http://life.letibee.com/event-2017/ 「青森で行われるLGBTのパレードを含むイベント」
これって結局のところ、押しつけではないのか?
マイノリティも理解する寛容な社会でなくてはなりませんよという、思いやりの押しつけではないのか?
言っていることは一見するといかにももっともなように聞こえるが、冷静になり、俯瞰してみればなんのことはない、自分たちの存在を無理やり認めさせる押しつけに他ならない。マイノリティの連中がもし、自分たちを認めて欲しいと願うのであれば俺のようなLGBTを一切認めない人がいることも認めなければ、それはすなわちあなた方が一番嫌うファシズムではないのかと思ってしまう。LGBTに理解を求め、圧力を掛け続けるのであれば、それはもはや優しさを強要するだけの似非ヒューマニズムでしかない。
では、なぜ僕がLGBTを否定するのか。
すべての生命は種を保存するために存在している、これは自分が導き出した結論のすべてだ。
突き詰めていくと、その先にある、ではいったい何のために種を保存するのかという命題にぶち当たるが、それを解明した科学者は未だかつて一人もいない。
またかよ的な話であるがアドルフ・ヒトラーも自著「わが闘争」に於いて、「人類の目的は種の保存である」」と、はっきり述べている。ヒトラーの著書に感化されたわけではなく、自分も色んなことを思索するにつれ、やはり何のために種を保存するのかはわからない、ただ確実に言えるのは人類、その他の生命が絶滅したところで何事もなかったかのように日は昇り、日は沈み、月日は流れていくだけであるということ。だからこそ、あえてその先のことは考えず、種の保存という点にのみ焦点を当て、そこを原点に物事を考えるべきであろうと思う。
では、昨今とかく俎上に乗りがちなLGBTはどうか、種の保存に何も影響しないではないか。
先日のブログに書いた僕が高所恐怖症という話、あれだってすべて種の保存という点で説明がつく。
人は高いところから落ちれば死ぬ。死んでしまっては種を保存できないため、神様(といってもお釈迦様やキリストなどではなく、宇宙全体の意思)は人間に高いところに昇ると恐怖心を抱く本能を授けた。ゆえに高いところから落ちなくも済むのだ。
そうすると、おいおい、ちょっと待て、世の中にはとび職だとか、ゴンドラに乗り、高層ビルの窓ふきをする、世の中には高いところが平気な人がいるじゃないか、あれはどう説明するのだと言われるだろうが、ここがまさに神様が優秀な所以なのであるがもし人類すべてが高所恐怖症であればなにかの拍子で地球が隆起して高いところで暮らすしかなくなってしまったとき人類は全員高いところに順応できず絶滅してしまう。
しかし、高いところが平気な人が存在すれば今度はその人たちが新しい時代を創っていく。
比率は分からず、また、各々の分野によっても異なるはずであるが、何事にも必ず一定数のマイノリティというものは存在する。綺麗なモデルさんを見て80%の人がうっとりしても必ず残りの一割、二割は興味がなかったり、或いは嫌悪感を示すものである。その理由は言わずもがな、もし全員が全員、そのモデルさんのような容姿のみに好意を示すのであればなにか天変地異が起こり、そのモデル系の顔の人が絶滅してしまった場合、種を残せなくなってしまう。ゆえに必ずどんなに美男美女であっても彼らに嫌悪感を示す人というのが存在するのである。
話を戻す。LGBTが種の保存の寄与する点があるのか?
性転換をするクマノミやクロダイ、或いはメスだけで繁殖するミステリークレイフィッシュというザリガニ(フィッシュというがザリガニ)であればともかく、人間が同性を愛したところで種の保存にはなんら影響がなく、むしろそれ以上伸びしろがない時点でマイナスだ。
僕はね、別にLGBTそのものを否定しているのではない。そういうのは当人の問題であり、そいつらが同好の士たちと好き勝手にやっている分にはなんら構わないが、それを飛び越えて社会を巻き込む必要はないだろうと言っている。もし巻き込むのであればLGBTが絶滅すると同時に人類は絶滅するといった、なにか納得できる材料が欲しい。多分であるがLGBTがこの世から消え去ったところで人間の種の保存になんの影響はないと思うのである。最近つとに思うのであるがLGBTと被差別はまったくの別問題であろう、奴らが恨むべきは社会ではなく、生んだ親である。勘違いすんなよ。