ニーチェ
- 2012/05/01
- 22:29
あー、昨日の続きになりますが、組事務所、闇金、麻雀店、違法カジノ、違法風俗、健康食品販売会社、同じビルに入っていたものの、系統(?)はすべて別系統。それぞれになんの利害関係もない。
勘違いしていた人もかなりいるみたいだが組事務所を中心にその他が放射状にぶら下がっていたわけではないのである。
だいたい、組事務所が入ってきたの一番遅いんだから。
ただ、それでも一蓮托生というか、呉越同舟というか、悪いことをして金儲けをしてるというベクトルが皆一緒だったため、みんなそこそこ仲良かったのは事実。
麻雀屋さんのご主人とか組長さんとか、よく夢幻の事務所にお茶飲みに来てたもん。
お茶飲んでる時はヤバい話なんていうのはなく、自分も含め、みんなそのへんにいるふつーのおっちゃん、呑気にバカ話して談笑しているだけ。
もちろん、そうはいっても裏稼業の人間達だから、腹の探り合いのようなところは無きにしもあらずだったのは事実だ、だから俺も裏社会の住人達と言葉を交わす時は言葉尻によくよく気を付けて、挙げ足を取られないよう最新の注意を払ったのは言うまでもない。
よくさ、飲み屋なんかで、俺はどこどこ組の誰々さんのことをよーく知っている、○○さん、俺が頼めば何でもしてくれるぜぇなどと、得意気に吹聴している人を見掛けるが、俺から言わすとあんなのは愚の骨頂、相手は堅気の生き血を啜って生きてるやくざだ、いつ何時手痛いしっぺ返しを食うか分からない。
おまえ、俺の名前、あっちこっちで語っているらしいのぉ~、ひとの名前を軽々しく使うとはいったいどういうつもりだ、この野郎、急に豹変すんのがヤクザの常套手段だ。
いや~、すいません、つい、うっかりなんていったら付け込まれて終わりだよね。
そういうことを踏まえ、お茶を飲むにしても言葉は特に気を付けた。
たとえばヤクザに向かってヤクザなどとは間違っても言わない。
博徒系のヤクザと話す時は仁侠、的屋系のヤクザと話す時は神農、或いは博徒、的屋ともに極道と話していた。
「仁侠(神農、極道)の世界も今は取り締まりが厳しくて大変ですなぁ」
そもそもヤクザという言葉はろくでなしという言葉の蔑称である。
ヤクザ自身が自分のことをヘリ下って、私はしがないヤクザもんですというのはアリだが、堅気の人間がヤクザに向かってヤクザ(ろくでなし)も大変ですよねというのはNGだ。同様に暴力団という言い方もヤクザの自尊心を傷つけるのでNGである。
自分の場合、裏社会の住人達には隙を見せないよう、特に言葉や所作に注意を払っていたのは言うまでもない。
これを読んでらっしゃる方の大半は裏社会の人間などとは絡みがないと思う。
厄介な連中と絡みがなくて済むのならそれが一番だ。
事実、自分も今はなんの絡みもない。ないからこそ、好き勝手に書けるのである。
しかし、どうしても不請不請、絡まなくてはいけないのならば絶対に隙を見せてはいけない。
ニーチェの言葉があるので書いておきます。
Wer mit Ungeheuern kampft mag zusehn dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst blickt der Abgrund auch in dich hinein.(原文)
『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』
勘違いしていた人もかなりいるみたいだが組事務所を中心にその他が放射状にぶら下がっていたわけではないのである。
だいたい、組事務所が入ってきたの一番遅いんだから。
ただ、それでも一蓮托生というか、呉越同舟というか、悪いことをして金儲けをしてるというベクトルが皆一緒だったため、みんなそこそこ仲良かったのは事実。
麻雀屋さんのご主人とか組長さんとか、よく夢幻の事務所にお茶飲みに来てたもん。
お茶飲んでる時はヤバい話なんていうのはなく、自分も含め、みんなそのへんにいるふつーのおっちゃん、呑気にバカ話して談笑しているだけ。
もちろん、そうはいっても裏稼業の人間達だから、腹の探り合いのようなところは無きにしもあらずだったのは事実だ、だから俺も裏社会の住人達と言葉を交わす時は言葉尻によくよく気を付けて、挙げ足を取られないよう最新の注意を払ったのは言うまでもない。
よくさ、飲み屋なんかで、俺はどこどこ組の誰々さんのことをよーく知っている、○○さん、俺が頼めば何でもしてくれるぜぇなどと、得意気に吹聴している人を見掛けるが、俺から言わすとあんなのは愚の骨頂、相手は堅気の生き血を啜って生きてるやくざだ、いつ何時手痛いしっぺ返しを食うか分からない。
おまえ、俺の名前、あっちこっちで語っているらしいのぉ~、ひとの名前を軽々しく使うとはいったいどういうつもりだ、この野郎、急に豹変すんのがヤクザの常套手段だ。
いや~、すいません、つい、うっかりなんていったら付け込まれて終わりだよね。
そういうことを踏まえ、お茶を飲むにしても言葉は特に気を付けた。
たとえばヤクザに向かってヤクザなどとは間違っても言わない。
博徒系のヤクザと話す時は仁侠、的屋系のヤクザと話す時は神農、或いは博徒、的屋ともに極道と話していた。
「仁侠(神農、極道)の世界も今は取り締まりが厳しくて大変ですなぁ」
そもそもヤクザという言葉はろくでなしという言葉の蔑称である。
ヤクザ自身が自分のことをヘリ下って、私はしがないヤクザもんですというのはアリだが、堅気の人間がヤクザに向かってヤクザ(ろくでなし)も大変ですよねというのはNGだ。同様に暴力団という言い方もヤクザの自尊心を傷つけるのでNGである。
自分の場合、裏社会の住人達には隙を見せないよう、特に言葉や所作に注意を払っていたのは言うまでもない。
これを読んでらっしゃる方の大半は裏社会の人間などとは絡みがないと思う。
厄介な連中と絡みがなくて済むのならそれが一番だ。
事実、自分も今はなんの絡みもない。ないからこそ、好き勝手に書けるのである。
しかし、どうしても不請不請、絡まなくてはいけないのならば絶対に隙を見せてはいけない。
ニーチェの言葉があるので書いておきます。
Wer mit Ungeheuern kampft mag zusehn dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst blickt der Abgrund auch in dich hinein.(原文)
『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』