未来は僕らの手の中?
- 2017/06/16
- 22:10
「今は結構仕事があって忙しいですが、これから先、自分たちWEB制作者ってどうなると思いますか?」
先日、相方のK君と飲みに行った時の会話である。自分より一回りも若いK君には十年後、二十年後がすこぶる気になるならしい。
俺も三十代半ばぐらいまでは長期的なプランというか、展望を考えていたのだが、今は全くと言っていいほど、考えていない。せいぜい1年先ぐらいまでで、それよりも今この瞬間をボチボチ楽しく生きられればよいと思っている。
先を考えない、その理由はいくつかあるのだが、まず何と言っても現代の科学技術の推移はかつて人類が経験したことがないほど速く、凡人の俺になど未来がどうなるのかなんて全く以て予見不可能、それであれば結局のところ目の前にある仕事を淡々とこなしていくしかないと思うのです。欲目をいえば十年後も二十年後もインターネットの世界に寄生してダラダラと喰っていきたいと思っているが、WEB業界の寄生虫として生きられるか否かは俺が決めることではなく、あくまでも市場が決めることであるから結局のところなるようにしかならない。市場が俺の立ち位置を許さないのであればどんなに足掻いたところでゲームオーバー、敗軍の将は兵を語らず、黙って消え去るしかないのである。
人によってはなんと場当たり的な生き方だと眉をひそめるかもしれないが未来を予測するのが不可能な以上、自分ではそこまで間違った考え方をしているとも思えない。
それであればあまり深く考えず、たとえ他人に刹那的だと揶揄されても気にせず(というか人の目などどうでもいい)、今を中心に考えればいいと思う、そしてここがもっとも大事なのであるがせっかく刹那的な生きるのであるからわざわざ嫌な仕事はしない、それが今を生きるための不文律だと思う、事実、最近は仕事をチョイスして対価に見合わない安い嫌な仕事はすべて断っている。もしかすると嫌な仕事を断っているがために後々の大魚を釣り逃している可能性もなきにしも非ずだが、嫌々仕事をしたからってマグロが釣れる保証などどこにもなく、とりあえず、ブリや鯛あたりを釣っていればいいんじぇねぇのというのが今の考え方。
ともすれば、この考え方も来年、再来年には通用しなくなるかもしれないが何度も言うように未来のことなど誰も分からないので、それはその時になってまた改めて考えればいいのである。考えるだけ無駄だって。十年前にlineが電話やメールを飛び越えてここまで隆盛を極めるなんて考えた人っています(俺はやっていないが)?いないだろう。また、十年後、今のようにlineが存在しているかどうかも分からない。何度も言うが考えるだけ無駄なのである。
考えてどうにでもなるなら考えるが俺は千回生まれ変わってもジョブズや孫正義のような時代を造るインフルエンサーになどなれやしない。彼らのような未来の創造主であれば自分たちの望むように時代を造っていくことも可能であろうがそんな能力などあろうはずがなく、せいぜい出来ることといえばあるものをどうやったら美味しく頂けるだろうかってことぐらい。そんなもんだって。
若い連中が将来サッカー選手になりたい、医者になりたい、政治家になりたい、芸能人になりたいと、いわゆる中ニ病であったとしても夢を見るのは構わない、むしろそれが若者の特権でもある。しかし、四十半ばになってそんなこと言っていたら頭が悪すぎるだろう。現実に即して考え、いかに穏やかに坂を下っていけるかを考えるのが四十代半ばだと思う。なんでそういわれるのか分からないが未だに俺はフーゾクに未練があるそうだ。いくら言っても信じてくれないため、どう思ってもらっても結構なのだが、実際問題ないのである。今更、無茶ぶりをする気力がなく、残りわずかな貴重な時間をどぶ川のなかで費やすつもりなどさらさらない。別にそこまでしなくとも死なない程度には稼げている。
正直いってコミュ障の俺が死なない程度に生きていける今の生活って自分ではかなり気に入っている。
人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短いと、誰かが言ったが俺の場合、長すぎず、短すぎず今ぐらいの人生量がちょうどいい塩梅なのである。寝食を忘れるほど没頭するということはないが、でもそこそこ没頭はする、目くるめくような達成感は味わえなくとも、一つの業務をこなせば相応の充実感はある。それで十分です。
