優生学は基本的に正しい
- 2017/05/23
- 16:15
「国際反ホモフォビアの日、各地で集会やキャンペーン活動」
読むだけで反吐が出そうになるくだらない記事である。
LGBTなどの、社会的マイノリティーに対して、特権を与えることが生物学的に果たして正しいことなのかは甚だ疑問だ。
独断と偏見で今日は俺が優生学的見地からLGBTを解説しちゃる。
まず、そうだなぁ、うん、例えばトムソンガゼル、よくライオンやチーターに捕食されるシカに似たあれね(厳密にはウシ科)、あのガゼルについて考えてみよう。
ガゼルには以下の3態様のガゼルが存在するとする。
1.ライオンを見ても恐怖心を抱かない頭の悪いガゼル
2.生まれつき足の遅いガゼル
3.危機管理能力に長け、足の速いガゼル
当然優生学的にもっとも優れているのは3番目の頭がよくて生まれつき足の速いガゼル。倫理的なことはさておき、生物学的な見地から考えるのであればそれに異論はないだろう。
では、3の個体群をすべて間引いてガゼルには1と2.しかいられないようにしてしまったらどうか?
肉食獣にとっては非常に恵まれた環境になるのは明らかだ。まさに鴨がネギを背負うどころか出汁まで持ってきて、わたしを是非とも食ってくださいよと、向こうから歩いてきてくれるような状況だ。だが、その喜びもつかの間、ライオンやチーター、ハイエナ、ワニなどの肉食獣に食べ尽くされてしまい種はいずれ絶滅してしまう。だからこそ、1と2が被食者になりつつ、3の優秀な個体群が次の世代に種を紡ぐことが正しいということになる。
実はこれって単純にガゼルだけの問題はない。3がおらず、弱い個体群がすべて食べ尽くされてしまうと、実は肉食獣に対しても多大な影響を及ぼす。エサが豊富にあり、食べ続けていれば自ずと肉食獣の個体数は増えていく。しかしながら、食い尽くされて被食者の供給が止まった瞬間から捕食者は飢餓との戦いになる。百獣の王ライオンも食べるエサがなければ死ぬ。小学生でも分かる理屈だ。知能的及び肉体的に弱いガゼルだけが生き残ることによる生態系の崩壊、自然に及ぼす影響が大きいのである。
では被食者ガゼルの立場ではなく、今度は捕食者であるライオンからの視点でやはり優生学を考えてみたい。
ライオンもガゼル同様3態様の種が存在しているとする。
1.エサを認識できない頭の弱いライオン
2.エサを捕らえることのできないほど、足の遅いライオン
3.知性に優れ、足の速いライオン
自然の法則として1と2は獲物を捕らえることが出来ないわけだから自然と淘汰されるはずだ。
しかし、3をガゼルと同様、人為的に間引いてしまうとどうなるか?
当然ライオンは絶滅する。問題はライオンという種の保存だけに限らず、今度は被食者のガゼルにまで影響を及ぼす。
ライオンが居なくなったサバンナはガゼルにとってまさに楽園だ。だが、その楽園は偽りの楽園ではしかない。増えすぎたガゼルは地上の草木を食べ尽くしてしまい、自らを自滅に追い込んでしまう。やはり生態系に悪影響を及ぼすのである。
つまり、強者が弱者を淘汰しながら次の世代に種を紡いでいくということは生物学的に見ても正しいということになる。
これで優生遺伝子が劣性遺伝子を駆逐することによって自然界全体が調和がとれているということがよく分かったと思う。
ちなみに、一応言っておくが、、頭の良く足の速いガゼルがいつの日かライオンよりも強くなって凌駕するということは無論なく、ガゼルがライオンを襲うようなことなどありえない。ここでいう優性の法則とは種の中での優劣を競うものであり、他の生物との兼ね合いで直接優劣を競うものではないということである。
人間の話に戻す。
では、LGBTに対して寛容ではない俺のような存在をすべて間引いてしまったらどうなるのか?
