ゴーマニズム宣言@学校教育
- 2017/05/19
- 13:12
YouTubeをボケーっと見ておりましたら、ホリエモンが学校教育なんか無駄、今すぐにでもやめた方がいいと仰っておられましたが、僕は大反対です。
読み書きソロバンを覚えるだけなら家庭や塾、予備校、家庭教師で事足り、そこだけ突き詰めて考えると出来る子も出来ない子も同じ教室で学ぶというのは確かに効率が悪い。進学塾のように自分のレベルに合ったクラスで学ぶ方が習熟度も増すことでしょう。いや、もっと突き詰めて言えば人から教わらなくとも自学自習ですべて吸収してしまうような頭の良い子は学校に通わずとも本やインターネットの情報で十分だったりする。
でも学校に通う意味って純粋に学力を身に着けるためだけではないよね。長幼の序であったり、いじめや教師からの抑圧など、社会人としての常識や社会の理不尽さを学ぶ場でもある。
協調性をとかく求めがちな紋切り型の学校教育は優秀な人の能力の芽を摘んでしまうため非常に愚かであり、費やす時間も無駄だと、堀江さんは放送で強く非難しておられましたが、俺はまったくそう思わないんですよねぇ。
勤め人はアホ、自分のやりたいことを自由にやれる起業家こそが人として正しい姿であるというのが彼の考えなのでしょう、また、そのためには学校教育など無駄だって言いたいのだと思いますが、現実、起業する人って人口の割合からすると5%もいないと思うわけで、残りの95%以上の人は会社や役所に勤めてサラリーマンとして働くわけじゃない。しかもその5%の起業家のうちいったい何人が成功するかと言えばよく言われているのが5%、要は同級生が仮に1000人いれば、起業する人が50人、その50人の中で成功するのが5%であれば実数は2人か3人、つまり1000人中950人がサラリーマンとして日本の経済を下支えしているわけ。
2人と950人、どっちを大切にするかと言えば950人のサラリーマンでしょ?
そのサラリーマンに要求される能力というのは何よりも協調性じゃない。いくら頭がよかったり、或いは技術に長けていようとも和を乱す奴というのは最終的に煙たがられる。与えられた仕事に文句も言わず、風紀を乱すことなくひたすら淡々とこなしてくれる人が何よりも資本家としてありがたい。また、起業家であったとしても結局は他の人と関わらず、自分オンリーで仕事をするということは百パーセントあり得ないため、やはり起業家であれ最低限度の協調性は必要であると思う。
俺が思うに、なんのかんの言っても日本がここまで発展したというのも俺は学校教育の賜物だと思うのです。
しかしながら、堀江さんからすると、協調性を求めるあまり、技術や才能のある人材を潰してしまう、それこそ国益を損なうと言う話になるのでしょうけど、その論も残念ながら俺からすると的外れ。
オピニオンリーダーとなる真の天才はどんな逆境をも跳ね返すため、既存の学校教育に馴染む、馴染まないはその実あまり関係ない。裏を返せば逆境を跳ね返せないような奴はハナから天才の資質がないともいえる。事実、日本のノーベル賞自然科学部門受賞者は米国に続いて世界第2位の受賞者数を誇る。アメリカと日本の人口比を考えたらこの2位という数字はアメリカとまったく遜色がないとさえいえるでしょう。日本人ノーベル賞受賞者の詳しい経歴を殆ど知りませんが、恐らく学校に通わず、自分一人で勉強した結果がノーベル賞受賞に繋がったという人は誰もいないんじゃないでしょうか。
こう考えると協調性を求める紋切り型の学校教育に何か弊害があるとは思えない。

ゴーマンかましてよかですか?
協調性の欠片もない単位制の高校に通う奴はバカばっか。
今流行りの単位制の高校に通っている奴に社会的に問題のある奴が多いのは悲しいかな現実。高校に通うということはもはや義務教育といって差し支えないはずだ。その義務を果たさず、単に高卒の資格が取れればいいと、単位制の高校に通ったところで社会に出て出世するような人間が出てくるかといえばそんなことはない。もちろんゼロとは言わないがその確率は相当低いと言わざるを得ない。
買い物に出かけて気持ちよく、買い物を楽しめるのは店員さんの教育がしっかりしているから。日本の工業製品に不良品が少ないのは工員さんが工程を守り、きちんと組み立てるから。
こういうのって学校教育が培った立派な成果だと思うのです。
これがさ、ガムをくちゃくちゃ噛みながら、物を組み立てていればやっぱり周りの人はいくら作業工程に問題がないからといっても、いい気持ちはしないわけ。いい気持ちをしないということはイライラして重大なミスにつながる恐れもあるからやはり協調性を保ち、節度ある行動をしないとならない。
とにかく、理不尽なことも含めて学校で学ぶという事は非常に大切。軍隊式が好きな体育会系の教師に無理強いをされることもあろう。そこでその理不尽さと戦ったり、或いは耐えることを学んだりする。友達付き合いもそう、いい奴ばっかりじゃない、アホな奴も意地悪な奴も含めて社会なのだ。学校教育に意味がないからと言って、学校に通わず独学で勉強して、何か資格を取りました。その資格を生かしてどこかの会社に入りました、或いは起業しましたといったところで耐性がないから、そんな奴はすぐに挫折すると思うんですよねぇ。