そのためには繰り返すが今をどれだけ充実させるかなのですよ。ブルーハーツの「未来は僕らの手の中」が心に突き刺さるにはあまりに年を取り過ぎた。
先日、相方のK君と飲みに行った時の会話である。自分より一回りも若いK君には十年後、二十年後がすこぶる気になるならしい。
俺も三十代半ばぐらいまでは長期的なプランというか、展望を考えていたのだが、今は全くと言っていいほど、考えていない。せいぜい1年先ぐらいまでで、それよりも今この瞬間をボチボチ楽しく生きられればよいと思っている。
先を考えない、その理由はいくつかあるのだが、まず何と言っても現代の科学技術の推移はかつて人類が経験したことがないほど速く、凡人の俺になど未来がどうなるのかなんて全く以て予見不可能、それであれば結局のところ目の前にある仕事を淡々とこなしていくしかないと思うのです。欲目をいえば十年後も二十年後もインターネットの世界に寄生してダラダラと喰っていきたいと思っているが、WEB業界の寄生虫として生きられるか否かは俺が決めることではなく、あくまでも市場が決めることであるから結局のところなるようにしかならない。市場が俺の立ち位置を許さないのであればどんなに足掻いたところでゲームオーバー、敗軍の将は兵を語らず、黙って消え去るしかないのである。
人によってはなんと場当たり的な生き方だと眉をひそめるかもしれないが未来を予測するのが不可能な以上、自分ではそこまで間違った考え方をしているとも思えない。
それであればあまり深く考えず、たとえ他人に刹那的だと揶揄されても気にせず(というか人の目などどうでもいい)、今を中心に考えればいいと思う、そしてここがもっとも大事なのであるがせっかく刹那的な生きるのであるからわざわざ嫌な仕事はしない、それが今を生きるための不文律だと思う、事実、最近は仕事をチョイスして対価に見合わない安い嫌な仕事はすべて断っている。もしかすると嫌な仕事を断っているがために後々の大魚を釣り逃している可能性もなきにしも非ずだが、嫌々仕事をしたからってマグロが釣れる保証などどこにもなく、とりあえず、ブリや鯛あたりを釣っていればいいんじぇねぇのというのが今の考え方。
ともすれば、この考え方も来年、再来年には通用しなくなるかもしれないが何度も言うように未来のことなど誰も分からないので、それはその時になってまた改めて考えればいいのである。考えるだけ無駄だって。十年前にlineが電話やメールを飛び越えてここまで隆盛を極めるなんて考えた人っています(俺はやっていないが)?いないだろう。また、十年後、今のようにlineが存在しているかどうかも分からない。何度も言うが考えるだけ無駄なのである。
考えてどうにでもなるなら考えるが俺は千回生まれ変わってもジョブズや孫正義のような時代を造るインフルエンサーになどなれやしない。彼らのような未来の創造主であれば自分たちの望むように時代を造っていくことも可能であろうがそんな能力などあろうはずがなく、せいぜい出来ることといえばあるものをどうやったら美味しく頂けるだろうかってことぐらい。そんなもんだって。
若い連中が将来サッカー選手になりたい、医者になりたい、政治家になりたい、芸能人になりたいと、いわゆる中ニ病であったとしても夢を見るのは構わない、むしろそれが若者の特権でもある。しかし、四十半ばになってそんなこと言っていたら頭が悪すぎるだろう。現実に即して考え、いかに穏やかに坂を下っていけるかを考えるのが四十代半ばだと思う。なんでそういわれるのか分からないが未だに俺はフーゾクに未練があるそうだ。いくら言っても信じてくれないため、どう思ってもらっても結構なのだが、実際問題ないのである。今更、無茶ぶりをする気力がなく、残りわずかな貴重な時間をどぶ川のなかで費やすつもりなどさらさらない。別にそこまでしなくとも死なない程度には稼げている。
正直いってコミュ障の俺が死なない程度に生きていける今の生活って自分ではかなり気に入っている。
人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短いと、誰かが言ったが俺の場合、長すぎず、短すぎず今ぐらいの人生量がちょうどいい塩梅なのである。寝食を忘れるほど没頭するということはないが、でもそこそこ没頭はする、目くるめくような達成感は味わえなくとも、一つの業務をこなせば相応の充実感はある。それで十分です。
そのためには繰り返すが今をどれだけ充実させるかなのですよ。ブルーハーツの「未来は僕らの手の中」が心に突き刺さるにはあまりに年を取り過ぎた。