人工知能は天使か悪魔か、その2
- 2017/06/27
- 11:38
(前回の続き)
AIの進化の最終形態は生命の不老不死ではないかと思っているのです。
もちろん、肉体はどんなに医学が発展しても120歳を超えて生きられるということはないだろう。一説には人間の細胞耐久年数は140年という話もあるがいずれにせよ、どんなにアンチエイジングを頑張っても劣化はするものであるから肉体の死は抗えない。
だが、脳が司る自我についてはAI技術の進化により、もしかすると永久に不滅でいられるのではないと思うのだ。
人が喜怒哀楽を感じるのは言うまでもなく脳の作用である。例えば指先をカッターで切ってしまい痛みを感じる、一見すると指先に痛みを感じているようだがこれは脳がシナプスを通して受け取った電気信号をイエスノーの二進法で痛みの度合いを数値化しているに過ぎない。
人間は祖先から受け継いだ見えない感覚、つまり本能とそれまで生きてきた歴史を積み重ねて自我を形成している。
指先を切って出血した。普通は血が出ないよう指をティッシュなどで押さえると思う。これはいわば本能だ。続いてクスリを塗り、絆創膏を貼る、これは生きていく過程で学んだ知恵を具現化したのである。
人間の思考とはすべて元々備わっている本能と生きてきた中で学んだ経験とで構成されている。すなわち、どんな天才であっても、まったく無の状態から新たな発明など出来ないということだ。
これは裏を返せば本能と経験をすべてデータベース化すれば本人と同じ思考を持つコピーロボットが出来上がることでもある。人間の思考は無限であり、データベース化は不可能であると言われてきた。記憶の引き出しの数が膨大で数値化することなど不可能であると思われてきたのである。
だが、AIの進化によって思考の引き出しの数を突き止め、その人の持つ思考要素を分析すれば本人と同じ自我を持つAIが生まれると思う。事実、一卵性双生児はDNA配列が原則同じであるため、思考もかなり近い。但し、双子であろうとも実際は塩基配列や染色体に微妙な差異が生じることが多いので全く同じということではないが双子同士であれば見た目はもちろんのこと、性格や知能指数は近いことがDNA配列によって証明されている。
要は生存しているうちに本能とその人の経験を分析して具現化することが出来れば少なくとも自我だけは消滅せずに済む。それがインターネット上のものなのか、或いはロボット的なものなのかは分からないが実現が可能だと思う。
但し、前回の話と被るが、それが果たして健全な方向性なのかといえば分からない。遺族の心を癒してくれるのは確かだろう、不遇な死を遂げた場合なら尚更だろう。だが、死とは本来もっと厳かなものであり、仮に悔いや憂いが残ったとしても現生と決別することで残った人たちは区切りをつけることが出来ると思うのだ。亡骸だけを墓に入れても、魂だけは現世に存在する、その魂も自ら勝手に学習していくわけであるから生きているのと同じ感覚、こういった人間の在り方が果たして正しいことなのかどうか、俺には分からない。
あくまでも個人的な意見で言えば愛する人であろうとも、或いはアインシュタインのような天才であろうとも、死を以って一区切りをつけるべきだと思う。何故そうであらねばならぬのかという確固たる理由は見つからないのだが少なくとも自分はそう思う。
何十年先になるか分からないがこういった自我だけを残すということが可能になってくのではないかと踏んでいる。
ここまで書いておいてなんだが、まったく頓珍漢な話ならごめんなさい。高校の時、化学も生物も5段階評価で2です、ええ。しかも化学は追試でも赤点、体育館を雑巾がけすることで辛うじて単位を貰ったという、典型的な文系人間だす、はい。
AIの進化の最終形態は生命の不老不死ではないかと思っているのです。
もちろん、肉体はどんなに医学が発展しても120歳を超えて生きられるということはないだろう。一説には人間の細胞耐久年数は140年という話もあるがいずれにせよ、どんなにアンチエイジングを頑張っても劣化はするものであるから肉体の死は抗えない。
だが、脳が司る自我についてはAI技術の進化により、もしかすると永久に不滅でいられるのではないと思うのだ。
人が喜怒哀楽を感じるのは言うまでもなく脳の作用である。例えば指先をカッターで切ってしまい痛みを感じる、一見すると指先に痛みを感じているようだがこれは脳がシナプスを通して受け取った電気信号をイエスノーの二進法で痛みの度合いを数値化しているに過ぎない。
人間は祖先から受け継いだ見えない感覚、つまり本能とそれまで生きてきた歴史を積み重ねて自我を形成している。
指先を切って出血した。普通は血が出ないよう指をティッシュなどで押さえると思う。これはいわば本能だ。続いてクスリを塗り、絆創膏を貼る、これは生きていく過程で学んだ知恵を具現化したのである。
人間の思考とはすべて元々備わっている本能と生きてきた中で学んだ経験とで構成されている。すなわち、どんな天才であっても、まったく無の状態から新たな発明など出来ないということだ。
これは裏を返せば本能と経験をすべてデータベース化すれば本人と同じ思考を持つコピーロボットが出来上がることでもある。人間の思考は無限であり、データベース化は不可能であると言われてきた。記憶の引き出しの数が膨大で数値化することなど不可能であると思われてきたのである。
だが、AIの進化によって思考の引き出しの数を突き止め、その人の持つ思考要素を分析すれば本人と同じ自我を持つAIが生まれると思う。事実、一卵性双生児はDNA配列が原則同じであるため、思考もかなり近い。但し、双子であろうとも実際は塩基配列や染色体に微妙な差異が生じることが多いので全く同じということではないが双子同士であれば見た目はもちろんのこと、性格や知能指数は近いことがDNA配列によって証明されている。
要は生存しているうちに本能とその人の経験を分析して具現化することが出来れば少なくとも自我だけは消滅せずに済む。それがインターネット上のものなのか、或いはロボット的なものなのかは分からないが実現が可能だと思う。
但し、前回の話と被るが、それが果たして健全な方向性なのかといえば分からない。遺族の心を癒してくれるのは確かだろう、不遇な死を遂げた場合なら尚更だろう。だが、死とは本来もっと厳かなものであり、仮に悔いや憂いが残ったとしても現生と決別することで残った人たちは区切りをつけることが出来ると思うのだ。亡骸だけを墓に入れても、魂だけは現世に存在する、その魂も自ら勝手に学習していくわけであるから生きているのと同じ感覚、こういった人間の在り方が果たして正しいことなのかどうか、俺には分からない。
あくまでも個人的な意見で言えば愛する人であろうとも、或いはアインシュタインのような天才であろうとも、死を以って一区切りをつけるべきだと思う。何故そうであらねばならぬのかという確固たる理由は見つからないのだが少なくとも自分はそう思う。
何十年先になるか分からないがこういった自我だけを残すということが可能になってくのではないかと踏んでいる。
ここまで書いておいてなんだが、まったく頓珍漢な話ならごめんなさい。高校の時、化学も生物も5段階評価で2です、ええ。しかも化学は追試でも赤点、体育館を雑巾がけすることで辛うじて単位を貰ったという、典型的な文系人間だす、はい。