メーデーに思う
- 2017/04/28
- 10:53
『労働組合に加入していない非正規労働者などのための「茨城反貧困メーデー2017inつくば」が30日、つくば市内で開かれる。
雇用形態や組織にとらわれない独立系メーデーとして2009年から毎年開催。今回は「セーフティーネットはチャリティーじゃない」のテーマで、講話や全体討論などを行った後、同市内をデモ行進する。(以下、略)』
(茨城新聞)
こんなのに参加してギャーギャー騒いでいる左翼系労働者って、自分がアホですよと喧伝しているようにしか見えず、僕なんかからすると、公衆の面前で臆面もなく、わざわざテメェの無能さをひけらかさなくてもいいのにと思ってしまいます。無能さをなじられることに悦び感じる真性のマゾなんでしょうか。
じゃあ、ここで優秀な人と無能な人を考えてみましょう。どういう人が優秀か無能かといえばこれは至って簡単。
自分の能力を遺憾なく発揮できる「場」を分かっている人が優秀、いつまでたってもその「場」が分からない、若しくは全くそういった「場」が存在しない社会不適合者が無能、もうこれだけです、はい。
小学校、中学校、勉強がまったく出来ませんでした、取り柄は体が丈夫なこと、とはいってもスポーツ選手で喰っていけるほど運動は得意じゃない、そこで目指したのは寿司職人、厳しい修行の甲斐があり、今では銀座と赤坂に店を出して年収3000万円、こういう人って中卒でもメチャメチャ優秀ですよね。勉学の道では生きられないことをきちんと弁え、尚且つ、フレンチでも、中華でもない、和食という自分の活躍できる場を弁えているからとにかく優秀なのです。
もう一人優秀な人の例をあげよう。
タレントのさかなクン、彼なんかは優秀な人の典型だと思うんだよね。実際、さかなクンのギャグそのものはぶっちゃけ全く面白くなく、ギョギョーなんていわれたところでクスリともしないが(むしろイラっとする)、その代わり魚に関する造詣は半端じゃなく、それだけで喰っているわけじゃないですか、あれを優秀と言わずして何をか言わんやですよね。さかなクンのウィキを見ると、元々東京水産大学を目指していたらしいのだが、受験に失敗して結局専門学校しか行っていない、しかし、今はマルチタレントとして活躍しながら大学の講師などもしている、2015年にはかつて自身が目指していた東京水産大学か名誉博士の称号が授与された、まさに優秀の極み。
実際問題、人がどんな仕事に就こうがそれは全然いいんですけど、能力が発揮できない場所での労働ほどつまらないものはない。そこを弁えず、メーデーだからって賃金上げろ、労働環境をよくしろと言われたところでしょーもなーと思ってしまうのです。
その点、手前みそですが、わたくしは優秀です(キリッ)。何故ならフーゾク時代も、今のWEB制作者もとりあえず自分の能力が発揮できているため。
人間が生きていくうえで、財閥からナマポ(生活保護)まで、或いは東大卒から中卒でもいいのだが社会を司るような超エリートから最底辺のクズまで満遍なく相手にしなきゃ喰っていけない業種なんて殆どないわけですよ、強いて言えばそんなものは大衆を味方につけつつ、霞が関の官僚、経団連や医師会などともうまく付き合っていかなきゃならない政治家ぐらいなもんで、銀行や役所にしたって企業担当、個人担当と事細かく分かれているため一人の人間が上から下まで満遍なく営業していくなんてことはないわけですよ。僕なんかは勉強も出来ないし、到底エリート集団と対等に立ち回れるなんて露ほども思っていないため、初めから目標とすらしていない。フーゾク時代であれば小金持っているスケベ連中、今であれば中小企業の社長さん、こういった人に照準を絞って商売をしているわけ。理由は言わずもがな、そこが自分の能力が発揮できるフィールドであるときちんと弁えているから。
人と接するのが好きで介護の仕事こそが一生の仕事だと思うのであればたとえ賃金が低くても介護の道に進めばいいと思うし、勉強が得意だというのであれば一生懸命死に物狂いで勉強して、上場企業に就職するとか、官僚にでもなればいい。要は自分の得意分野を見つけろってこと。
但し、能力を発揮できるからといって楽しいかといえばそれはまた別の話だったりする。ソースは俺。
フーゾク時代も今もそうだが、そこそこ金だけは稼げているが楽しいかといえば正直微妙、特にフーゾク時代は苦痛でしかなかった。単純に能力が発揮できるであろうと思い、今のカテゴリーに属してはいるが心の底からやりたいことかといえば本音を言うと正直違うと思うんだよね。
もちろん今更自分探しなんかするはずもなく、結局はこのままの状態でボチボチ生きていくのでしょうけど、とりあえずなんとなくであっても能力を発揮できていると思うから無理やり幸せだと思い込むようにしている。
メーデーを単なる労働者の祭典であると、エンタメの一つとして参加するならそれはまあ娯楽であるからいいと思うのだが、本気で労働環境をよくしようと思うのならばまずはテメェのその無能さをなんとかしろやと思ってしまうのです。本当に能力のある優秀な人であれば是非わが社に来てくださいってなるもん。奴ら痛すぎ。
ちなみに余談であるが、学生時代からこの手のデモに参加しているとまず大手企業には採用されないので要注意。志望者の名前を検索して、そいつのフェイスブックやブログに左翼がかった労働運動の記事が掲載されていたら即アウトーッ、そりゃそうだろう、後々なにかと面倒を起こすのが火を見るよりも明らか、筆記試験の出来いかんに関係なく不採用決定、ある意味、それもまた自分の生きる道を自ら潰してしまっているわけですから無能だということに他ならないわけですが。