人間の歴史は終わる。唯一、B(バイセクシャル)だけが次の世代に種を紡ぐことが出来るが、そんなものは凡そまともな人間の姿ではない。壮健な男女の子孫こそが種を保存していくのにふさわしいのは人類誕生500万年の歴史が証明している。
優生学(優生思想)と聞くと、どうしてもすぐにナチスのことを想起する向きもあろうが、動物の例をなぞるまでもなく、優生学は基本的に正しい方向性なのである。
もちろん、倫理的なことを思索しながら種の保存を進めていく必要はあろう。俺はナチスの優生学と違い、障害者の排除はまったく考えていない。体の不自由な方は国や自治体がきちんと保護する必要があると思っており、そのうえで税金が生活保護費や障害者年金として支給されることは全く問題ないと思っている。
ただ、だからといって、いくら一定数のLGBTが存在してしまうのは生物学上致し方なし、それを一つの生き方であると認めることも人としての優しさだという最近の風潮にはとかく違和感を覚える。劣性遺伝子のきゃつら同士がその枠内で愉しんでいるのであれば別にケチをつけるつもりはさらさらないが、さすがに飛躍して権利を認めろというのは違うでしょう。権利を認めるばかりか最近はまるで特権階級であるかの如く勘違いしているクソタワケも多い。LGBTなど特権でもなんでもなく単なる生物学的なマイナス要素に過ぎない。それは優生学から考えても明らかであろう。LGBTを一つの生きる様態とするにはあまりにも無理があり過ぎだ。ゆえに、淘汰され、いつしか地上からLGBTが消え去ることこそが人類にとって最も幸福なのである。
LGBTが権利を主張するあまり、浴場やトイレ、更衣室がおかしなことになったらまともに生きている人が不快な思いをする、これは多数決の原則から言ってもおかしいと思っている。それゆえ、性的マイノリティーを中心に考える必要などさらさらなく、性的マイノリティーはかび臭い日当たりの悪い部屋の片隅で、膝を抱えながら体育座りをしていればいいのにと思うのであります、はい。
>>無限次朗
なんで加害者寄りやねん。わいが被害者や!!!!!
読むだけで反吐が出そうになるくだらない記事である。
LGBTなどの、社会的マイノリティーに対して、特権を与えることが生物学的に果たして正しいことなのかは甚だ疑問だ。
独断と偏見で今日は俺が優生学的見地からLGBTを解説しちゃる。
まず、そうだなぁ、うん、例えばトムソンガゼル、よくライオンやチーターに捕食されるシカに似たあれね(厳密にはウシ科)、あのガゼルについて考えてみよう。
ガゼルには以下の3態様のガゼルが存在するとする。
1.ライオンを見ても恐怖心を抱かない頭の悪いガゼル
2.生まれつき足の遅いガゼル
3.危機管理能力に長け、足の速いガゼル
当然優生学的にもっとも優れているのは3番目の頭がよくて生まれつき足の速いガゼル。倫理的なことはさておき、生物学的な見地から考えるのであればそれに異論はないだろう。
では、3の個体群をすべて間引いてガゼルには1と2.しかいられないようにしてしまったらどうか?
肉食獣にとっては非常に恵まれた環境になるのは明らかだ。まさに鴨がネギを背負うどころか出汁まで持ってきて、わたしを是非とも食ってくださいよと、向こうから歩いてきてくれるような状況だ。だが、その喜びもつかの間、ライオンやチーター、ハイエナ、ワニなどの肉食獣に食べ尽くされてしまい種はいずれ絶滅してしまう。だからこそ、1と2が被食者になりつつ、3の優秀な個体群が次の世代に種を紡ぐことが正しいということになる。
実はこれって単純にガゼルだけの問題はない。3がおらず、弱い個体群がすべて食べ尽くされてしまうと、実は肉食獣に対しても多大な影響を及ぼす。エサが豊富にあり、食べ続けていれば自ずと肉食獣の個体数は増えていく。しかしながら、食い尽くされて被食者の供給が止まった瞬間から捕食者は飢餓との戦いになる。百獣の王ライオンも食べるエサがなければ死ぬ。小学生でも分かる理屈だ。知能的及び肉体的に弱いガゼルだけが生き残ることによる生態系の崩壊、自然に及ぼす影響が大きいのである。
では被食者ガゼルの立場ではなく、今度は捕食者であるライオンからの視点でやはり優生学を考えてみたい。
ライオンもガゼル同様3態様の種が存在しているとする。
1.エサを認識できない頭の弱いライオン
2.エサを捕らえることのできないほど、足の遅いライオン
3.知性に優れ、足の速いライオン
自然の法則として1と2は獲物を捕らえることが出来ないわけだから自然と淘汰されるはずだ。
しかし、3をガゼルと同様、人為的に間引いてしまうとどうなるか?
