人工知能は天使か悪魔か、その3
- 2017/06/29
- 11:04
AIが天使か悪魔かって話は結局のところ、プルトニウムが天使か悪魔かっていう話と同じくらいナンセンスな話だわな。
使い方によっては環境に優しいクリーンエネルギーであると同時に、地球を破滅させることが可能な悪魔の元素、こういったものの場合、使う人の考え方如何によって天使にも悪魔にもなりうるわけで善悪を定義づけることになんの意味もない。
そして、今後、我々が望む望まざるを問わずAIは劇的に進化していく。これもまた既成事実。今更開発を中止するなんてことは出来やしない。もしかすると、いずれAIが自らの意思で進化してまるでSF映画のように暴走をしたり、或いは他のAIを駆逐するようなAI戦争が現実になったりするかもしれないがそれを憂いたところで未来の進むべき方向性は既に決まってしまっているため、抗うことは出来ない。
このへん、アナーキーというか、虚無主義というべきか、人間の良心なんてものはこんなことをいってしまって身も蓋もないがマクロ的な視野で言えばあまりにも陳腐だったりする。まともな科学者がAIの暴走を阻止するため、開発をストップしたり、制御機能をつけたところでいつの世もそれに従わない人がいるわけじゃない。ましてやAIの場合、人間レベルの話を超越して国家レベルでの運用も可能なわけだから個人でどうこうできない場合も十分考えられる。
悪貨は良貨を駆逐するで有名なグレシャムの法則、あんまり言いたくはないがAIもグレシャムの法則同様、絶対に悪用する奴が現れて色んな意味で世の中の格差を広げる。これはしょうがない。
だからあまり考える必要はない。考えたってなにも変わらないのであれば考えるだけ無駄だ。そんなものは巨石を念力で動かそうとするぐらい無意味な行動でしかない。
こんなこというと行動を起こすことがまずは第一歩だなんて青臭いことをいう奴がいるけれど、俺は人一倍ロマンチスト(笑)な反面、誰よりもリアリストなのだ。自分の将来然り、日本や世界の行く末が、平和な世の中になったらいいなという夢想ぐらいはさすがの俺だってする。だが、そんなことがなりっこないことは火を見るよりも明らかだ。その証拠に人との争いは絶えず、未だに戦争がなくならない。無我の境地というより、諦めの境地といった方が言葉はしっくりくる。せいぜい人が出来ることといえば与えられた環境の中で上手に振舞うことぐらい。それが真理ではないだろうか。
もっとも、AIに関しては正の部分で期待しているところも多分にある。AIを上手に運用すれば朝夕の大混雑をなくすことが可能だという。実際の労働よりも通勤退勤時のラッシュの方がよっぽど辛いと思われているサラリーマン諸氏にすれば実にありがたい話であろう。無駄な労力を使わなければその分職務に専念できるし、休みの日はひたすら寝るだけのなんら生産性のない一日とおさらば出来るかもしれない。仕事が充実して余暇を楽しむことが出来ることになれば経済にもいい影響を及ぼすだろう。
俺だってこういう正の部分にはもちろん期待しているわけです。
一応完。
使い方によっては環境に優しいクリーンエネルギーであると同時に、地球を破滅させることが可能な悪魔の元素、こういったものの場合、使う人の考え方如何によって天使にも悪魔にもなりうるわけで善悪を定義づけることになんの意味もない。
そして、今後、我々が望む望まざるを問わずAIは劇的に進化していく。これもまた既成事実。今更開発を中止するなんてことは出来やしない。もしかすると、いずれAIが自らの意思で進化してまるでSF映画のように暴走をしたり、或いは他のAIを駆逐するようなAI戦争が現実になったりするかもしれないがそれを憂いたところで未来の進むべき方向性は既に決まってしまっているため、抗うことは出来ない。
このへん、アナーキーというか、虚無主義というべきか、人間の良心なんてものはこんなことをいってしまって身も蓋もないがマクロ的な視野で言えばあまりにも陳腐だったりする。まともな科学者がAIの暴走を阻止するため、開発をストップしたり、制御機能をつけたところでいつの世もそれに従わない人がいるわけじゃない。ましてやAIの場合、人間レベルの話を超越して国家レベルでの運用も可能なわけだから個人でどうこうできない場合も十分考えられる。
悪貨は良貨を駆逐するで有名なグレシャムの法則、あんまり言いたくはないがAIもグレシャムの法則同様、絶対に悪用する奴が現れて色んな意味で世の中の格差を広げる。これはしょうがない。
だからあまり考える必要はない。考えたってなにも変わらないのであれば考えるだけ無駄だ。そんなものは巨石を念力で動かそうとするぐらい無意味な行動でしかない。
こんなこというと行動を起こすことがまずは第一歩だなんて青臭いことをいう奴がいるけれど、俺は人一倍ロマンチスト(笑)な反面、誰よりもリアリストなのだ。自分の将来然り、日本や世界の行く末が、平和な世の中になったらいいなという夢想ぐらいはさすがの俺だってする。だが、そんなことがなりっこないことは火を見るよりも明らかだ。その証拠に人との争いは絶えず、未だに戦争がなくならない。無我の境地というより、諦めの境地といった方が言葉はしっくりくる。せいぜい人が出来ることといえば与えられた環境の中で上手に振舞うことぐらい。それが真理ではないだろうか。
もっとも、AIに関しては正の部分で期待しているところも多分にある。AIを上手に運用すれば朝夕の大混雑をなくすことが可能だという。実際の労働よりも通勤退勤時のラッシュの方がよっぽど辛いと思われているサラリーマン諸氏にすれば実にありがたい話であろう。無駄な労力を使わなければその分職務に専念できるし、休みの日はひたすら寝るだけのなんら生産性のない一日とおさらば出来るかもしれない。仕事が充実して余暇を楽しむことが出来ることになれば経済にもいい影響を及ぼすだろう。
俺だってこういう正の部分にはもちろん期待しているわけです。
一応完。