、俺はねらーと戦い続けたのである。
当然、ねらーの吹聴によって俺のことをとんでもない人間だと思い込む人も多数現われる。しかしながら、一方、なんだか知らないけど面白いやつがいるわと興味を持ってくれる人もいる。不思議なもので叩かれれば叩かれるほど俺の側についてくれる人が増えていくのであるから面白い。
ちなみに、不特定多数と戦うときの鉄則というものがある。ヒトラーも小泉さんも金と女性関係には清廉潔白であることを徹底して演じきった。俺もそこは真似をした。基本的に仕事以外で店の女の子と交流は持たず、「おはようございます」、「お疲れ様でした」ぐらいしか話さない。だが、困ったときには真剣に相談に乗る。金が必要であれば気前よく数十万単位の金を融通し、おかしな輩に絡まれて困っているというのであれば体を張って対峙する。言うまでもないが店の女の子に手を付けるなんてことはご法度だ。
こうすることによって勝手に「覆面」という存在が独り歩きしてくれ、あまり宣伝費を掛けずとも、捕まるまで売り上げは伸び続けたのである。
知ってのとおり、僕はヒトラーという人物を尊敬しております。子供のころから彼の統率術を自分なりに調べてきたのである。今も彼ぐらい人心掌握に長けた政治家はいないと思っている。混沌とした社会情勢という背景はあったにせよ、浮浪者から総統に上り詰めたのは事実だ。学ぶべき点は多い。
最近はセミナー講師だかなんだか知らんけど、やたらと自分自身をブランディング化するのが流行っているじゃない。
でも、俺からすると薄っぺら過ぎて笑っちゃうんだよね。
何かと戦ったこともない奴が偉そうなことをいったところで屁のツッパリにもならんわけでね、語るには語るだけの実績があればいいのですが、実態は喧嘩の一つもしたことがないへなちょこ野郎ばかり、こんなのの話なんか聞く価値なんか1ミリもないわな。
不特定多数といったってモニターの向こう側にいるのは血の通った人間なんですよ。匿名というフィルターが掛かり、見えづらくなってはいるものの、大抵は良識を弁えた人間、だからこそ、自分なんかは上手に操ればこれほど使える存在はいないと思っていたのです。自分が清廉潔白であれば彼らは分かってくれるものだし、その清廉さが偽りであればすぐに見抜かれる。ある意味、匿名とは本能に忠実で、もっとも正直な存在といえる。
ホント、臆することなくうまく使えば匿名ほど強い味方もいなものなのである。それを分かっていない奴が多すぎ多すぎて。