もっとも淫行で捕まるなど、学校教育とは程遠い、程度の低い教師が多いのも事実ではありますが。
読み書きソロバンを覚えるだけなら家庭や塾、予備校、家庭教師で事足り、そこだけ突き詰めて考えると出来る子も出来ない子も同じ教室で学ぶというのは確かに効率が悪い。進学塾のように自分のレベルに合ったクラスで学ぶ方が習熟度も増すことでしょう。いや、もっと突き詰めて言えば人から教わらなくとも自学自習ですべて吸収してしまうような頭の良い子は学校に通わずとも本やインターネットの情報で十分だったりする。
でも学校に通う意味って純粋に学力を身に着けるためだけではないよね。長幼の序であったり、いじめや教師からの抑圧など、社会人としての常識や社会の理不尽さを学ぶ場でもある。
協調性をとかく求めがちな紋切り型の学校教育は優秀な人の能力の芽を摘んでしまうため非常に愚かであり、費やす時間も無駄だと、堀江さんは放送で強く非難しておられましたが、俺はまったくそう思わないんですよねぇ。
勤め人はアホ、自分のやりたいことを自由にやれる起業家こそが人として正しい姿であるというのが彼の考えなのでしょう、また、そのためには学校教育など無駄だって言いたいのだと思いますが、現実、起業する人って人口の割合からすると5%もいないと思うわけで、残りの95%以上の人は会社や役所に勤めてサラリーマンとして働くわけじゃない。しかもその5%の起業家のうちいったい何人が成功するかと言えばよく言われているのが5%、要は同級生が仮に1000人いれば、起業する人が50人、その50人の中で成功するのが5%であれば実数は2人か3人、つまり1000人中950人がサラリーマンとして日本の経済を下支えしているわけ。
2人と950人、どっちを大切にするかと言えば950人のサラリーマンでしょ?
そのサラリーマンに要求される能力というのは何よりも協調性じゃない。いくら頭がよかったり、或いは技術に長けていようとも和を乱す奴というのは最終的に煙たがられる。与えられた仕事に文句も言わず、風紀を乱すことなくひたすら淡々とこなしてくれる人が何よりも資本家としてありがたい。また、起業家であったとしても結局は他の人と関わらず、自分オンリーで仕事をするということは百パーセントあり得ないため、やはり起業家であれ最低限度の協調性は必要であると思う。
俺が思うに、なんのかんの言っても日本がここまで発展したというのも俺は学校教育の賜物だと思うのです。
しかしながら、堀江さんからすると、協調性を求めるあまり、技術や才能のある人材を潰してしまう、それこそ国益を損なうと言う話になるのでしょうけど、その論も残念ながら俺からすると的外れ。
オピニオンリーダーとなる真の天才はどんな逆境をも跳ね返すため、既存の学校教育に馴染む、馴染まないはその実あまり関係ない。裏を返せば逆境を跳ね返せないような奴はハナから天才の資質がないともいえる。事実、日本のノーベル賞自然科学部門受賞者は米国に続いて世界第2位の受賞者数を誇る。アメリカと日本の人口比を考えたらこの2位という数字はアメリカとまったく遜色がないとさえいえるでしょう。日本人ノーベル賞受賞者の詳しい経歴を殆ど知りませんが、恐らく学校に通わず、自分一人で勉強した結果がノーベル賞受賞に繋がったという人は誰もいないんじゃないでしょうか。
こう考えると協調性を求める紋切り型の学校教育に何か弊害があるとは思えない。

ゴーマンかましてよかですか?
協調性の欠片もない単位制の高校に通う奴はバカばっか。
今流行りの単位制の高校に通っている奴に社会的に問題のある奴が多いのは悲しいかな現実。高校に通うということはもはや義務教育といって差し支えないはずだ。その義務を果たさず、単に高卒の資格が取れればいいと、単位制の高校に通ったところで社会に出て出世するような人間が出てくるかといえばそんなことはない。もちろんゼロとは言わないがその確率は相当低いと言わざるを得ない。
買い物に出かけて気持ちよく、買い物を楽しめるのは店員さんの教育がしっかりしているから。日本の工業製品に不良品が少ないのは工員さんが工程を守り、きちんと組み立てるから。
こういうのって学校教育が培った立派な成果だと思うのです。
これがさ、ガムをくちゃくちゃ噛みながら、物を組み立てていればやっぱり周りの人はいくら作業工程に問題がないからといっても、いい気持ちはしないわけ。いい気持ちをしないということはイライラして重大なミスにつながる恐れもあるからやはり協調性を保ち、節度ある行動をしないとならない。
とにかく、理不尽なことも含めて学校で学ぶという事は非常に大切。軍隊式が好きな体育会系の教師に無理強いをされることもあろう。そこでその理不尽さと戦ったり、或いは耐えることを学んだりする。友達付き合いもそう、いい奴ばっかりじゃない、アホな奴も意地悪な奴も含めて社会なのだ。学校教育に意味がないからと言って、学校に通わず独学で勉強して、何か資格を取りました。その資格を生かしてどこかの会社に入りました、或いは起業しましたといったところで耐性がないから、そんな奴はすぐに挫折すると思うんですよねぇ。
もっとも淫行で捕まるなど、学校教育とは程遠い、程度の低い教師が多いのも事実ではありますが。