雇用形態や組織にとらわれない独立系メーデーとして2009年から毎年開催。今回は「セーフティーネットはチャリティーじゃない」のテーマで、講話や全体討論などを行った後、同市内をデモ行進する。(以下、略)』
(茨城新聞)
こんなのに参加してギャーギャー騒いでいる左翼系労働者って、自分がアホですよと喧伝しているようにしか見えず、僕なんかからすると、公衆の面前で臆面もなく、わざわざテメェの無能さをひけらかさなくてもいいのにと思ってしまいます。無能さをなじられることに悦び感じる真性のマゾなんでしょうか。
じゃあ、ここで優秀な人と無能な人を考えてみましょう。どういう人が優秀か無能かといえばこれは至って簡単。
自分の能力を遺憾なく発揮できる「場」を分かっている人が優秀、いつまでたってもその「場」が分からない、若しくは全くそういった「場」が存在しない社会不適合者が無能、もうこれだけです、はい。
小学校、中学校、勉強がまったく出来ませんでした、取り柄は体が丈夫なこと、とはいってもスポーツ選手で喰っていけるほど運動は得意じゃない、そこで目指したのは寿司職人、厳しい修行の甲斐があり、今では銀座と赤坂に店を出して年収3000万円、こういう人って中卒でもメチャメチャ優秀ですよね。勉学の道では生きられないことをきちんと弁え、尚且つ、フレンチでも、中華でもない、和食という自分の活躍できる場を弁えているからとにかく優秀なのです。
もう一人優秀な人の例をあげよう。
タレントのさかなクン、彼なんかは優秀な人の典型だと思うんだよね。実際、さかなクンのギャグそのものはぶっちゃけ全く面白くなく、ギョギョーなんていわれたところでクスリともしないが(むしろイラっとする)、その代わり魚に関する造詣は半端じゃなく、それだけで喰っているわけじゃないですか、あれを優秀と言わずして何をか言わんやですよね。さかなクンのウィキを見ると、元々東京水産大学を目指していたらしいのだが、受験に失敗して結局専門学校しか行っていない、しかし、今はマルチタレントとして活躍しながら大学の講師などもしている、2015年にはかつて自身が目指していた東京水産大学か名誉博士の称号が授与された、まさに優秀の極み。
実際問題、人がどんな仕事に就こうがそれは全然いいんですけど、能力が発揮できない場所での労働ほどつまらないものはない。そこを弁えず、メーデーだからって賃金上げろ、労働環境をよくしろと言われたところでしょーもなーと思ってしまうのです。
その点、手前みそですが、わたくしは優秀です(キリッ)。何故ならフーゾク時代も、今のWEB制作者もとりあえず自分の能力が発揮できているため。
人間が生きていくうえで、財閥からナマポ(生活保護)まで、或いは東大卒から中卒でもいいのだが社会を司るような超エリートから最底辺のクズまで満遍なく相手にしなきゃ喰っていけない業種なんて殆どないわけですよ、強いて言えばそんなものは大衆を味方につけつつ、霞が関の官僚、経団連や医師会などともうまく付き合っていかなきゃならない政治家ぐらいなもんで、銀行や役所にしたって企業担当、個人担当と事細かく分かれているため一人の人間が上から下まで満遍なく営業していくなんてことはないわけですよ。僕なんかは勉強も出来ないし、到底エリート集団と対等に立ち回れるなんて露ほども思っていないため、初めから目標とすらしていない。フーゾク時代であれば小金持っているスケベ連中、今であれば中小企業の社長さん、こういった人に照準を絞って商売をしているわけ。理由は言わずもがな、そこが自分の能力が発揮できるフィールドであるときちんと弁えているから。
人と接するのが好きで介護の仕事こそが一生の仕事だと思うのであればたとえ賃金が低くても介護の道に進めばいいと思うし、勉強が得意だというのであれば一生懸命死に物狂いで勉強して、上場企業に就職するとか、官僚にでもなればいい。要は自分の得意分野を見つけろってこと。
但し、能力を発揮できるからといって楽しいかといえばそれはまた別の話だったりする。ソースは俺。
フーゾク時代も今もそうだが、そこそこ金だけは稼げているが楽しいかといえば正直微妙、特にフーゾク時代は苦痛でしかなかった。単純に能力が発揮できるであろうと思い、今のカテゴリーに属してはいるが心の底からやりたいことかといえば本音を言うと正直違うと思うんだよね。
もちろん今更自分探しなんかするはずもなく、結局はこのままの状態でボチボチ生きていくのでしょうけど、とりあえずなんとなくであっても能力を発揮できていると思うから無理やり幸せだと思い込むようにしている。
メーデーを単なる労働者の祭典であると、エンタメの一つとして参加するならそれはまあ娯楽であるからいいと思うのだが、本気で労働環境をよくしようと思うのならばまずはテメェのその無能さをなんとかしろやと思ってしまうのです。本当に能力のある優秀な人であれば是非わが社に来てくださいってなるもん。奴ら痛すぎ。
ちなみに余談であるが、学生時代からこの手のデモに参加しているとまず大手企業には採用されないので要注意。志望者の名前を検索して、そいつのフェイスブックやブログに左翼がかった労働運動の記事が掲載されていたら即アウトーッ、そりゃそうだろう、後々なにかと面倒を起こすのが火を見るよりも明らか、筆記試験の出来いかんに関係なく不採用決定、ある意味、それもまた自分の生きる道を自ら潰してしまっているわけですから無能だということに他ならないわけですが。