当然ライオンは絶滅する。問題はライオンという種の保存だけに限らず、今度は被食者のガゼルにまで影響を及ぼす。
ライオンが居なくなったサバンナはガゼルにとってまさに楽園だ。だが、その楽園は偽りの楽園ではしかない。増えすぎたガゼルは地上の草木を食べ尽くしてしまい、自らを自滅に追い込んでしまう。やはり生態系に悪影響を及ぼすのである。
つまり、強者が弱者を淘汰しながら次の世代に種を紡いでいくということは生物学的に見ても正しいということになる。
これで優生遺伝子が劣性遺伝子を駆逐することによって自然界全体が調和がとれているということがよく分かったと思う。
ちなみに、一応言っておくが、、頭の良く足の速いガゼルがいつの日かライオンよりも強くなって凌駕するということは無論なく、ガゼルがライオンを襲うようなことなどありえない。ここでいう優性の法則とは種の中での優劣を競うものであり、他の生物との兼ね合いで直接優劣を競うものではないということである。
人間の話に戻す。
では、LGBTに対して寛容ではない俺のような存在をすべて間引いてしまったらどうなるのか?
人間の歴史は終わる。唯一、B(バイセクシャル)だけが次の世代に種を紡ぐことが出来るが、そんなものは凡そまともな人間の姿ではない。壮健な男女の子孫こそが種を保存していくのにふさわしいのは人類誕生500万年の歴史が証明している。
優生学(優生思想)と聞くと、どうしてもすぐにナチスのことを想起する向きもあろうが、動物の例をなぞるまでもなく、優生学は基本的に正しい方向性なのである。
もちろん、倫理的なことを思索しながら種の保存を進めていく必要はあろう。俺はナチスの優生学と違い、障害者の排除はまったく考えていない。体の不自由な方は国や自治体がきちんと保護する必要があると思っており、そのうえで税金が生活保護費や障害者年金として支給されることは全く問題ないと思っている。
ただ、だからといって、いくら一定数のLGBTが存在してしまうのは生物学上致し方なし、それを一つの生き方であると認めることも人としての優しさだという最近の風潮にはとかく違和感を覚える。劣性遺伝子のきゃつら同士がその枠内で愉しんでいるのであれば別にケチをつけるつもりはさらさらないが、さすがに飛躍して権利を認めろというのは違うでしょう。権利を認めるばかりか最近はまるで特権階級であるかの如く勘違いしているクソタワケも多い。LGBTなど特権でもなんでもなく単なる生物学的なマイナス要素に過ぎない。それは優生学から考えても明らかであろう。LGBTを一つの生きる様態とするにはあまりにも無理があり過ぎだ。ゆえに、淘汰され、いつしか地上からLGBTが消え去ることこそが人類にとって最も幸福なのである。
LGBTが権利を主張するあまり、浴場やトイレ、更衣室がおかしなことになったらまともに生きている人が不快な思いをする、これは多数決の原則から言ってもおかしいと思っている。それゆえ、性的マイノリティーを中心に考える必要などさらさらなく、性的マイノリティーはかび臭い日当たりの悪い部屋の片隅で、膝を抱えながら体育座りをしていればいいのにと思うのであります、はい。
>>無限次朗
なんで加害者寄りやねん。わいが被害者や!!!!!